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表裏頭脳ケンイチ

第8話「始まりの再来と終焉の訪れ」~後編~

 

⑬(3)

―智「ねえお父さん……この子の名前は?」

眠っている赤ん坊を抱いて、ひどく不機嫌そうにソファに座っている父親の背を見ながら立っている、小学生くらいの女の子がいる。

智司(司)「名前……?そんなもの、必要ない。」

智「ちょっと、何言ってるの?!……それって、この子を産んでお母さんが死んじゃったから?そんなのこの子は悪く―」

司「悪くない?!…ふざけるな!!その化け物が生まれなければ香莉は死ななかった!!お前だって香莉を殺されて悲しんだだろう?!なのに……」

勢いで立ち上がり、そこまで怒鳴っておいて、智司は急に罪悪感にさいなまれたような顔をする。

司「ああ、すまない智香子……お前は悪くないんだ、そんな顔をするな……悪いのはすべてその化け物―」

智「そんな言い方しないで……」

司「なんだって……?」

智「私の弟を、化け物なんて言わないで!!」

本気で怒る智香子に、智司はどうしようもなく困ってしまった後、すぐに不機嫌そうに智香子に背を向けて再びソファに座る。

司「オレは……名前なんて付けないからな。」

智「お父さんがつけないなら、私がつけるから。」

力づよくそう言い放ち、智香子は父のいるリビングを後にした。―

 

父と言いあった日の翌朝、朝早くに起きて机に向かって何かを考えている智香子は、椅子に座ったままふっと後ろを振り向いた。

智「あ、おはよう!」

「おはよう…」

たどたどしくそう返すのは、智香子のベッドから智香子を見ていた赤ん坊だった。

智「あのね、君の名前を考えたんだけど、聞いてくれる?!」

「名前?」

嬉しそうにそう言う智香子に、赤ん坊もどこか嬉しそうな顔をする。

智「そう!これ、ヨシカズって読むんだよ!」

そう言って、智香子は机の上に置いておいた紙を見せる。

「ヨシカズ……」

智「そう!あのね、この字は私の智って字と同じで、頭のいい人を表す漢字でね、こっちはね、あなたは世界で1人だけだよ!って意味。…どうかな?」

「いいの?名前……」

たどたどしくも嬉しそうな赤ん坊に、智香子も嬉しそうに言う。

智「もちろん!……もらってくれるのね!ありがとう!賢一くん!」

賢「ありがとう……」

おそらく、もっとしっかりとした会話をしたかったのだろう。だが、体の成長が脳に追いつかないせいで、この時この赤ん坊は、言葉も短いながらに、自身の感情を必死に伝えようとしていた。―

 

ケ「智司は、たどたどしくも生まれながらに会話を成せる賢一を化け物と罵倒するだけで名前を与えることもなく、愛情も欠片すら与えずに過ごしてきた。そして皮肉のように、妻の、香莉の面影のある智香子を溺愛していた。…だが、賢一を弟と認め、大事に思っていた智香子との衝突も増え、智司はますます賢一を憎むようになっていったんだ。」

 

―賢一が2歳になった後のことである。

司「智香子、オレはお前のことを心配しているんだ。あんな化け物にかまっていたら、お前もいつか香莉のように不幸になるかもしれないんだぞ?」

智「不幸って何?……ヨシくんのことを悪く言われることの方が、私にとってよっぽど不幸よ!」

司「智香子!!」

怒鳴られ、智香子は泣きそうな顔をする。そんな智香子を見て、智司は急に罪悪感にさいなまれる。

司「わかってくれ、オレはお前が大事だから……」

智「私のことが大事なら、ヨシくんのことも大事にしてよ!」

そう言って、智香子は自室のある2階へと駆け上がっていく。そして、階段を上り終えたところで、悲しそうな顔をしている賢一と鉢合わせた。

賢「ごめんね……僕のせいで、ちかがお父さんに怒られちゃうね……」

そんな賢一を、智香子は優しく抱きしめる。

智「ヨシくんのせいじゃないよ……私は平気だよ……」

そして、賢一の顔をじっと見る。

智「そうだ、今日お父さんが寝た後にさ、ちょっとお出かけしよっか!」

賢「お出かけ?」

智「そ、お出かけ!」

 

その日の夜、智香子と賢一は人気のない公園のベンチに並んで座っていた。……高校生になった賢一が、度々夢の中で見た公園だった。

智「誰もいない公園って、なんか気持ちいいね!」

賢「うん……」

智「ほぉーら、せっかく出掛けたんだからもっと楽しもう?…あ、それとも本当は面倒くさかった…?」

心配そうにそう言う智香子に、賢一は慌てる。

賢「違うよ!ちかと出掛けられてすごく嬉しい!……嬉しいけど……」

そう言って、賢一はうつむいてしまう。

賢「僕がいなかったらお母さんは死ななかったし、ちかだってお父さんに怒られることもないだろうし……やっぱ、僕はいらない存在なんだよ……―!」

そう嘆きながら、賢一は小さく驚く。智香子が、優しく力強く賢一を抱いていたのだった。

智「いらない存在だなんて言わないで……私は、ヨシくんが必要なんだから……」

賢「……ごめん……ありがとう……」

そう言う賢一は、静かにも泣いていた。―

 

ケ「智香子ほど賢一を理解し、愛してくれた人間はいなかったよ。そして賢一も、智司にろくに外出を許してもらえなかったこともあってか、智香子以上に自分を愛してくれる人間には出会えなかった。」

