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「表裏頭脳 ケンイチ」

第2話「口裂け男の恐怖と確立の意思」~後編~

 

3-2(①)

翌朝、土曜日で学校が休みという事で、陽もケンイチもいつもより余裕を持って朝食を食べていた。と言っても、ケンイチは陽一郎や陽と目を合わせることもなく、食べ終わるとさっさと部屋に帰ってしまったが…

父「なんか…賢一が恋しいな…」

陽「もう、お父さんったら…何言ってるの?」

苦笑してそう言う陽だったが、その時リビングのソファの上に置いてあった陽の携帯が鳴り始めた。

陽「あ、ちょっとごめんね。」

そう言って携帯に表示された名前を見た陽は、少し不思議そうな顔をして携帯を手に取った。

父「どうした?」

陽「うん…部活の友達からなんだけど…」

父「珍しいな。とにかく出てみたらどうだ?」

陽「うん。」

そう言って陽一郎と顔を合わせた陽は、携帯を開いた。

陽「もしもし?」

孝「あ、陽か?」

陽「どうしたの孝彦くん?電話だなんて…」

孝「いやな、親父がケンイチに伝えたいことがあるって言ってんだけど、俺まだケンイチ、ってか賢一の電番知らなくてさ。それでお前に電話かけたんだけど……そーいうことだから、伝言頼んでいいか?」

陽「ええ、いいけど…」

 

孝彦からの電話を受けて、陽は少し緊張気味に賢一の部屋のドアの前にいた。そして小さくドアをノックしてみる。

ケ「入って来るな。うっとうしい。」

予想していた一言だったからか、陽はそこまで面食らうこともなく、ドア越しに話を始める。

陽「……。あのね、さっき孝彦くんから電話があったんだけど、口裂け男のことで孝彦くんのお父さんがケンイチくんに話があるって…それで、あんまり外部にはもらしたくないことだから、メディア部の部室に来てほしいって…」

ケ「……」

陽「あの、ケンイチくん…?」

何も答えないケンイチに、陽は不安そうに声をかける。と、その瞬間に朝食時の格好に上着を羽織ったケンイチが部屋から出てきた。

ケ「行くぞ。」

陽「あ、ちょっと待って!部室開けてもらうのに、鳩谷先生と晶センパイに連絡しないと…」

ケ「だったら、さっさとしろ…」

陽「う、うん…」

陽が返事をすると、ケンイチは不機嫌そうに階段を降りて行った。

4(③)

陽とケンイチがメディア部の部室に行くと、修丸を除くメディア部メンバーに、鳩谷と将通がすでに部室に集まっていた。

晶「お、遅かったな!」

その言葉に、ケンイチは答えずに言う。

ケ「おい、なんでお前らも来ている?」

その言葉に、晶は少しムッとしたが、冷静に答える。

晶「部室を使うってことは、一応部活動ってことにした方が自然だろ?だから自分がみんなに声をかけたんだ。まあ、修丸はなんか用事だかで遅れるって言ってたけどな。」

ケ「フン…余計なことしやがって…」

晶「余計って…そいつは悪かったな!」

ケンイチの言葉に怒る晶を無視して、ケンイチは将通のもとへ歩み寄った。

晶「な…!無視かよ!」

路「センパイ、ケンイチの態度はもう気にしない方がいいんじゃないですか?」

晶「そうだな…(呆)」

そんな話をする龍路と晶も気にせず、ケンイチは将通に話を聞き始めた。

ケ「おい、容疑者は割れたのか?」

将「ああ。…その前に、まだ被害者の事は話してなかったな。」

ケ「別に死んだ人間に興味はねーよ。」

そう言うケンイチだったが、龍海が少し遠慮がちに言う。

海「でも、僕ちょっと気になるかも…」

路「こら、龍海!」

海「あ、ごめん…」

将「いや、まあメディア部の君たちにはいろいろと話を聞かせてもらっているからな。…ただし、くれぐれも外部には洩らさないようにしてほしい。君たちに話すという事だって、あんまり良い事とは言えないわけだしな。」

そう念を押して、将通は1枚の写真を撮りだした。そこには、1人の男が写っていた。

将「この男が、被害者の元島穣治だ。今はフリーターだが、2年前までは、それこそ弊踊町の3丁目に店を構えてドッグトレーナーをしていたそうだ。」

隆「なんだ、それ?犬が着る服のことか?」

陽「隆平くん……(汗)違うわよ、ドッグトレーナーっていうのは、犬のしつけとかを飼い主に代わってするお仕事の事ですよね?」

将「ああ。…まあ、依頼にかかる金額や、預かっている犬の管理状況の悪質さから、2年前その店に調査が入ってな、その時に行方を暗ましたまま、小宮山民夫という偽名を使って今まで生活していたそうだがな。」

そう話す将通に、孝彦が少し気まずそうに言う。

孝「親父、あんまり今回の事件と関係ないこと話してると、ほら…」

そう言って孝彦が見た先には、先ほどよりも不機嫌そうな顔をして黙っているケンイチがいた。

将「ああ、すまないな。それで、元島の最後の目撃証言から死体の発見された時間までにアリバイがなく、なおかつ奴に動機がありそうな人物は4人いたよ。まず、1人目は被害者の交際相手で、OLの清水真里之という女性だ。今はアパートで1人暮らしをしているらしい。」

そう言って、将通はまるで回想するように取調べでの様子を話し始めた。

 

―将「清水さん、あなたはいつから小宮山さんとおつきあいをされていたんですか?」

将通と向かい合って座っている清水真里乃は、マスクをつけてガムか何かをクチャクチャと噛みながら話を聞いていた。

清「いつから?ん~っと、確か半年くらい前からかなぁ。ってか、なんで恋人のあたしが疑われなきゃなんないワケ?民夫死んじゃって今すっごいショックなんだけど…」

将「いえね清水さん、あなたは昨日の夜、小宮山さんがバイト先のコンビニの防犯カメラに最後に映った時から遺体となって発見されるまでの間、つまり夜の10時頃から10時半頃までのアリバイがなかった、違いますか?」

清「仕方ないじゃない!あたし、1人暮らししてるんだからさぁ、そんな時間、友達でも呼んでない限り、誰だって1人じゃん。」

将「いえ、それだけじゃないんですよ。あなた、小宮山さんに別れ話を持ちかけてて、それを受け入れてもらえていないと言うじゃないですか。」

清「まあね。アイツ、最初はすごく優しかったからそれで付き合い始めたんだけど、付き合ってみたら、アイツとんだヒモ男!だから、別れたいってこと話したら、いきなり殴られてさ……ってか、大体民夫は犬に食い殺されてたんでしょ?これって野良犬の仕業じゃないの?」

将「犬に噛まれて亡くなったことは事実ですが、小宮山さんが発見された付近で、犬を連れた不審人物が相次いで目撃されているのも事実です。だからこうして、我々も捜査を進めているんですよ。」

清「不審人物だか何だか知らないけどさあ、あたしはそんなの知らないからね!…ってか、犬の扱いだってよくわかんないのに、犬で人を殺せるわけないじゃん!」

将「というと、ペットを飼ったりと言う経験は?」

清「んなもんないわよ!あたし犬とか猫とか嫌いだし、民夫も犬にはいい思い出がないって、毛嫌いしてたんだから。」―

 

一区切り話し終わる将通に、すかさずケンイチが聞く。

ケ「仕草や癖で、気になったことはなかったか?」

将「う~ん…特段気になったことはないが…そうだな、しいて言えば、やはり態度の悪さは気になったな。話をする時もマスクをつけたままだったし、ガムまで噛んだままだ。あれはどうかと思ったがな。」

そう言う将通の言葉を受けてケンイチは少し考え込んだ後、いつもの調子で言い放つ。

ケ「次の容疑者は?」 

将「2人目は、被害者の古い友人で、保険会社に勤める権田継生という男性だ。権田も清水同様、現在はアパートで1人暮らしをしている。この男は、元島が偽名を使って生活していることも知っていてな……」

再び回想のような説明に入る。

 

―将「では権田さん、被害者の元島さんとはどれくらいのお付き合いなんでしょうか?」

権「穣治とは、中学、高校が一緒で、卒業してからもちょくちょく会ったりしてましたよ。」

将「関係はご友人ということで、よろしいんですね?」

権「あー、いや……アイツ死んじゃったから言えるんだけどさ、どっちかって言ったら、俺って、アイツにとって使い勝手がいいだけっていうか、なんていうか…」

そう言いながら、権田は左腕の肘を無意識そうに押さえている。

将「というと、あまり関係はよろしくなかったと?」

権「刑事さんだって、そのこと知ってるからこうやって話聞いてるんじゃないんですか?」

将「いや、我々は犯行推定時刻にあなたのアリバイがない事と、被害者があなたに借金をしていた事を調べたうえで、こうしてお話を聞いているのですが。」

将通の話を聞いている間に、権田はそれこそ無意識に肘を抑えていた手を放していた。

権「あー、そうでしたか。まあ、両方事実ですね。その時間は家に1人でいたし、金だって、返してくれるはずなんてないけど貸すの断ったらいつも暴力奮ってくるし、俺はアイツみたいにケンカ慣れてないからそれが堪えて、それでいつも仕方なく貸してやってたんですけど、もういくら貸したかとか覚えてないんですよね。」

話しながらまた肘を押さえ始めていた権田だが、そこまで話して、権田は不思議そうに訊く。

権「刑事さん、こうして聞き込みしてるってことは、これってやっぱりアイツを狙った犯行なんですか?犬に殺されてたってのも、もう潰れちまったけど、アイツ、店持ってドッグトレーナーやってたからなんとなく繋がってるし…」

将「それはまだ何とも…ところで権田さん、あなたはペットを飼ったりとかは?」

権「ペット?…中学、高校生の頃、犬を飼ってたんですけどね、それこそ穣治がふざけて酒飲ませて、死んじまったんです。それ以来、また穣治になんかされるのも嫌で、ペットは飼ってませんよ。」―

 

ケ「さっきと同じ質問だが、仕草なんかで気になったことは?」

将「ああ、癖だと思うが、ずっと左の肘を押さえていたよ。特に元島の話をする時なんか、ギュッ…とな。」

ケ「その男、元島とのことを思い出すことが相当不安なんだな…」

路「不安?そんな意味があるのか?」

ケ「肘に限らず、話しながら体の部位を押さえる人間は、少なからず不安を覚えていることが多い。元島の話題の時に力を入れるのが、いい証拠だろう。」

海「へぇ~…」

佐武兄弟はケンイチの話に感心している様子である。

孝「ケンイチ、なんかわかりそうか?」

ケ「いや、まだ2人しか聞いていないんだ。もう少し話を聞きたい。」

いつものような、人をバカにするような感じはなくそう言うケンイチに、孝彦も自然と真剣な顔つきになる。

ケ「おい、次だ。」

将「ああ。あとの2人は、いずれも元島と同じコンビニでバイトをしていた人物なんだがな、まずはそのうちの1人、村岡嘉郎の方から話そうか。彼は今、親元で暮らしながらバイトをして稼いでいるんだがな。」

 

―将「まず、事件当日のバイトのシフトについて教えてほしいんですが。」

村「はい。あの、これがシフト表です。ちょっと見づらいですが。」

そう言って村岡が差し出したのは、シフト表を写真に撮った携帯電話だった。

将「ありがとうございます…なるほど、当日は実際にこのシフト通りだったのですか?」

村「ええ。僕は15時から21時までのシフトで、21時から2時までの小宮山くんや田代さんと、入れ替わりでした。」

将「なるほど…一応聞いていおきたいのですが、入れ替わりの正確な時間はわかりますか?」

村「21時ピッタリです。僕、どうも時間はきっちり守らないと気持ち悪くなっちゃう性質で…いや、そのせいでよく堅物とか言われたりするんですけどね。」

そう言いながら、村岡は少し恥ずかしそうに顔をかく。そんな村岡を見て、将通も思わず微笑ましく笑う。

将「なに、時間をきっちりと守れる人なんて、今の若者にはなかなかいませんよ。」

そこまで言って、将通は真剣な顔つきに戻る。

将「それで、このシフト表を見る限り、犯行のあったとされる時間は小宮山さんや田代さんの勤務時間とかぶっている訳ですが、あなたは交代した後の2人が何をしていたかなどはご存じないんですね。」

村「ええ。でもまあ、休憩時間の可能性もあると思いますよ。うちのコンビニ、基本休憩は同じシフトの人と相談して決めれますし、小宮山くん、休憩となるといつもフラッと外に出ちゃいますから……あれ?でも小宮山くんが亡くなったのって何時頃でしたっけ?」

将「コンビニの防犯カメラに最後に映った夜の10時頃から、遺体となって発見された10時半頃の、約30分の間です。」

村「あ、そっか、だから僕容疑者扱いなんですね。」

そう言う村岡に、将通は少し反応に困る顔をした。

村「いえ、別に嫌味とかじゃなくてですよ。確かに、その時間は気分転換に外を歩いてて、家を空けていたので。その間は親にも連絡入れてませんし。」

将「気分転換と言うと?」

村「いや、お恥ずかしい話ですが、大学を出てもう2年になるのに、なかなか本職が見つからなくて……それで就職に有利になるように資格を取ろうと思って、バイトが終わったら毎日勉強してるんですよ。で、疲れたらよく、休憩がてら夜の散歩に出るんです。」

将「はあ。若いのに、しっかり先を見ているんですね。それにしてもバイトと勉強の両立とは、なかなか大変でしょうに…」

ねぎらうようにそう言う将通に、村岡は嬉しそうに顔をかきながら、今度は将通をねぎらい返してくる。

村「刑事さんだって大変でしょう?これ、殺人事件だとしたらもっと忙しくなるでしょうし。いや、彼の事を考えたら、これは確実に彼を狙った殺人ですよ。」

将「と、言いますと?」

村「いや、死んだ人間を悪く言うのもなんですけど、彼、はっきり言って敵が多いタイプだと思うんですよ。仕事はいい加減だし、ちょっとしたことですぐ癇癪を起こすし、よく店で問題も起こすし……彼とはよく同じシフトか、あの日みたいに交代で顔合わせたりすることが多いんで、最初の方は僕も注意したりしてたんですけど、その度に殴ってきたり、店の棚を蹴り飛ばしたりで、もう手におえなくて……ひどい時なんか、逆恨みなのか金目当てなのかは知りませんけど、僕の財布を盗ろうとしたんですよ!その時はカバンを間違えただけとか言って、しらばっくれてましたけどね。あと、僕だけじゃなくて田代さんも彼には困ってたみたいですし。」

将「田代というと、小宮山さんと一緒のシフトの方ですね?」

村「ええ。彼女も僕や小宮山くんと同じようなシフトが多いんですけどね、前に田代さんと小宮山くんの2人のシフトの時、雑誌類が何冊か無くなったことがあったんです。その時に、最初は小宮山くんが疑われてたんですけど、その次の日に、田代さんが店長に自分がやったって言いに行ってて……僕、なんかおかしいなって思って彼女から話を聞いたんですよ。それでも最初は本当の事を言ってくれなかったんですが、小宮山くんがいない時に、自分がやったと店長に言わないと、ひどい目に合わせるって脅された、僕にこのことを相談したことは絶対に言わないでほしいと言っていて…」

将「その騒ぎの犯人は、小宮山さんだったんですか?」

村「ええ。まあ結局は防犯カメラの映像を見てはっきりしたんですがね。でも、誰かにこのことを言おうにも、そんなことしたら田代さんが僕に相談したことがバレちゃうでしょ?それで、カメラのことに気付くまではどうにもしてあげられなくて…」

将「あなたも大変でしたね。」

村「まあ、だからって殺していいなんてことはない訳ですから、今は彼も災難だな、と思いますよ、ホント…」

将「あと、もう1つだけお聞きしたいんですが、村岡さん、あなたペットを飼ったりはしてますか?」

村「ええ、インコを2羽飼ってますよ。」

将「インコだけですか?」

村「ん~、ペットって言えるかどうかわかりませんが、しいて言えばハエ取り草を一鉢育ててます。ペットって言ったらそれくらいですよ。」

将「は、はあ…ハエ取り草ですか…」―

 

ケ「敵が多いタイプ、か。しかし、それでよく容疑者を4人まで絞れたものだな。」

珍しく感心するようにそう言うケンイチに、将通は少し誇らしげに言う。

将「偶然だろうが、犯行推定時刻が短いうえに、夜とは言え深夜ではない時間帯の犯行だったからか、アリバイのある関係者が多くてな。それに、偽名を使って過ごしていたためか、元島はあまり交友関係の広い人間じゃなかったみたいだからな。元島の名前の方で奴を知っている人間は、閏台市にはほとんどいなかったよ。」