静かにそう言って、ケンイチは部員たちを見回す。

ケ「気付いているか?…賢一は、姉としてではなく、男女として宗光を想っている。そして、宗光も弟に対する感情とは別に、賢一を想っている……」

その言葉に、みなどこか納得するような顔をしている。

路「そりゃ……なんとなくそんな気はしてたけど……でもそれがどうだってんだ?」

不思議そうな龍路に、ケンイチは再びうつむく。

ケ「記憶を失くそうと、賢一は繰り返しちまったんだ。……いや、繰り返したわけではないな。姉と言うだけで、智香子と宗光は違う人間だ。……だが、智司はそうも思えなかったから、宗光を……」

後悔するように人知れず歯を食いしばり、またケンイチは昔のことを回想し始める。

 

―賢一が4歳になる年の冬のある日…本当の彼の誕生日に、智香子と賢一はいつものように父が寝るのを待って公園へと出掛けていた。

智「はい!誕生日おめでとう……ヨシくんももう4歳かぁ。早いね!」

そう言って、智香子は賢一に手紙を渡す。毎年変わらない、賢一にとってはどんな物よりも嬉しい、彼女からの誕生日プレゼントだった。

賢「ありがとう……でも、なんか誕生日が来ても変な感じなんだ。……大きくなってるのは体だけで、知能とかが普通の子供みたいに成長してないからかな?」

智「もう、そうやってお父さんみたいなこと言って!……確かに知能は生まれた時からすごかったけど、ヨシくんは心だってちゃんと成長してるよ。」

賢「そう、かな……」

智「どんなに頭がよくってもね、心の成長がないと理解できないことも多いんだよ?たとえばさ、恋愛って言葉の意味は説明できても、どういう気持ちが恋をする気持ちか、なんて心が育たないとわからないでしょ?……」

その言葉に、賢一はどこかハッとする。そんなことには気付かないまま、智香子は少し照れくさそうに言う。

智「私なんか、ヨシくんのおかげでそーいう気持ちをいっぱい知ったんだから……誰かを守りたいって気持ち、誰かを愛おしいって思う気持ち、誰かに必要とされてるんだなって気持ち、それと……」

そこまで言って、智香子は賢一の顔をじっと見つめる。

智「ねえ、知ってる?恋ってさ、別に血が繋がってても悪い事じゃないって……」

賢「え、ホント?!」

珍しく、感情をあらわにする賢一に少し驚き、そしてすぐにその真意を察して微笑む智香子。

智「ホントだよ……よかった。こんな話して、嫌そうな顔されたらどうしようかと思った。」

賢「え……?」

驚く賢一に、智香子は優しく言う。

智「確かにね、セケンってものを考えたら私の考えはきっとおかしいよ。普通は姉弟では恋なんかしない。みんなは姉弟間の恋心なんか認めてはくれない。結婚も、子供を残すこともできない。でもね……私はヨシくんのことが……男の子として好きなんだ。」

空に浮かぶ、雲の隙間から顔を出す上弦の月を見上げながらそう言い、智香子は賢一を見つめる。

智「辛抱強くて、優しくて、純粋で、こんな私を必要としてくれて……あなた以上の男の子は、私見つけられないよ。…たとえ誰にも認められなくたって、私はあなたと一緒に生きていきたいの。……姉弟としてもそうだし、……男女として……」

そんな智香子に、賢一も嬉しそうに智香子を見つめている。

賢「……お母さんを死なせちゃって、それでお父さんにとって邪魔な存在で…研究者の人たちにもお父さんみたいに化け物を見るような目で見られるような僕に、こんなに優しくしてくれるのはちかだけだよ……いつも思うんだ。もし、ちかと血が繋がってなかったら…歳がこんなに離れてなかったらって……」

そこまで言って、賢一は嬉しさの為か泣き出してしまう。

賢「血の繋がった弟で、こんな子供で、しかも人と違う化け物みたいな僕にこんなこと言われてもちかが困ると思って……それでずっと言えなかった……けど、僕もちかと結ばれたいって思ってたんだよ……?」

それ以上言えなくなる賢一を、智香子はいつもよりも飛び切り優しく抱きしめる。

智「ヨシくんは化け物なんかじゃないよ……」

そう言って、智香子は賢一を抱きしめた腕に、一層気持ちを込める。

智「すごいよ、私たち両思いだったんだよ……こんな嬉しい気持ちになれたの、生まれて初めてかもしれない……」

その言葉に、賢一は何も言わずとも至福の時間を感じる。そして智香子に抱かれながら、ふと賢一は空を見上げて嬉しそうに言う。

賢「あ、見てちか!雪だよ!」

賢一にそう言われ、智香子もふと空を見上げる。そこには、深々と静かに雪が降り始めていた。

智「ホントだ!…4年前と一緒!」

嬉しそうにそう言って、智香子は優しく賢一を見る。

智「ヨシくんは、雪、好きなの?」

そう言う智香子に、賢一は小さくうなずく。

賢「うん。自然に生まれる雪には、同じ形の結晶って絶対にないんだって。……ちかがくれた賢一って名前も、僕は世界に1人だけなんだって、そういう意味を込めてくれてるから……だから僕、雪が好きなんだ。」

そんな賢一の話に、智香子も嬉しそうに空を見上げる。

智「私も好きだなぁ。だって、ヨシくんが生まれた時に降っていたのが雪だったから。ヨシくんを私のもとに送り届けてくれたんだなって思うと、すごく感謝したくなるの!」

そう言って、智香子は賢一を見て微笑む。そして賢一も、そんな智香子を見て嬉しそうに微笑んだ。1つの異端な愛が生まれたこの夜、2人はいつもより長くこの公園で夜を感じていた。―

 

修「お姉さんと、賢一くんが付き合っていた……?」

ケ「ああ。誰にも言うことはできなかったけどな。…だが智司は、このことに薄々感づいては不信感をつのらせていたようだし、智香子と賢一が愛し合っていたことで不憫な思いをした男だっていた。」

海「不憫な思い……?」

ケ「智香子が高校生になって、ソイツは現れたんだ。」

 

―賢「あ、ちかおかえり!……?」

高校から帰ってきた智香子を玄関で迎えた賢一は、一緒にいる男子に不思議そうな顔をする。

智「ただいま!…あ、この人はね、私のクラスメイトの―」

楝「初めまして。君が弟くんかい?」

賢「あ、えっと……賢一です。神童賢一……」

緊張気味の賢一に、男子は優しく笑う。

楝「よろしく、賢一くん。俺は楝蛇。楝蛇知人っていうんだ。智香子のクラスメートでね、今日は一緒に宿題をしようと思って。」

賢一に挨拶をし、楝蛇と名乗った男子は智香子の顔を見る。

楝「聞いてた通り、弟くんは賢そうな顔をしてるな。」

智「「賢そう」じゃなくって、本当に頭がいいんだから!……あ、そうだ、ヨシくんも一緒に部屋来る?…まだお父さんも帰ってこないしさ。」

賢「え、えっと……」

遠慮深く楝蛇を見る賢一に、楝蛇は優しく笑って賢一と目線を合わせるようにしゃがむ。

楝「俺はいいよ。…君が頭いいってのも気になるし。」

いたずらっぽくそう言う楝蛇に、賢一もホッとしたように微笑む。

楝「決まりだ!3人で宿題をやろう。」

そんな3人は、どこか微笑ましい光景であった。―

 

ケ「はじめのうちは、楝蛇も賢一をかわいがっていたし、頭がいいと言っても人のよさは昔っから相変わらずだからな、賢一もそんな楝蛇に懐いていた。でも、次第にわかってきたんだ。楝蛇も智司と同種の人間だってな。」

 

―智「ごめん、家を空けるのはちょっと……うん、ヨシくん心配だし……え?……違うわよ、そうじゃなくてお父さんがね……2人っきりにしたらヨシくんかわいそうだもん……ちょっとバカ言わないで!比べるとか、そうじゃなくて……ヨシくんは大事な弟だから……あ、ちょっと知人!」

そう言って、智香子は困ったように受話器を置く。智司が仕事で家を空けている間に、家の電話で楝蛇と電話をしていた智香子を、少し離れたところから賢一は心配そうに見ていた。

智「あ、ごめんね、うるさかった?」

苦笑してそう言う智香子のもとに、賢一は心配そうに歩み寄る。

賢「ねえ、やっぱりちかは普通の男の子と一緒の方がいいよ……楝蛇さんは、きっと僕なんかよりもちかのこと……」

悲しそうにそう言う賢一を、智香子は優しく抱きしめる。

智「イヤよ……知人は確かに私に優しくしてくれるけど……ヨシくんみたいな優しさじゃない……私はヨシくんがいい。ヨシくんじゃなきゃイヤなの……」

賢「僕だってちかと一緒じゃなきゃイヤけど……でも、楝蛇さんもかわいそうだし、お父さんだって僕たちのこと知ったら……」

智「周りのことなんて気にしないで……もっと自分の気持ちを大事にして……」

 

その次の日、楝蛇は智香子を家まで送ってくれた。そして2人を賢一が玄関まで出迎えに来た時に家の電話が鳴ったので、智香子は楝蛇と賢一を玄関に待たせて電話を取りに家の中に入る。

楝「なあ、賢一くん……俺、君が正直羨ましいよ。」

賢「え?」

いきなりの言葉に、賢一は驚いて楝蛇を見上げる。

楝「君の話をしている時の智香子は、いつだって嬉しそうだ。休みの日にどこか出掛けようって誘っても、君が心配だからっていつも断る。」

そこまでは、智香子のいるリビングを見ながら言う楝蛇。そして、嫌悪感を隠すことなく賢一を見下すように見る。

楝「君がいなかったらさ、俺、もっと智香子と仲良くなれたと思うんだけどな……」

賢「え……」

困ってしまう賢一に、楝蛇は続ける。

楝「昨日だって、土曜日に出掛けようって智香子を誘ったのに、君とお父さんを2人にするのがかわいそうだからって断られたよ。…考えてみろよ?これって君がいなかったら、俺はもっと智香子と一緒の時間を持てたって事だろう?」

賢「……」

恨むようにそう言う楝蛇に、賢一は何も言えずにうつむく。と、そこへ智香子が戻ってくる気配がすると、楝蛇はわざとらしく優しい笑顔になる。

智「ごめんね!お父さんの仕事の電話だったみたいで。……あれ、ヨシくんどうしたの?」

うつむく賢一に気付いて、智香子は心配そうにそう訊くが、賢一は答えようとしない。

楝「いや、俺が悪かったみたいだよ。…君たちのお父さんのことを聞いたら、不安にさせちゃったみたいでね。」

賢一と話していた時のことが嘘のようにそう言う楝蛇を疑うことなく、智香子はしゃがんで賢一に言う。

智「そう…まあ、知人に悪気があった訳じゃないって、それくらいわかってるよね?」

賢「うん……」

小さくそう言う賢一の頭を、智香子は優しく撫でてやる。

智「ふふ、優しいヨシくん、私大好きだよ。」

そう言って、智香子は立ち上がる。

智「知人もあんまり気にしないでね。…お父さんのことを話して不安になる家庭も珍しい訳だしさ……」

楝「大丈夫だよ。…でも、これからはできるだけ気を付ける。」

智「ごめんね、気を遣わせちゃって。…今日も送ってくれてありがとう!」

楝「こっちこそ、智香子と帰れて楽しいからお互い様さ。じゃあ、また明日な。」

そう言って玄関を出ようとする間際、楝蛇は賢一を見下すように見て、憎々しい表情を一瞬見せた。

賢「…!」

智「…?どうしたの?」

賢「ううん、なんでもない……」

賢一は、智香子のいない間に楝蛇にされた話を話すことができなかった。智香子も、2人が何を話していたかを、気にもしなかった。

 