ケ「なるほどな。」

将「あと、仕草や癖なんだが、村岡は照れる時などによく頬を指でかいていたぞ。あとはまあ、時間にきっちりしているところくらいか?」

ケ「照れるというよりは、おそらく高揚による癖だろう。頬をかく行為には、感情による顔のほてりが関係しているからな。」

孝「お前、ホントに何でも知ってるなぁ……」

ケ「お前たちが無知すぎるだけだ。」

そう言われて、孝彦は怒るでもなく、痛感したような顔をする。

ケ「で、最後の田代とかいうやつは?」

将「ああ。元島や村岡と同じコンビニでバイトをしている、大学生の田代水奈子のことなんだが…」

 

―田「そうですか…小宮山さんが……」

そうつぶやく田代は、下唇を軽く噛んでいた。

将「ええ、残念ながら。それで、そのことでいくつか訊きたいことがあるのですが。」

田「はい、なんでしょう。」

将「事件当日、あなたは小宮山さんと一緒のシフトだったと聞いているのですが…」

田「ええ、あの日は21時から2時までの5時間のシフトで、交替の村岡さんと替わってからは小宮山さんと2人でした。」

将「ところで、店内の防犯カメラには10時頃から小宮山さんの姿が映っていないのですが、彼はどうしていたんですか?」

田「休憩時間です。うちのコンビニ、同じシフトの人たちで相談して休憩時間を決めるんですけど、彼、私と一緒のシフトの日にはよくほとんど外出しちゃうんで。もしかしたら、私以外の時も平気で外出してるのかもしれませんけど……」

そう言って、田代はまた唇を軽く噛む。

将「ほう……つまり、彼が休憩に入った時が、小宮山さんを見た最後ということですね?」

田「はい。」

将「その間、小宮山さんは何をしているかご存知ですか?」

田「いえ…でも、大抵お店に帰ってきた時には煙草の匂いとかしてるんで、外で煙草でも吸っているんじゃないでしょうか?」

将「そうですか。しかし、10時頃から11頃まで、あなたも小宮山さん同様防犯カメラに映っていませんでしたが、何をしていらしたんですか?」

田「お客さんがいなかったので、商品を並べたり、裏に置いてある商品を出したりしてました。……そっか、あの防犯カメラ、入り口とレジ付近しか映してませんもんね。」

将「なるほど……ところで田代さん、あなた、小宮山さんに雑誌を盗んだ濡れ衣を着せられたというのは本当ですか?」

田「え?……えっと、それは……」

将「どうなんですか?」

田「その…本当です。他にも2人だけの時とかは、掃除を押し付けられたりしますし、それに彼、人が困ることとかを、まるで子供みたいに平気でやるんです。私が目を離した隙に持ち歩いてる化粧品を市販のものに入れ替えたり……」

そう言いながら、田代は悔しそうに下唇を噛んでいた。

将「市販のものとは?」

田「私、市販の化粧品が使えなくて、それで、友達が教えてくれた手作りの化粧品を使ってるんです……ホント、あの時はまいりましたよ……同じバイトの村岡さんも、よく嫌がらせを受けてましたけど、彼、私と違ってはっきりものが言える人だから、その都度その都度、小宮山さんを問いただしてて……だからなのかなぁ、私よりは被害が少ないみたいで……」

そこまで話し、田代はハッとした。

田「あ!だからって殺したいほど小宮山さんが嫌だとか、そういう事はないですけど!」

将「わかってますよ。そうそう、あなたペットなんか飼ってたりしますか?」

田「えっと、ペット禁止のアパートなので、ペットは何も飼ってません。花を育てたりはするんですけどね。」―

 

将「そうそう、仕草や癖なんだが、田代は権田のように嫌なことを話す時にはよく唇を噛んでいたな。聞き込みの時に気付いたのはそれくらいだよ。」

ケ「唇を噛む、か…よっぽど元島を嫌悪していたと見える。」

晶「いや、話を聞いてる限りだが、あんな人間、普通みんな嫌うだろ…(汗)」

そう言う晶に、ケンイチは無言で、かつもっともそうにうなずいた。

将「どうだい?今話せるのはこれくらいだが、何かわかりそうか?」

ケ「フン…短時間で容疑者を4人までに絞ったことは褒めてやる。だが、情報が少なすぎだ、バカ。」

そう言われて、将通は怒るどころか、もっともだと言うように苦笑する。

鳩「神童!お前はもう少し礼儀と言うモノを―」

ケ「黙れ。」

いつもながら、ケンイチの一言に鳩谷は黙ってしまう。そんな空気を崩すべく、隆平が口を開く。

隆「う~ん……マスクって点では清水って女が怪しいけど、何しろ女だしな……犬って点で見れば権田って奴か?いやでも、バイト仲間ってことは一番行動を把握しやすいのは後に話してくれた2人だろうし…」

そこまで言って、隆平はケンイチの方を向く。

隆「てかよ、ペットを飼ってるかどうかは確かに重要だけど、仕草とか癖ってのなんなんだ?勉強にはなったけどよ。」

ケ「フン…そんなこと、自分で考えろバカ。」

隆「な…!」

路「まあ、確かに仕草を気にすれば嘘をついてるかとか、わかりそうだよな。」

隆「お、なるほど!」

路「あ、いや…俺もケンイチの考えはよくわからないんだけどさ…」

晶「しかし、そういうところから考えれば、怪しいのはイヤな話が出た時に癖を出した権田と田代か?」

海「でも、怪しいかどうかは別として、清水って人、警察相手にガムを噛みながらなんて態度悪いですよね!」

鳩「まったく、同じ若者でも、村岡とかいう人を見習うべきだな。今時いないぞ、あんなしっかりした若者は!」

ケンイチの近くでそんな話をする部員たちに、ケンイチは密かに耳を傾け、将通の話を思い出していた。

 

―将「話をする時もマスクをつけたままだったし、ガムまで噛んだままだ」

将「ずっと左の肘を押さえていたよ。特に元島の話をする時なんか、ギュッ…とな」

将「照れる時などによく頬を指でかいていたぞ。あとはまあ、時間にきっちりしているところくらいか?」

将「嫌なことを話す時にはよく唇を噛んでいたな」―

 

ケ「……まさか!」

陽「え?」

急につぶやくケンイチに、そばにいた陽が驚く。

陽「ケンイチくん、もしかして何かわかったの?」

ケ「ああ。確信はないが、オレたちに見えないように犬に指示を出し、操っていたカラクリが大体わかった。」

隆「マジかよ?!」

部員たちで話していたはずの隆平が1人、ケンイチの方を見て驚く。

晶「?…隆平、お前いきなりどうした?」

状況を呑み込めていない部員たちに代わってそう訊く晶に、隆平は驚いたまま答える。

隆「いや、ケンイチの奴が、口裂け男が犬を操っていた方法がわかったって言うんで!」

海「本当ですか?!」

ケ「ああ。おそらく奴は―」

ケンイチが説明しようとした瞬間だった。部室のドアが勢いよく開いた。

修「遅れてすいません!!」

晶「修丸!お前、今まで何してたんだ?」

修「いえ、実は弊踊町の3丁目まで……」

孝「はあ?!」

修「そ!その!あの…!」

路「大丈夫だ、誰も怒ってないって。」

冷静にそう言う龍路の言葉に、修丸も落ち着く。

修「あ、スイマセン……」

鳩「で、口裂け男が出現する弊踊町なんかで何してたんだ?」

修「いえ、日中だったら口裂け男も出ないかなと思って、それで何か犯人特定の手がかりでもないモノかと思いまして……なんだか、僕だけビビってばっかりで何の役にも立たないのが申し訳なくて…」