楝蛇が賢一に本心を垣間見せた日の夜、いつもの公園、いつものベンチに、賢一と智香子は並んで座っていた。

智「ねえ、やっぱり何かあったんじゃない?……知人帰ってから、ヨシくん元気ないよ?」

その言葉に、賢一はうつむいて話し出す。

賢「あのね……やっぱり楝蛇さん、ちかのことが好きなんだよ……僕がいなかったら、もっとちかと仲良くできたんじゃないかって。もっとちかと一緒にいれるんじゃないかって、そう言ってた……」

その言葉に、智香子は呆れるような顔をする。

智「知人ったら、そんなこと言ってたんだ……」

そして、今度は少しだけだが怒るような声になる。

智「しかも、私に嘘まで付いて……」

賢「やっぱダメなんだよ……姉弟で、人目を避けてこんなこと……」

泣きそうな声でそう言う賢一に、智香子もどっと切なさがこみ上げる。そして、ふっと空を見上げて言う。

智「悲しいよね…認められない恋なんて……」

賢「え?」

不思議がる賢一を、智香子は悲しそうな笑顔で見る。

智「私はこんなにもヨシくんのことが好きなのに、姉弟ってだけで誰にも認められないなんてさ……覚悟はしてたつもりだけど、いざその現実を突き付けられちゃうと、ね……」

そして、智香子は静かにも涙を流し、そのことに自分でも気づかないままに賢一を見る。

智「ごめんね、私のわがままでヨシくんにまで辛い思いさせちゃって……」

賢「辛くなんか……僕だってちかのことが好きだもん。……こんなこと本人には言えないけど、楝蛇さんの気持ちよりもずっと、ちかのこと大好きだもん。」

その言葉に、智香子は嬉しさからか涙は止まったようだった。

智「そうだよね……お互いが好きなんだもん、仕方ないよね。」

そして、静かにギュッと賢一の手を握る。

智「私たち、確かに血の繋がった姉弟だけど、でも……私たちがお互いを想うこの気持ちは、偽物じゃないよね……」

賢「うん。本物だよ、絶対……」

優しくも力強くそう言って、賢一は智香子が握ってくれた手を握り返した。―

 

ケ「今思えば、楝蛇は本当に不憫な男だった。智香子に届きさえすれば認められるその想いを、智香子と想い合ってはいたものの、恋人としては認められない男の存在のせいで伝える事すらできなかったんだからな……ただ、楝蛇の気持ちを申し訳なく思い、せめて友達として傍にいようとしてくれていた智香子の気持ちに楝蛇は気付いていたのか、それはオレもわからないが……」

と、そこまで話すケンイチの話に聞き入る部員たちだったが、楝蛇の話の途中から、なぜか晶が話を聞きながらもどこか考え込んでいる様子だった。そんな晶に気付き、ケンイチは自嘲するように小さく笑う。

ケ「どうした、響鬼?…まさか似たような境遇の人間に会ったことでもあるのか?」

晶「いや……」

そう言って、晶は携帯を開いている。

晶「なあケンイチ……その楝蛇って人の名前、なんつったっけ?」

ケ「知人だ……楝蛇知人だと奴は名乗っていたが、それがどうした?」

珍しく少し不思議そうな表情でそう言うケンイチに、晶もどこか考えるように言う。

晶「いや、なんか聞いたことあるような名前だなって思ってさ……まあ、たぶん同じ名前ってだけだろうけど……ほら。」

そう言って、晶はある人物の電話帳を開いてケンイチに見せた。

ケ「……!」

その名前を見た時、ケンイチは驚きを隠せなかった。

「ハトガヤトモヒト センセイ

鳩谷知人 先生

メディア部顧問

090-○○□◇-△◎◇○

language-of-lifework@ezwed.me.jq

晶「鳩谷先生もさ、知人って名前なんだよな。……名前で呼ぶ機会、あんまないから印象薄いけど。」

隆「あれ、先生ってそんな名前だったっけ?」

晶「ああ。部活でも授業でもフルネームで自己紹介しないからさ、なんでかって訊いたらなんかあんまり名前で呼ばれるの好きじゃないって、前に言ってたよ。それこそ、お前らが入学した年の早い頃だった気がする。」

そう話す晶の言葉も聞こえていないかのように、ケンイチは腹立たしげにつぶやく。

ケ「まさか……」

海「え?」

ケンイチのつぶやきに、席の近い龍海が不思議がる。そんなことにも気づかず、ケンイチはまだ賢一と入れ替わっていなかった頃、陽が高校に入学したころのことを思い出す。

 

―陽「それでね、メディア部の顧問も担任の鳩谷先生だったの!」

父「ほ~、担任と顧問が一緒だと、何かと安心感があるんじゃないか?」

陽「うん!しかも若い先生だから、すごく話しやすいの。」

賢「へえ、若いんだ。…いくつくらい?」

陽「今年で26だって言ってたよ。ちょうど私たちと10歳違うんだって。」―

 

ケ「宗光が入学した年で26なら、今年で27……智香子は10年前、17歳で死んだ……」

思い出すかのようにぶつぶつとそう言うケンイチ。そして、人知れずまた昔のことを思い出す。

 

―いつものように、智香子の部屋で宿題をしている智香子と楝蛇。そして、そんな2人と一緒にいる賢一。

智「え、離婚……?」

楝「いや、まだ決まった訳じゃないんだけどさ。父さんの事業がマズくって、それに俺や母さんを付き合わせたくないって。」

智「そっか……じゃあ、両親の不仲とかじゃないのね?」

少し安心したようにそう言う智香子。

楝「まあね。でもさ、この調子じゃ俺は母さんに引き取られるっぽいんだけど、この歳になって苗字変わるのもなんかなぁ……」

智「そうよね……でもさ、今の時代ならお父さんの苗字名乗ってもいいとか、そういうことはできないのかな?」

楝「どうだろう…まあ、ああ言えばこう言うだけど、それはそれで母さんに悪い気もするし。……それに、どうしても嫌だって訳じゃないからさ。」

智「そっかぁ……じゃあさ、苗字変わったらちゃんと教えてよね?」

楝「そりゃあもちろん。」―

 