晶「修丸、お前…」

感心するようにそう言う晶だったが、次の瞬間…

ケ「で?」

修「え?」

ケ「お前は弊踊町に時間を無駄にしに行ったのか?」

修「ち、違いますよ……」

陽「じゃあ、何か見つけたの?」

修「ハイ!ほら、電信柱の後ろにこんなものが落ちてたんです!」

そう言って修丸が差し出したのは、手のひらに乗るような小さな入れ物だった。

海「なんですか、それ?」

修「さあ…でも、中にクリームみたいなものが入ってるんですよ。ほら…」

そう言って修丸が入れ物のふたを開けると、そこにはうっすら琥珀色をした、薬のようなものが入っていた。

陽「ホントだ。…きれいな黄色ね。」

孝「黄色って言うよりは、琥珀色だな。」

修「これが落ちてた場所って、口裂け男が立っていた場所でしたし、きっと口裂け男の落し物ですよこれ!」

感心するように入れ物の中身を見る部員たちだったが、将通がそれを見て言う。

将「湯堂くん、ちょっといいかい?」

そう言って修丸から入れ物を受け取ると、将通はその匂いをかいでみた。

将「なんだ、この匂い……ロウソクか?」

ケ「ロウソクだと?……ちょっと貸せ!」

珍しく感情的に、将通から入れ物を奪ったケンイチは、その匂いをかいで驚いた。

ケ「…違う!これは蜜蝋だ!」

海「みつろう?」

不思議そうな顔をする龍海に、ケンイチは謎のクリームを凝視したまま話し始める。

ケ「簡単に言えば、蜂が作る蝋の事だ。ワックスに混ぜて使ったり、他には保湿効果があることを利用して、薬用品なんかにも使われて―」

その瞬間、ケンイチの脳裏を何かがよぎっていった。

ケ「そうか、だから……!いや、だとしてもおかしい……」

陽「ケンイチくん……?」

心配そうにケンイチを見つめる陽だが、そんな2人を気にせず、部員たちは話を続けていた。

路「ん?修丸、お前ポケットから何か出てるぞ?」

修「え?あ、ホントだ…」

そう言って修丸がしまい直したのは、生徒手帳だった。

海「あ!高校の生徒手帳だ!」

晶「おい、今日は学校休みなのになんで生徒手帳なんか持ってるんだ?」

修「いや、それはその…」

言葉を濁す修丸を見て、孝彦が呆れたような顔をする。

孝「お前まさか、口裂け男に襲われた時にそれを落として、なんだかんだ捜査を手伝ってるみたいなこと言って、それを拾いに行ってたんじゃないだろうな?」

修「いや!それは…!」

晶「図星か…」

修「……(汗)はい、そうです……」

隆「お前、格好悪いぞ?」

修「うぅ…」

意気消沈してしまった修丸を見て、龍路がやれやれといった様子で苦笑しながら言う。

路「ま、あんな状況で襲われたら、モノの1つや2つ、落としても無理ないさ。」

修「龍路くん…」

龍路のフォローに嬉しそうな顔をした修丸は、ふうっと安堵にも似た一息を付いた。

修「でも、口裂け男にまで追いかけられなかっただけマシですよね。あんな大男に追いかけられたら、犬共々、あっというまに追いつかれそうですし……」

その一言に、またもやケンイチは反応した。

ケ「おい!今なんて言った?!」

その呼びかけに、部員たちはみな反応してケンイチや陽の方を向く。

ケ「湯堂、お前に訊いてるんだ!今なんて言ったんだ?!」

修「え?!えっと、口裂け男に追いかけられなかっただけマシ―」

ケ「そうか……そうだったのか!」

修「え?」

晶「おい、どういうことだ?」

ケンイチは将通から奪い取った入れ物を見せながら話し始める。

ケ「コイツの正体がわかった時、幾永の親父の話から犯人の見当はついたんだが、それでも1つだけかみ合わない事実があったんだ……だが、今の言葉のおかげで、その謎も解けた!」

晶「ホントか?!そう言えばさっき、犬を操っていた方法もわかったって言ってたよな?!」

ケ「ああ。これで、解き明かすべき謎は消えた。……行くぞ。」

陽「行くって……どこに?!」

ケ「口裂け男のもとにだよ。」

将「しかし、まだ証拠も何もないのに、問いつめるわけには……」

ケ「元島が構えていたという店、今はどうなってるんだ?」

将「え?」

ケ「だから、どうなってるんだと訊いている。」

将「今は空き家のままになっているよ……一応、鎖を使って敷地に入れないようにはしているが……それがどうしたんだ?」

ケ「なに、お前に口裂け男を示す動かぬ証拠を見せてやろうと思ってな。あと、そのために必要な、持ってきてもらいたいものがある。」

将通にそう言うケンイチに、部員たちは不思議そうな顔をするばかりだった。

 

 

 

 

5(⑨)

夕方、暗くなりかけたとある建物の中で、1匹の犬が伏せた状態でじっとしていたが、ピクリと何かに反応して状態を起こし、次第に嬉しそうに尻尾を振り始めた。そこに、1人の人影が歩み寄り、かわいがるように犬の頭をなでてやる。…と、その瞬間!まばゆい光がその人物を照らしたかと思うと、人物は咄嗟に腕で顔を隠した。

ケ「やはり来たな、口裂け男さんよ……」

人影が声の方を振り向くと、そこにはどこかに隠れていたのか、ケンイチと将通、カメラを構えた龍路が立っていた。

将「しかし、本当にここに来るとは……」

ケ「警察に対して、犬を飼っているのに飼っていないなんて嘘は通じない。なら、犯行に使った犬はどこか人の立ち入らない場所で隠れて飼っている可能性が大きい。……もともとここは元島の悪質な犬の管理状態のせいで壁中牙や爪の後だらけだ。ここなら、引き上げた後に万が一その犬がつけた傷が見つかっても、ごまかすことは容易だし、犬の声が聞こえようと、ここから逃げ出した犬が餌でも漁りに来たと思われるだろうしな。何しろ、ここは入ろうと思えば入れるとは言え、1年前から封鎖された建物。人目を忍ぶにはもってこいと言うわけだ。」

その話に、将通は納得しているような顔をしている。

将「なるほど……君の推理力は本当に舌を巻くよ。」

ケ「さあ、顔を見せてもらおうか。」

そう言うケンイチに対しても顔を見せようとしない人影に、ケンイチは少し痺れを切らしたように言う。

ケ「おい、写真は押さえたんだ。顔を見せろ。」

しかし、それでも人影は強情に顔を見せようとしない。

ケ「フン…あくまで顔を見せないと言うなら、こっちにも手はあるぜ?」

そう言って、ケンイチは懐中電灯を取り出し、その光を犬の方に向けた。すると犬はキャインと鳴き、その場でのたうちまわり始める。

田「やめて!」

そう言って犬に当たる光をかばうように犬の前に出てきたのは、元島のバイト仲間、田代水奈子だった。

将「田代水奈子……君が、小宮山民夫、もとい元島穣治を殺した犯人だったのか……!」

田代の姿、そして将通の言葉に、散らばって隠れていたメディア部のメンバーが各々驚いた顔を隠し切れずに現れる。その中で、龍海はすでにビデオを回し始めていた。

海「この人が、口裂け男……?」

晶「でもケンイチ、この人って女じゃないか!!」

隆「そうだよ!犬を使って元島を殺した犯人は口裂け男、つまり男のはずだろ?」

驚く部員たちに、田代は警戒の色を見せて犬を抱きかかえたまま、一言もしゃべらない。

ケ「口裂け男…誰が呼び始めたかは知らないが、お前にとってこれは都合のいいことだったな。いや、大方、どう見ても男の体型でない自分から疑いの目をはらすため、わざわざあんな格好をしていたのかもしれない。」

その一言に田代はなおも警戒を強め、他の部員は不思議そうな顔をする。

鳩「あんな格好って、どういうことだ?」

ケ「お前たちの中で、口裂け男の顔が見れたものはいるか?」

孝「いるわけないだろ。でっかいマスクにサングラス、それに帽子を目深にかぶってたんだからな。」

ケ「つまり、誰もアレが男だとハッキリ見えた者はいなんだ。その体躯と噂だけで、勝手に男だと思い込んでいたというわけだ。」

陽「でも待って!田代さんはどう見ても160センチだってないわ。だけど口裂け男は180センチはあったのに……」

ケ「その謎も解けている。」

冷静にそう言い放つケンイチに、みな驚きを隠せない。

晶「解けているって……何をどう頑張ったら160ない人間が180センチになれるって言うんだ!」

ケ「だから、さっきから口裂け男の格好の事を言ってるだろうが……」

呆れたようにそう言うケンイチに、晶はまだ理解できていない。

晶「恰好…?」

ケ「思い出してみろ。口裂け男はどんな物を着ていた?」

修「えっと……コートです。すごく長い丈の。」

ケ「そうだ。まるで足元を隠すかのように長い、な……」

その言葉を聞いて、鳩谷が少し自信なさそうに言う。

鳩「まさか、シークレットブーツ?……いや、まさかな(汗)」

ケ「それだ。」

鳩「え?ホントに(汗)?」

冗談交じりの発言が的を得ていたことに、鳩谷本人が驚きを隠せない。

海「なんですか、それ…?」

不思議そうに悩む龍海。

路「背の低い奴が、周りにバレないように背を高くできる靴の事だよ。結構昔に流行ったみたいだが、慣れないうちは足への負担がデカいって、使う人そこまで多くないらしいけどな。」

海「ふ~ん…でもケンイチさん、なんでそんなことわかるんですか?」

ケ「簡単だ。あの時、オレたちが口裂け男と遭遇した時、犬こそ追いかけて来たものの、男本人はまったくと言っていいほどあの場所を動こうとしなかった。顔を隠している本人はともかく、犬の写真やビデオなんて厄介なモノを撮られているにも関わらずな。」

修「そうです!最初に口裂け男を見た時もそうでした!元から立っていた場所から一歩も動かないで、犬だけがこっちに向かってきて……」

海「そう言えば、友達も口裂け男も追いかけてきた、ってことは言ってなかったかも……」

晶「でも確かに、かかとの高いシークレットブーツを履いていたとなれば、走って追いかけるのは確かに難しいな。ましてその身長なら、履いていたブーツはかなりかかとが高いだろうし……」

陽「じゃあ、口裂け男はただ追いかけてこなかったんじゃなくて……」

ケ「追いかけられなかったんだ。慣れない履物のせいでな。」

隆「……ん?でもよ、それだったら清水って女はどうなんだ?シークレットブーツを履いていたなら、ソイツだって大男に見せかけることくらいできるだろ?取り調べん時もマスクしてたらしいし。」

ケ「そうだな…だが、身長は聞いていないから何とも言えないが、他の2人の男だって、180センチないとすれば口裂け男である可能性はある……」

その言葉に、晶や隆平、孝彦などの数人が呆れる。

隆「はあ?!」

孝「おい、男も可能性はあるって……それじゃ今の話は何だったんだよ?!」

晶「そうだぞ、ケンイチ。お前、話があっち行ったりこっち行ったり―」

ケ「何もわからないようなバカは黙ってオレの話を聞いていろ。」

晶の言葉を遮ってそう言うケンイチに、晶は怒るでもなく、その剣幕に押されて黙り込んでしまった。

ケ「オレがまず言いたいこと、それは結局あの人物は男でも女でもあり得るという事だ。……だが、そんな中で犯人を特定する手がかりは、他にあるんだ。」

鳩「他…?」

ケ「おい、例の入れ物はまだ持ってるか?」

そう言われて、将通は慌ててポケットに手を入れた。

将「あ、ああ!これだろう?」

そう言って将通が取り出したのは、例の蜜蝋の匂いがするクリームの入った入れ物だった。

陽「それって、修丸くんが見つけてきた物よね?」

ケ「ああ。」

孝「結局、それってなんなんだよ。お前、部室でそのこと話しながらいきなり黙り込んじまうし…」

ケ「コイツは…手製のリップクリームだ。」

陽「リップクリーム?!」

ケ「ああ。この匂いのもと、蜜蝋が主に使われるのは、部室でも話した通り、ワックスや薬用品、そして化粧品だ。」

海「そう言えば、田代さんは手作りの化粧品を使っているって……」

ケ「リップクリームだけが手作りというのなら、こだわりということも考えられる。だが、市販の化粧品全般がダメだと言うのはおそらく、プロピレングリコールに対するアレルギーだろう。」

その一言に、田代は再び警戒の色を高める。

隆「プロペラ…?」

ケ「違う。プロピレングリコールだ。…コイツは市販されている多くの化粧品に含まれている保湿剤であり、同時に、市販の化粧品が使えないという人間が拒否反応を起こす物質の事だ。化粧品に対するアレルギーと言えば、まずコイツから疑うのが妥当なとこだろう。」

路「でも、それこそ手作りの化粧品を使ってるってのもこだわりなんじゃないのか?それだけでアレルギー体質なんて…」

ケ「お前、容疑者たちの癖の事、忘れてないか?」

路「癖?…ああ、肘押さえたり顔かいたり、唇噛んだりってヤツか?」

将「まさか、唇…」

ケ「気付いたか?確かに何も知らずにその様子を見たんじゃ、悔しさや嫌悪から唇を噛んでいたとも取れる。だが、おそらく田代は体質に合ったリップクリームを無くした状態で唇の渇きを我慢できずに、嘗めていただけだったんだ。どこでも買えるような市販のリップクリームも使わずに、そんなことをしているとなれば、おのずと答えは見えないか?」

将「市販のものはアレルギーを起こすから使えなかった。そういうことだね?」

ケ「ああ。やはり、癖を訊いておいたのは正解だったよ。蜜蝋の匂いからコイツがリップクリームだと分かった時、同時に田代が怪しいと思えたのは、お前からアイツの癖を聞いていたおかげだからな。」

少しだけだが、感謝するような顔でそう言うケンイチに、将通は少し照れくさそうな顔をする。

ケ「あとは、アリバイだが、これは説明するまでもないだろう。客も他の従業員もいないコンビニから、元島を現場に連れ出し、ここで密かに世話をしていたその犬を使って殺させ、できるだけ急いで、客が来ないうち、もしくは来ていたとしても怪しまれないうちに店に戻った。違うか?」

そう言われ、田代は悔しそうにケンイチを見据える。

ケ「反論なし、か……まあ、写真に撮られた犬の世話をしに来たところを見られちゃ、言い逃れはできないだろうがな。」

軽く勝ち誇るようにそう言うケンイチに、鳩谷が少し慌て気味に言う。

鳩「待て、神童!お前、1番大事なことを説明してないじゃないか!」

そう言う鳩谷を面倒くさそうに見たケンイチや、不思議がる部員たちを苦にせず、鳩谷は続ける。

隆「なんスか?大事な事って……」

鳩「そりゃ、口裂け男がどうやって―」

そう言いかけた鳩谷を、ケンイチは片腕を伸ばして制した後、やれやれと言わんばかりの顔でポケットに手を突っ込み、左手で何かを掴み、右手でマスクを取り出した。

陽「ケンイチくん、何するの?」

ケ「黙って見てろ。今から、口裂け男が犬を操ったカラクリと同じことをしてやる。……まあ、オレにできるのはあの犬を反応させるくらいだろうがな。」

そう言ってケンイチは左手を口元に宛てたままマスクをつけ、そっと左手をマスクから抜いた。そしてうつむいていた顔を挙げたその瞬間だった。

ウウゥウゥゥ!

犬が低い唸り声をあげたかと思うと、まるで興奮するかのように落ち着きを無くし始めた。

修「い、犬が唸り始めました…!」

晶「おい、襲ってくるんじゃないだろうな!」

未だ唸り声をあげる犬を見た田代は慌てて犬をなだめようとするが、すぐに犬は落ち着き、田代は不思議そうな顔をしてケンイチを見た。すると、ケンイチはすでにマスクを外し、その手に銀色のホイッスルのようなものを持っていた。

ケ「これが、口裂け男が犬に合図を送るために使っていたカラクリ……犬笛だ。」

孝「犬笛って、犬の訓練に使うあれか?」

ケ「ああ。」

隆「なあ、俺にも分かるように説明してくれないか?」

まるで答えがわかっていないことを開き直ったようにそう言う隆平に、ケンイチは珍しく普通に答え始める。

ケ「犬の優れた能力といえば、まず間違いなく嗅覚だろう。だが、嗅覚には劣ろうとも、犬には人間に比べてはるかに優れた聴力も備わっている。そして、この犬笛は人間には聞こえず、かつ犬には聞こえる音を出すことができ、この音の組み合わせで指示を送ることができるんだ。…オレの場合、田代がどんな音の組み合わせでその犬を訓練させたかは知らねえから、犬の反応をあおる程度だったがな。」

修「でも、そんなものよく持ってましたね。」

将「いや、ここに来る前に神童くんに頼まれてね、ペット関連の品を扱っている店によって買ってきたんだ。」

孝「なるほど、さっき親父に頼んでたことって、これのことだったのか。」

感心する孝彦に、ケンイチは笛を口の前まで持ってきて、マスクもゴムをかけずに笛ごと口にかぶせるようにして言う。

ケ「これをマスクで隠しちまえば、合図の出所はわからない。」

そう言って、ケンイチはマスクと笛を口前から外した。

ケ「……顔を隠しつつ、合図も隠す。よく考えたもんだぜ。」

言葉とは裏腹に、ケンイチの口調からは微塵も感心している様子はうかがえない。

将「しかし、確かに君の話はすべて筋が通っているが、いかんせん証拠がない。確かにあの犬の世話をしに来た時点で十分怪しいが、いわゆる物的証拠が…」

そう言う将通を見ることもなく、ケンイチはすっと犬笛をくわえた。

陽「ちょっと、ケンイチくん……?」

陽がそう言うや否や、犬は先ほどとは打って変わって、まるで狂ったかのように田代の手を抜けた。

田「あ!!レンタ、待って!レンタ!!」

そう言って田代が驚いている間にも、レンタと呼ばれた犬は狂ったように屋内を走り回り、次第に壁と言う壁に体をぶつけはじめる。

海「いきなり、どうして…!?」

晶「おい、お前何やって―」

そう言いかけた晶は、ふと田代の方を見て言葉を失った。そこには、ケンイチの吹いているものとよく似た笛をくわえた田代がいて、そしてレンタはまた穏やかに田代の方へと歩き始めていたからだ。