そこまで思い出し、ケンイチは晶の携帯を取る。

晶「あ、おい!」

晶が止めるのも聞かず、ケンイチは発進ボタンを押していた。

孝「お前な、名前が一緒ってだけでなんで鳩谷先生に電話なんか……」

ケ「名前だけじゃない……歳も、楝蛇の姓だって今は……―!」

その時、電話が繋がったのかケンイチは驚きで目を丸くしていた。

 

ケンイチが電話を掛ける少し前、ある場所で鳩谷は陽と2人でいた。しかし、それは決して担任や顧問と生徒としてではなかった。

陽「ヨシくんと智香子さんが、愛し合ってた……?」

鳩「…智香子も賢一も、問いただしたところでそうだとは言わなかったけどな。だけど、智香子が賢一を見る目は、誰が見たって男を想っている目だった。同じく、賢一が智香子を見る目だって、あれは姉を慕うような、そんな目なんかじゃなかった……」

陽「でも…それは考えすぎなんじゃ……」

鳩「考えすぎ?……お前にはわからないよ。智香子にどんなに想いを伝えようと、賢一に邪魔されて気付いてももらえなかった俺の気持ちなんてな。」

その時、鳩谷の携帯が鳴る。

鳩「ん?……響鬼から……?」

携帯の表示を見てそうつぶやき、鳩谷はふと陽を見る。

鳩「そう言えば、賢一は携帯を持っていないんだったな。」

陽「ええ……」

陽の答えを聞き、鳩谷は不敵な笑みを浮かべて電話に出る。鳩谷が通話ボタンを押した時、電話の向こうからはケンイチの声が聞こえてきた。

ケ「歳も、楝蛇の姓だって今は……」

鳩「その言いぐさ……10年も前に話した俺の両親の離婚の話を覚えているとは、さすが、化け物と呼ばれていただけあるな。……でもまあ、まさかそっちから連絡をくれるとは思ってなかったから少し驚いたよ。」

ケ「……!お前、やはりあの楝蛇知人なのか……」

鳩「ああ。…しかし、もっと早く気付かれるかと思ってたが、意外と気付かれないもんだな。名前を変えるのは、苗字と違って簡単じゃないからずっと知人のままだったのに。」

ケ「お前、その事も計算して、名前で呼ばれることを嫌がってたってのか?」

鳩「…まあ、お前が生きていると知ったのは偶然宗光のクラスを持った時だし、第一、俺が高校教師になったのも智香子の死とは全く関係ない。…お前が生きていると気づくまでは、別に名前で呼ばれたくない、なんてことは言ってはいなかったんだがな。」

電話でそう話す鳩谷を、陽は不安そうに見ている。

鳩「あ、ちょっと待ってくれないか?…「チカコノカワリ」が、お前の話が気になってるみたいなんだ。」

陽「!」

ケ「テメェ!」

「チカコノカワリ」…わざとらしく言い放たれたその言葉にケンイチは怒りを覚える。が、そんなこともお構いなしに鳩谷は一度携帯を耳元から離し、スピーカーフォンにして陽と自分の真ん中に位置する、格子のはめられている小窓の桟に携帯を置く。

鳩「これでお前の声が宗光に聞こえるよ。」

そう言って、鳩谷は陽の方を見る。

鳩「お前も、何か言いたいことがあれば言っていいんだぞ?」

陽「何か、って言われても……」

困惑する陽だったが、その声はケンイチに届く。

ケ「……。」

ケンイチは何も言いこそしなかったが、その声から陽がまだ無事であることにひとまず安堵する。

隆「おい、先生と陽が一緒にいるのか?!」

そんな隆平を見て、ケンイチは気付いたように携帯を机に置いて、スピーカーフォンにする。

ケ「お前たちは今どこにいる……!」

鳩谷に対して威圧をかけるケンイチだったが、鳩谷はそれを受けて陽を見る。

鳩「だ、そうだ。答えてやったらどうだ?」

陽「え……」

戸惑う陽の声を聞き、ケンイチは気付くように言う。

ケ「……わからないのか?」

陽「ごめんなさい……」

不安に満ちている陽の声に、ケンイチのみならず部員たちも不安を隠せない。

晶「あの、先生!陽は無事なんですよね?!」

鳩「ああ、無事だよ。……今のところはね。」

路「今のところって……それどういう意味ですか?!」

鳩「ん~、お前たちにはわからないか。……でも、神童ならわかると思うんだが。」

ケ「なんだと…?」

鳩「今日が何月何日か……忘れるわけないよな?」

ケ「……!テメエまさか!」

鳩「お前は俺の大事なモノを奪った。奪っておいて、自分は「カワリ」を見つけて、都合の悪い事だけを全てを忘れて…いや、忘れたフリをして何もなかったかのように生きてきた。……お前のその夢、俺がきっかり10年で終わらせてやるよ。それが俺の…いや、智香子のお前への復讐だ。」

ケ「…!」

鳩谷の言葉に、ケンイチの脳裏にはフラッシュバックのように、自分に背を向けて自分の前に飛び出してくる、智香子の姿がよぎっていく。

ケ「くそっ……!」

咄嗟に片手で頭を押さえるケンイチ。

修「大丈夫ですか…?」

心配する修丸だったが、ケンイチは修丸の方は見ず、机に置かれた晶の携帯を睨みつける。

ケ「テメエ……宗光を殺すつもりか……?!」

その言葉に、部員たちや電話の向こうの陽は驚きを隠せなかった。

鳩「まあ、そう言ったところだが…そうだな、智香子が死んだ時間までは待ってやってもいい。」

ケ「何……?」

鳩「さて、待つからにはヒントもやらないとさすがにひどいよな。……智香子の写真の裏に、宗光の居場所のヒントが書いてある。そのヒントが、お前……ケンイチにとって何を意味するか、それをじっくり考えることだな。」