路「笛だ…」

隆「じゃあ、じゃあホントにあの人が……」

驚く部員たちの目もくれず、田代はまるで怖い目にあった子供をなだめるかのようにレンタを抱いていた。

田「あなたひどいわ。そんな高い音でレンタを怖がらせるなんて……私、あなたに何も反論してないじゃない…」

ケ「フン…黙認は反論も同じだ。ソイツが暴れまわったのは、お前の責任じゃないのか?」

田「私の責任…?」

億劫そうにケンイチを見た後、田代は自嘲気味にため息をついた。

田「そうね、確かに何の罪もないこの子を人殺しの道具にした時点で、責任はすべて私にあるのかもね。」

将「では、認めるのか?」

田「認めるも何も、その子が言った通り、レンタの世話をしにここに来たところを見られた時点で、私は覚悟を決めてたつもりです。ただ、その子の話が、まるで見て来たかのように当たってたから、つい聞き入っちゃって。それが反論だなんて言われるとは思いもしませんでしたけど。」

将「……。やはり、バイトでの嫌がらせが原因か?」

そう言われて、田代はなおも自嘲するような笑みを漏らす。

田「私、そんなに弱そうに見えます…?まあ、実際弱いからそう見えるんだろうけど……」

孝「あの、よかったらそのこと、訊いてもいいですか?」

孝彦にそう言われ、田代はレンタの頭をなでながら話し始めた。

田「ええ、こうなったら、あの男が私の母にしたことを、話さないとね…」

そう言う田代に、部員たちは注目する。

修「母にしたこと…?」

田「あの男……本当は元島っていうみたいだけど、アイツは4年前に私のお母さんを殺したのよ。」

晶「殺したって……元島は2年前までドッグトレーナーをしていたんじゃないのか?人を殺したと言うなら、悠長にそんな事できるはずないんじゃ……」

田「あの時は、警察に通報できる状況じゃなかったのよ。どっちにしたって、証拠も証言者もなし、にわかには信じがたいような犯行だったし……」

路「信じがたいってのは?」

田「あの男は、今回の私と同じ方法で母を死に追いやったのよ。犬を犬笛で操って、私たちを襲わせて……それも、面白半分の遊び心でね!」

そう言った田代は、ひどく怒りの感情をあらわにしていた。そして、思い出すかのように語り始める。

田「生まれた時には、すでに父が病死してていなかった私にとって、お母さんは唯一頼れる存在だった……女手1つで私を一生懸命に育ててくれて、私はそんなお母さんが大好きだったわ……」

 

 

 

 

6(⑩)

―田代は4年前のことを思い出していた。

田(M)「4年前、私たちは閏台市からは遠い町で暮らしてたわ。その頃受験生だった私は予備校に通っていて、帰りはいつも遅かったからお母さんが迎えに来てくれていたの。あの日もそうだった。」

人がまばらに出てくる予備校の前に、数人の親たちが子供が出てくるのを待っている。そして予備校から出てきた1人の女生徒がその中の1人の女性に気付き、嬉しそうに駆け寄る。

田「お母さん!」

母「水奈子、お疲れ様。」

そう言ってほほ笑む母に、田代も嬉しそうに笑った。

 

街灯の灯りが頼りである路地を2人で歩く母と田代は、ふっと通りがかった公園の方に目をやった。そこには、1人の男、当時の元島が笛を用いて犬を訓練していた。

母「あら、こんな時間に何してるのかしら?」

田「なんか笛みたいなの吹いてるし、犬の訓練とか?」

母「そうね、きっとそうかもね。」

母はそう、田代に優しく微笑みかける。

田(M)「最初はそんな程度にしか思ってなかった。だけど、アイツはそれから毎日その公園に犬と共に現れたの。」

 

田代たちが元島を見てから数日後、元島はいつもと同じような時間に犬を連れて公園に来ていた。

田「ねえ見て、今日もあの人いるわ。……わざわざ、こんな夜に来なくてもいいのに……」

母「日中は忙しいんじゃない?…それにしても、毎日なんて熱心な人ね。」

田「でも、一体どんなことを訓練してるのかな?」

母「さあ…?」

田(M)「その時に気付いていればよかったのに。あの男が犬に何をさせようとしていたか……!」

 

それからまた数日後、いつものように公園の前を通ろうとした田代と母だったが、その日だけはいつもと違い、元島と犬は公園の入り口に立っていた。その日に限り、元島はマスクをしている。

母「あら、あれっていつもの人じゃない?」

田「ホントだ。どうしたんだろう…」

その声を聞いて、元島は2人に対して口を開いた。

元「なあ、あんたらいっつもこの道通ってるけど、なして?」

そんな元島に、母は優しく答える。

母「この子の塾が終わるのが遅い時間なので、迎えに来てあげてるんです。」

元「ふ~ん、塾ねぇ。あんた偉いねぇ。」

無関心層に田代にそう言う元島だったが、田代は警戒して母親の後ろに隠れ気味になる。

母「あなたも最近、よくここに来てますよね?何をしてるんですか?」

そう言う母に、元島はニヤリといたずらっぽい笑みを浮かべた。

元「……あんたらさ、自分の意のままに犬を操れたら面白いと思わない?たとえば、自分に代わって嫌な奴を噛み殺してくれたりとか、さ。」

元島はそう言うと、ポケットから何かを握って取り出し、それを握った左手をマスクの中に入れた。それから程なくして、先ほどまでおとなしくしていた犬が、いきなり唸り声をあげて2人へと近寄り始める。

田「やだ、こっち来るよ!」

母「ちょっと、あなた何を?!」

怯えはじめる2人を見て元島はなおニヤニヤと笑っている。そして、ついに犬が走り始めた。それを見た母は慌てて田代の手を引いて走り始める。

田「なんで?!なんで追いかけられるの?!」

母「わかんないけど、止まっちゃダメ!止まったら―!」

そう言いかけ、母はいきなり田代を突き飛ばした。

田「お母さん?!…あ!」

驚いた田代が目にしたもの、それは犬にのしかかられた状態で腕を噛まれている母の姿だった。

田「お母さん!…お母さん!!」

必死になって犬を離そうと引っ張っても、犬は微動だにしない。と、そこへ元島が歩いてくる。それに気付いた田代は、犬を引っ張り続けながら元島に言う。

田「ねえ!なんでこんなことするの?!この犬、なんとかしてよ!」

そう言われて、元島は相変わらずの調子で答える。その声は、まるで煙草でも咥えているかのような調子だった。

元「なんでって、さっき言ったじゃん。犬を操れたら面白いだろうって。」

田「でも、なんで私なの?!私たち、あなたに何かした?!」

元「別に。あんたらはただの実験台。」

田「実験台?!」

元島の一言に、田代はひどいショックを受けた。

元「夜な夜な調教するのはいいけどさ、いざ実戦ってなってうまくいかなかったら嫌じゃん?だから、決まってこの時間にここ通るあんたら使って実験しようかなって思ってさ。」

田「……こんなことして、あなた絶対捕まるんだから!」

そう言った田代に、元島は威圧的な目線を送る。

田「あ…!」

元「お前、俺のこと通報する気か?」

田「え、いや……」

元「実験だからさ、せっかく半殺しで済ませようかと思ったけど、それならお前ら2人とも殺さなきゃな。」

田「……」

薄ら笑いを浮かべてそう言う元島に、田代は涙を流して言った。

田「……しないから」

元「ああ?なんだって?」

田「通報しないから!だからお母さん助けてよ!!」

その言葉を聞いて、元島はまたニヤリと笑った。すると、犬は大人しくなって元島のもとへ戻ってくる。

元「今の、嘘じゃねーだろうな?」

田「え、ええ……」

田代の答えを聞いて、元島はマスクから犬笛を吐き出し、それをポケットにしまった。

元「まあいいや。助かったからって通報したら、お前ら死ぬぞ?コイツはもうお前らの匂い覚えたからな。それに、この町にゃあ予備校なんて1つしかねえんだから、いくらでもお前らに辿り着く方法はあるんだよ!」

そう言い放つ元島を、田代はただ涙目で睨むことしかできなかった。

元「しっかしまあ、実験協力どーもありがとうございました、お2人さん!…アハハハハ!!」

そう高らかに笑いながら、元島は去って行った。―

 

田「私は元島の言葉が怖くて、警察には何も言わなかった。お母さんも、病院には野犬にかまれたと言ってかかったの。でも、結局お母さん、狂犬病を発症して死んじゃった……」

将「まさか、元島は狂犬病にかかった犬でそんなことをしていたと言うのか!?」

その言葉に、田代は小さくうなずく。

田「ええ。あれより先にも後にも、お母さんは動物に噛まれたりなんてしてないもの。そうとしか考えられないでしょ?……だから、お母さんはあの男に殺されたも同然なのよ。」

田代の話を聞きつつ、隆平は少し不思議そうな顔をする。

隆「でも、狂犬病って犬の病気じゃないのか?」

ケ「フン…狂犬、なんて名ばかりだ。狂犬病は人間を含めたすべての哺乳類が感染するんだからな。」

隆「え?!マジかよ?!」

ケ「ああ。ウイルスに感染した動物に噛まれた場合、噛み傷から唾液を介して高い確率で感染する。そして、感染すればまず間違いなく死亡する。」

鳩「だが、犬を飼う時は狂犬病の予防接種が義務付けられてるんじゃ…」

ケ「飼い主を考えてみろ。悪徳ドッグトレーナーが、毎年打たなければいけない予防接種を飼い犬に受けさせると思うか?」

鳩「そ、そうか……確かに、その元島と言う男ならありえないな…」

将「確かに奴の店がつぶれた後に慈善団体に引き取られた犬たちの多くが、狂犬病に感染していたという報告もある……元島の奴、なんてことを……!」

田「……。お母さんが死んじゃったんだもの、たとえ殺されたってどうなってもいいと思って警察に相談したんだけど、名前も何も知らなかったうえに、その時にはすでにアイツはあの町から逃げていたから、もう手遅れだったわ。…それからは本当に辛かった。唯一の心の支えだったお母さんを失って、それでもこのご時世、大学に行かなきゃ就職なんてできないから必死で勉強して、なんとか大学に入っても学費は自分で稼がなきゃいけないから、勉強とバイトの両立もしなくちゃいけないし……。だけど、いつか必ずあの男を見つけ出して、お母さんの仇を討ってやる!その想いだけは忘れなかった……」

将「では、君は小宮山が元島だと知っていて、奴を殺す機会をうかがうためにあのコンビニでバイトを?」

田「いいえ、それは偶然です。もともと先にあそこでバイトを始めたのは私の方だし、仇を討つって言っても、殺すなんてことは少しも考えてなかったわ。……あの男にあんな事を言われるまではね。」

 

―田(M)「2年前、あの男が新人バイトとしてやってきた時、その顔を見て私はすぐにあの日の男だと気づいたの。それで、なんとなく探りを入れてみたのよ。」

  バイトをしながら、客がいないことを見計らって、田代はダルそうに仕事をさぼっている小宮山(以下、元島)に訊いてみる。

田「あの、小宮山さん……あなた私の事覚えてます?」

元「あん?いきなりなんだよ……」

田「いえ、私このバイト以外でもあなたに会ったことがあるんですよ……」

元「知らねーよ。お前なんて……」

興味なさそうにそう言う元島に、田代はとびきり憎悪のこもった声で言う。

田「人殺し……」

その一言に、元島は確実に反応した。

元「な、何のことだよ……」

そう言う元島に、田代は元島の顔を見ながら言う。

田「私のお母さん殺しといて、しらばっくれる気ですか?」

そう言う田代をじっと見て、元島は思い出したかのように驚く。

元「お前、あの時のガキ!」

そう言って、少しして「あ…」と漏らして元島は慌てて口を押える。

田「やっぱり、お母さん殺したのあなたですよね?!」

元「ま、待てよ!俺、確かに犬にお前ら襲わせたけど、ちゃんとやめさせたじゃねーか!殺したってなんなんだよ?!」

そう言う元島に、田代は怒りをあらわにして言う。

田「あなたの連れてた犬、狂犬病にかかってたの。それで、お母さんそれに感染して死んじゃったのよ!!……あなたが殺したも同然じゃない!!」

そう言う田代に、元島はそっぽを向いて、先ほどよりも落ち着いた声で言う。

元「じゃあなんだよ?今から警察に通報するってか?」

そんな元島に、田代は自嘲気味に笑って言う。

田「前も同じようなこと言ってましたね。それで、通報したら死ぬぞって脅してきて……」

元「あん?そうだっけ?だったら今回も同じこと言ってやろうか―」

田「私、殺されても構いませんから。」

元島の言葉を遮ってそう言う田代に、元島は少し驚いた。

田「たった1人の肉親殺されて、もう私が死んでも悲しむ人もいないし……」

その言葉を聞いた元島は、しばらくの無言の後に悪賢そうに口元をあげた。

元「だったら、お前の大学の人間、あん時みたいに犬使って闇討ちしてやろうか?」

田「え…?」

いきなりの言葉に、田代は驚く。

元「お前が死んで誰も悲しまないならさ、誰か殺してお前を悲しませてやるって言ってんだよ。……どーせ捕まるんでも、お前だけ殺すより、もっと面白いことした方がマシだしよ!」

元島の言葉に、田代は何も言い返せない。

元「この前、お前村岡と大学の話してただろ。だから知ってんだぜ?お前がどこの大学で何習ってるか。」

そう言って、元島は一気に勝ち誇ったような顔をする。

元「俺の事通報しようと思ってたんなら、あれはうかつだったんじゃね?……まあ、お前って仕事でも結構抜けてるし、しゃあねえか!」

そう言って、元島は何か思いついたように言う。

元「そうだ。お前、毎月10万よこせよ?」

田「じゅ、10万円?!どうして?!」

元「払えないってんなら、闇討ち、実行するぞ?」

田「!」

元「いくら大学生っつったって、それくらいならあるだろ?……本当はもっと欲しいところだが、10万で勘弁してやるって言ってんだよ。優しいだろ?」

田「……」

元「おい、どうすんだ?」

田「……払ったら、誰も襲ったりしませんか?」

うつむいたままそう言う田代を見て、元島は嬉しそうに話し出す。

元「いやぁ、お前があん時のガキだってわかった時はヒヤヒヤしたけどよ、コイツはいい金蔓ができちまったなぁ!……頼んだぜ、金蔓ちゃん?」

そう言って田代の肩を叩く元島だったが、田代はそれに対して答えることも、顔を上げることもなかった。―

 

田「あれ以来、あの男は毎月のように私からお金を巻き上げていった。…でも、自分の稼ぎでは限界なんかすぐに来て、それでも払わないと私の知り合いを闇討ちするって言うから、もう、お母さんが残してくれたお金に手を出すしかなかった……でも、お母さんが残してくれた大事なお金をあんな奴のために使うなんて、我慢できるはずないじゃない!だから、もう殺すしかないと思ったのよ……!あの男と同じ手を使って、あの時とは違って息の根を止めてやろうって!」

涙を目にためながらそう叫ぶ田代に、まるで同情するようにレンタが小さく鳴いた。

田「レンタ……」

その様子を見て、修丸が訊く。

修「その子、田代さんの犬なんですか?」

田「もともとは違うわ。あの男がコンビニでバイトをする前にここでやっていた犬のしつけ代理店がつぶれた時に店に残されていた犬の1匹よ。」

晶「じゃあ、元島がドッグトレーナーだったことは知ってて?」

田「あの男にお母さんの話をした後、アイツが今まで何をしていたかを調べていたらあの店の事を知ってね、しかもそこに残されていた犬たちを保護して里親を探している慈善団体があることもわかって、どうせならアイツにひどい目にあわされた犬を使ってやろうと思って引き取ったの。犬笛の使い方も訓練の仕方も、全部独学だったからうまくいくかわからなかったけど、この子、全部ちゃんと覚えてくれたわ。あの男の犬だったなんて思えないくらい、物覚えのいい子なんだから……」