ケ「オレにとって、だと……?」

いぶかしげにそう言うケンイチに、鳩谷は思い出したかのように言う。

鳩「それと、これは俺たちにとっての問題だ。ベタな事を言うようで悪いが、警察には言いふらさない方が宗光の為だと思うぞ?とはいえ、警察に知らせたところで、死ぬのが少し早まるだけだがな。……まあ、念のためにでも刑事の息子の幾永には忠告しといた方がいいかもな……とにかく、お前がここに来るまでにタイムリミットが来ないことを願ってるよ。」

そして、電話の向こうからブチっと切れる音がした。

海「あ、切れちゃった……」

みなが不安そうに晶の携帯を見ている中、ケンイチは何かをためらうように智香子の写真を手に取った。

 

電話を一方的に切り、鳩谷は不安の色を増す陽を見る。

鳩「さて、智香子が死んだ時間まではまだだいぶあるからな。……少し、雪を見てくる。……今日の雪は、智香子が死んだ日に振っていた雪とまるで同じなんだ……」

そう言って、鳩谷は陽と一緒にいたその部屋を出る。そのドアが閉まると同時に、ドアの向こうから鍵の閉まるような音がした。

陽「(なんで……こんなことになっちゃったんだろう……)」

泣きそうな顔でそう思った陽は、昨日の出来事を思い出し始める。

 

 

 

 

 

⑲(4)

―陽が部活に出なかった昨日の放課後、陽は1人、学校の裏門で携帯を見ながら誰かを待っていた。閏台高校の裏門は現在は使用する生徒があまりいなく、誰かを待っている間、陽は誰とも会わなかった。

「Time:2/24 21:11

 From:鳩谷先生

 Subject:明日なんだが

 Text:クラスの連絡以外でメールするなんて初めてだな。

それで明日の放課後なんだが、ちょっと神童のことで話があるんだ。その関係でお前に会ってほしい人がいてな、ただその人と待ち合わせている場所が学校から離れていて、そこには車で行きたいんだ。だからHRが終わったら裏門のところで待っててほしいんだが……教師が生徒を自分の車に乗せるのは他の先生にあまりいい顔されないから、できるだけ誰にもこのことは言わないでほしい。もちろん神童にもだ。」

今までずっと賢一の過去を知っていることを隠し続け、善良な顔で陽に接してきた鳩谷のメールに、陽は疑うこともなく、放課後になると真っ先に裏門へと向かっていた。何より賢一のこととなると、気にせずにはいられなかったのである。

陽「(ヨシくんのことって何だろう……それに会ってほしい人って……)」陽がそんなことを考えているとふと誰かが近づいてくる足音が聞こえ、そっちの方を見てみると、そこには鳩谷が陽の方に向かって歩いて来ていた。

鳩「悪い!待たせちゃったか?」

申し訳なさそうにそう言う鳩谷に、陽は快く言う。

陽「いえ、そんなに待ってないですよ。」

そう言って、陽は少し心配そうな顔をする。

陽「あの…それで、ヨシくんのことって何なんですか?」

鳩「ああ、そうだ。」

思い出したようにそう言い、鳩谷は真剣な顔をする。

鳩「……実はな、本当に偶然だろうけど、神童のことを知ってるっていう人を見つけたんだよ。」

陽「え……本当ですか?!」

鳩「ああ。メールで伝えた「会ってほしい人」ってのはその人なんだが、その人に神童やお前の話をしたら、今日会って話がしたいって言ってたんだ。……ただ、最近は神童も記憶のことで不安定なことが多いだろう?だから、まずはお前だけで話を聞いた方がいいと思ってな。」

陽「そうですね……今はまだ、ヨシくんにそういう話はしない方がいい気がします……ただでさえ、記憶が無理矢理戻ろうとしているみたいだから……」

鳩谷の話に、陽も賢一を心配してか納得している。

鳩「だろう?…それで、まあ車でならそんなに遠くない場所で待ち合わせてるんだが、今から行っても大丈夫か?」

陽「えっと、大丈夫ですけど…ただ部活になんの連絡もしてないから……」

鳩「ああ、それなら俺が佐武に連絡しといたよ。……間違えて響鬼に連絡入れそうになったけどな。」

そう言って苦笑する鳩谷に、陽も小さく笑っている。

陽「もう、新部長って先生も一緒に選んだんでしょ?」

鳩「まあ、そうなんだがな。……じゃあ、部活の連絡以外大丈夫なら、そろそろ行こうか。ここまで車持ってくるから、ちょっと待っててくれ。」

そう言って鳩谷はいったん学校の敷地内へ戻って行く。

陽「(でも、ヨシくんのことを知ってる人ってどんな人なんだろう……)」

そんな疑問と共に、陽は鳩谷を待っていた。

 

陽「ねえ先生?ヨシくんを知ってる人って、どんな人なんですか?もしかして本当の家族とか?」

鳩谷の運転する車の助手席で、陽はふとそんなことを訊く。

鳩「……ああ。神童智香子さんって言ってな、神童……えっと、苗字で呼んでたらややこしくなるな。その、賢一の血を分けた姉だそうだ。」

陽「え……智香子、さん……?!」

鳩谷の話にどこか驚きを隠せない陽に、鳩谷は運転をしながら反応する。

鳩「どうした、もしかしてお前、智香子さんを知ってるのか?」

陽「いえ……その、ヨシくんが前に寝言で言ってたんです。すごく悲しそうな顔で、「ちか」って……それに、この前1度だけ「智香子」って言ってましたし……やっぱりあの寝言、うちに来る前のことと関係があったんだ……」