そう言いながら、田代はレンタの頭をなでてやる。するとレンタは嬉しそうに小さく鳴く。

ケ「なるほどな、口裂け男の出現理由は、怪人物は男だという噂を広げるだけでなく、元島同様に通行人を使って練習をしていたと言う訳か。」

そう言われて、田代は少しムッとする。

田「あんな奴と一緒にしないで!私は、誰も傷つけてはいないわ……あの男以外は絶対に傷つけないようにしたもの!」

ケ「寝言は寝て言え。」

田「え…?」

ケ「お前と元島が違うだと?フン…死んだ人間が誰かなんて関係ねぇ。だけどな、教えられることの意味も知らずに、ただ純粋に主人を慕っているだけの犬を殺人の道具にしたお前と元島に、何の違いがあると言うんだ。」

その一言に、田代は目にためていた涙がついにあふれ出した。そして、主人がなぜ泣いているのかもわからないレンタは、ただ困ったようにその涙を嘗めている。

ケ「人を殺して仇を討つ?笑わせるな。お前のしたことは、信じていた主人に道具にされ、裏切られた哀れな犬を生み出しただけだ。」

追い打ちをかけるようにそう言うケンイチに、田代は涙を流したまま静かに立ちあがりながら言う。

田「そうよね……レンタは何にも悪くないのに、私の事こんなにも信じてくれているのに……私、結局はあの男と同じことをしちゃっただけだったのね……」

そう言って、田代はレンタをその場に残し、静かに将通のもとへと歩き出した。その行為に、レンタは寂しそうに一声鳴く。

将「……署まで、同行願おうか。」

静かにそう言う将通に、田代はうなずいた。

そして、将通と田代は店の外へ出ようと歩き始めたが、ふと田代は立ち止まり、部員たちに背中を向けたまま言った。

田「ねえ……君、なんていうの?」

田代の言う「君」と言うのが誰の事なのか、その場にいる全員がそれを理解していた。

ケ「オレは、神童ケンイチだ。……その小せえ脳みその隅にでも入れておけ。」

その一言に、声は出さずとも何より驚いていたのは陽だった。

田「ケンイチくん……もっと早く口裂け男とあなたが出会ってたなら、元島を殺す前に私の正体、気づいてくれてたのかなぁ……」

背中越しにもわかる、それは涙声だった。

ケ「フン…寝言は寝て言えと言ったはずだ。いつ出会っていようと、お前のその心の弱さがある限り、その犬は殺人の道具と化していた。それは事実だ。」

田「そっか……」

涙声のままの田代に、ケンイチは再び口を開く。

ケ「だが、犬と言うのはお前が思っているよりもずっと賢い動物だ。本当に弱い人間に、ここまで信頼を寄せることはしないだろう……」

田「!」

その一言に、田代は驚き、そしてたまっていた涙を一気に流した。

ケ「忘れるな。この犬は、お前の苦しみを共に背負った、お前の友だ。決して道具なんかじゃねえ。」

陽「ケンイチくん……」

ケンイチの話を聞いて、陽は哀しそうに、しかしもっともそうにつぶやいた。

田「わかってる……わかってるわ、そんなこと……」

小さくそう言って、田代はまた歩き始めた。部員たちは、その背中をただただ見送るだけだった。

 

路地がうす暗くなるころ、陽とケンイチは家に向かって歩いていた。

ケ「宗光……」

今まで黙っていたケンイチが急に口を開く。陽は少し驚いたものの、すぐにやさしい口調で聞き返す。

陽「なあに?」

ケ「お前は何に驚いた。」

陽「え?」

ケ「田代がオレの名を聞いてきた時、お前はひどく驚いていた。何に驚いたんだ。」

陽「……その名前、ケンイチって名前、受け入れてくれたんだなぁって思って。」

その答えに、ケンイチはほぼ無表情ともいえるような顔で陽の方を向く。

陽「あなたのことをケンイチくんって呼んでも、ヨシくんの名前で呼ばれていた時みたいに嫌がらないではくれてたけど、でも、なんだか、仕方なしに何も言わないのかなって思ってたから……」

そう言う陽は、とても心配そうな顔をしていた。

ケ「くだらないことで悩みやがって……」

陽「だって……」

ケ「オレはこうして存在する。だが、賢一でもねえ。……だったら、名前を持たねーとややこしい。そんなことを最初に言ったのはお前だろうが。」

そう言うケンイチに、陽は少し懐かしそうに話し始める。

陽「前に、名前なんて必要ないって言ってたよね?……今はもう、そんなこと思ってないんだよね?だから自分の名前を―」

陽が話している最中、ケンイチは急に早足になって陽を追い越した。

陽「あ、待って……」

陽のその言葉でケンイチは立ち止まった。

陽「もう、置いてかないでよ……」

そう言って陽がケンイチの肩に手を置くと、それに気付いて振り向いたのは……

賢「ゴメン……」

その顔を見て、陽は驚くよりも嬉しそうに微笑んだ。

陽「……。おかえり、ヨシくん。」

そう言う陽に、賢一は少しくすぐったそうに胸に手を当てて言う。

賢「ケンイチ、恥ずかしそうだった気がする…」

陽「え?」

賢「名前、やっぱり気に入ってくれてるんじゃないかな?なんか、照れてるとこを見られたくなくて、それで急に戻っちゃったみたいだし。」

そう言って微笑む賢一に、陽も嬉しそうに微笑んだ。

陽「そう……」

陽(M)「ケンイチくんが何者なのか、まったくわからないまま。また、事件を解決してヨシくんの中に戻っていった……でも、今回は彼とヨシくんの共通点を見つけれた気がする。ヨシくんやみんなを守るために咄嗟に出てきてくれたり、田代さんを最後には言葉で救ってあげたり……そして、私のあげた名前を捨てないでいてくれたり……形は違うけれど、2人とも、誰にも負けない優しさを持っているって共通点を……」

 

​⑮

晶「引き取ったぁ?!」

数日後、メディア部の部室に響き渡るような声でそう言う晶に、いつも以上に修丸がビビリ上がっている。

修「あ!いえ!その!」

孝「事実に対して、何が「いえ!」だよ……」

修「いや、だってぇ……」

半泣きでそう言う修丸だったが、それを見て罪悪感を覚えたのか、少し口調を柔らかくして晶が聞きなおす。

晶「で、あの犬引き取ったって本当なのか?」

修「あ、はい。なんだかレンタがどうなったのか、あれからずっと気になっちゃって、孝彦くんに訊いたら、引き取ってくれる慈善団体か里親を探してるっていうから……」

孝「しかもコイツ、田代さんが刑期終えて出てきて、犬を飼う余裕があるようだったら、レンタを彼女のもとに帰してあげたいって言うんだぜ?」

修「レンタ、田代さんの事が大好きなはずですからね、だったら今回の事件を知っている人が預かった方がいいのかなって思いまして。それに家、もともと犬は飼ってるんですけど、もう1匹くらい飼おうか?って話も前から家族で出てましたし!」

隆「だからって、まさか修丸が引き取るとはなぁ。」

意外そうにそう言う隆平に、修丸は少し怪訝そうに言う。

修「どーいう意味ですか?それ!」

隆「別にぃ……」

路「で、しつけはできそうか?」

修「いえ、まだ全然懐いてくれないし、トイレとかも覚えなくて……やっぱり飼い主が変わって、レンタも大変みたいで。」

海「あれ?でもレンタってすごく物覚えがいい、みたいなこと、田代さん言ってませんでした?」

路「言ってた、言ってた。」

隆「ってことは、修丸のしつけが悪いってことか!」

孝「いや、しつけ以前に人としての威厳の問題だな、こりゃ。」

晶「ソイツは言えてるな!」

晶の一言に、部員たちはみんな笑いだす。

修「ちょっとぉ~!……みんなしてひどいです(泣)」

そんな中、大笑いではなく苦笑気味の賢一と陽は、いつものようにこそこそと話し合っている。

賢「センパイ、なんかかわいそう…(汗)」

陽「でも、威厳の問題ってのはその通りな気もするけど。」

そう言い合ってから、2人は顔を見合わせておかしそうに笑いだす。

修「あ~、賢一くんに陽さんまで~(泣)」

そう言われながらも、2人は笑いをこらえられない。

陽(M)「こんなこともあって、レンタの事も含め口裂け男の事件は解決しました。……私たちがこうして笑っていられるのも、こうしていつもと同じ、ヨシくんの笑顔が見られるのも、きっとケンイチくんが事件を解決してくれたから。その事実があるのなら、彼の正体なんてわからなくてもいい。名前を、自分の存在を受け入れてくれただけでいい……少なくとも今はそう思えます。」

アンカー 1
アンカー 2

第2話 Fin

~To Be Continued~

 

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