その話に鳩谷は無意識に眉をひそめたが、陽はそんなことには気付かなかった。

鳩「そうか、神童がそんなことを……」

そんな話の中、鳩谷の運転する車は路地裏に入って行き、なぜか行き止まりでも信号でもないところで停止した。

陽「あの……どうしたんですか?もしかしてここで待ち合わせとか?」

不思議がる陽に、鳩谷は運転席の下に手を入れて何かをし始めながら言う。

鳩「ああ、いや。待ち合わせはここではないんだが、ちょっとお前に手伝ってほしいことがあってな。」

陽「手伝ってほしいこと?」

鳩「ああ……」

下を向いているがために陽には見えていなかったが、そう言った鳩谷の顔には不気味な笑みがあった。だが、作業を終えて顔を上げた鳩谷の表情には、先ほどの不気味な笑みはすでに消えていた。

鳩「なあ、ちょっと窓の外を見てもらっていいか?」

陽「窓の外ですか?」

そう言いながら、陽は言われた通りに窓の外を見た。

鳩「ああ……」

そう言う鳩谷の右手には、座席の下から取り出したある物があった。

陽「あの、外に何かあるんですか……―!」

そう訊こうとした陽の口を、何かが塞いだ。

陽「んー!んーー!」

何が起きたかも理解できないままに必死に抵抗する陽だったが、程なくして意識を失ってしまった。

鳩「……もう少しだ、もう少しだよ智香子……」

気を失った陽の体勢ををシートにもたれるように直し、再び不気味な笑みを浮かべてそうつぶやいた鳩谷の足元には薬品の瓶が、彼の右手には薬品のしみ込んだハンカチが握られていた。そして、そのハンカチをダッシュボードにしまい、鳩谷は眼鏡を静かに外した。

鳩「君の無念は、俺が絶対に晴らしてやるから……」

先ほどの表情とは一転して、どこか悲しそうにそうつぶやく男の顔は、ケンイチの知る楝蛇知人の面影を、濃く残しているようだった。

 

陽「ん……」

格子のはまった窓から差し込むわずかな光に、陽は目を覚ました。日光と言うよりは、雪雲の放つわずかな光のようである。

陽「(あれ……ここ、どこ……?)」

自分の置かれている状況もわからず、立ち上がろうとして違和感に気付く。

陽「(え、なにこれ……?!)」

座った状態から立ち上がることもできずに、驚いて自分の背中側を見ようとした陽。だが確認できたのは、自分がもたれている柱のようなものの後ろに、自分の両手がまわされていること。柱の後ろにまわされた両手が、縄か何かによって固定されていることぐらいだった。

陽「(どうなってるの……)―!」

と、その時、陽がいる室内の出入り口の戸がきしむ音がして、陽は驚いて出入り口の方を見た。

鳩「お、目が覚めたか?」

陽「鳩谷先生……?」

中に入ってきたのは、眼鏡をかけていないせいでいつもと雰囲気の違う鳩谷だった。

鳩「それにしてもよく寝たものだな。…まだ明け方とは言え、もう26日だぞ?」

陽「26日…?25日じゃなくて……?」

そう言われ、陽は目覚める前の事を思い出そうとするが、その様子を見て鳩谷が気付いたように言う。

鳩「なんだ、昨日のことも覚えてないのか?……まあ、無理もないか。……俺は昨日、お前に手伝ってほしいことがあったんで、とりあえず車の中で眠ってもらって、怪しまれないようにトランクに入れて、いったん部活に顔を出し、夜のうちに車を走らせてお前をここまで運んだんだ。……どうだ?思い出せそうか?」

そこまで話す鳩谷を見て、陽は思い出したような顔をする。それを見た鳩谷はいたずらっぽく笑う。

鳩「ま、実際自分でもここまでうまくいくとは思ってなかったけどな。」

そんな鳩谷に、陽はどこか警戒するような口調で言う。

陽「あの……ここはどこなんですか?」

その質問に、鳩谷はなぜかひどく悲しそうな顔をした。

鳩「悪いけど、それはまだ教えられないな。……でも、代わりと言っちゃなんだが、お前に会わせたい人にはちゃんと会わせてやるよ。」

そう言った鳩谷は陽に歩み寄り、ポケットから財布を取り出し、その中から1枚の写真を出して陽に見せる。

陽「…!」

鳩「神童智香子……賢一の11歳年上の姉であり、10年前に賢一に殺された、俺がこの世で一番大事に想っている人だ。」

陽「嘘……」

写真を見て、陽は驚きを隠せなかった。写真の中には、鏡で見る自分とまったくと言っていいほど同じ顔をしている女子高生が写っていた。そして鳩谷は、陽が驚いていることに気付きつつも、雪が深々と降る窓の外を見て遠い目をして話し始める。

鳩「初めてお前と出会った時、正直この目を疑ったよ。……宗光、お前は死んだはずの智香子にそっくりなんだからな。…姿だけじゃない。性格も、血の繋がりや年齢差はともかく神童賢一の姉という事実も、奴を呼ぶ呼称も、幼くして母を亡くしたという境遇も……まるで智香子の代わりなんじゃないかと思うほどにな。」

そして、鳩谷は自嘲気味な顔をして陽を見る。

鳩「しかもお前は、俺の勤める閏台高校に入学したばかりか、俺の持つクラスの生徒になり、さらに部活まで俺の持っているメディア部に入った。そして智香子が死んだ10年後の今、お前は智香子が死んだ時と同じ17歳になっている……ここまでくれば、もはや「偶然」では片づけられないだろう?きっと智香子が、賢一に復讐してくれと俺にお膳立てをしてくれたんだよ。」

そう話す鳩谷に、陽はとても聞きにくそうに言う。

陽「あの……」

鳩「なんだ?」

陽「先生はさっき、智香子さんはヨシくんに殺されたって言ってましたけど……それ、本気で言ってるんですか?」

いぶかしげな表情でそう訊く陽に、鳩谷は無意識にも嫌悪感を顔に見せる。

鳩「何が言いたい?」

陽「だって10年前って言ったら、あの子はまだ6歳になる年ですよ?そんな子が人を殺すなんて有り得ないじゃないですか……ましてや、あんなに優しい子が、実のお姉さんを……」

信じたくないという感情から言葉を詰まらせる陽を少しの間見て、鳩谷はまた窓の外へと目線を移す。

鳩「有り得ないのは……アイツの存在自体だよ……」

陽「え……」

憎しみに満ちた鳩谷の口調に、陽は悪寒を感じる。

鳩「教えてやるよ。……俺がこの世でただ1人愛した女のことも、その女を奪った挙句に殺した、神童賢一という化け物のこともな。」

そして、鳩谷はケンイチが部員たちに話した話と同じ内容の話を、ケンイチからの電話がかかってくるまで陽に聞かせていたのだった。―

 

そこまでのことを思い出し、陽は一層悲しそうな顔をした。

陽「(私って、智香子さんの代わりなの、かな……)」

 

​⑳

その頃、メディア部の部室では……

「Beheading=T>B>G(at night)>R>B>G>R>B>G>R……」

ケンイチが裏返した智香子の写真には暗号のようなものが書いてあり、一番左側の「R」には潰すかのように横線が引かれ、右端に書いてある5つのアルファベットはすべて×でつぶされていた。

ケ「Beheading……だと?」

写真の裏を見てそうつぶやくケンイチを、部員たちが不安そうに見ている。

隆「なんだよ、ビヘディングって……」

ケ「打ち首……」

隆「打ち首ぃ?」

修「う、打ち首って、首を斬る「打ち首」のことですよね……?!」

孝「でも、その打ち首がなんだってんだよ?」

驚く修丸に、冷静に考え込む孝彦。

路「誰かの首を斬れってことか?嫌に物騒だな……」

晶「いやでも、切るってもよ、誰の首を斬るんだよ?」

路「んなもん、わかりませんけど……」

考え込む龍路の隣で、龍海が暗号に指を添える。

海「ねえケンイチさん、これなんですかね。なんか数式みたいだけど……」

そう言われ、ケンイチも暗号をゆっくりとなぞり始める。

ケ「Beheading、=、T、>、B、>、G、カッコ付のat night……それから先のアルファベットについている印はなんなんだ……」

暗号を読みながらいぶかしげにそうつぶやくケンイチ。

海「なんなんだ…って、普通にバツでしょ?」

路「あのな、ケンイチが言ってんのはそうじゃなくて……」

至って真面目な龍海と、珍しく呆れる龍路だったが、そんなことも気にせずケンイチは何かに気付く。

ケ「―!……学年か。」

晶「学年……?」

ケ「Tは何なのかわからないが、B、G、Rは3つセットになっていて、このアルファベットの不等式は、大きな順にB、G、R、そしてまたBから繰り返すことを表しているんだろう。」

孝「……そうか、学年カラーか!」

ケンイチの説明に、孝彦がいち早く気付く。

隆「どういうことだよ?」

孝「1番大きいBはセンパイ方3年生の青…つまりBlueのBで、次は俺たち2年生の緑、GreenのG。んで、その次が1年生の赤でRedのRってことだと思う。」

修「そっか、今の3年生が卒業したら、次の1年生の学年カラーは青になりますもんね。で、その次の年は緑の1年生が入ってきて……繰り返すってそういう事でしょう?」

ケンイチにそう訊く修丸に、ケンイチは暗号を見たままうなずく。

ケ「ああ。だとすれば、首を斬るのはこの学校の生徒のようだな……不等式の意味を考えるなら、おそらくは学年順に斬れと言うことだろうが……」

その言葉に、修丸が小さく震える。

修「せ、生徒の首を…?!」

そんな修丸に、ケンイチは苛立ちを押さえるように言う。

ケ「バカが、寝言は寝て言え……本当に首を刈ってどうする?」

修「え……?」

晶「じゃあ、どうしろってんだよ?打ち首に他の意味なんて思い当たらないし……―!」

晶の言葉を聞き届けるや否や、ケンイチは苛立たしげに机を叩いた。

晶「お、おい……」

ケ「わかんねーから悩んでるんだろうが……!」

悲痛にそう言い放つケンイチの心境を、部員たちはすぐに察する。

路「落ち着け、ケンイチ!…大丈夫だよ、お前なら落ち着きゃこれくらいすぐに解けるって!」

隆「そうだぞケンイチ!俺らの頭じゃこんな暗号なんてぜってー解けないかもしれないけどよ、お前は天才なんだ!陽を助けられんのはお前だけなんだ!!」

必死にケンイチを励ます龍路や隆平を、ケンイチは珍しく泣きそうな顔をして見ていたが、ふいに自信なさげにうつむいてしまう。

ケ「だが……打ち首の意味だけじゃない!…at nightも、Tの意味も―!」

その時、ケンイチは何かに気付く。

ケ「近宮、お前さっきなんて言った?」

隆「え?……えっと、陽を助けられるのは―」

ケ「そうじゃない!……そうか、頭だ!」

隆「な、なんだってんだよ……」

不思議がる隆平に、ケンイチは少しだけ自信を取り戻した顔で言う。

ケ「お前、さっき自分たちの頭では暗号は解けないかもしれない、と言っただろう?……それで気付いた。打ち首というのは頭のこと……イニシャルだ!」

孝「そっか、頭の文字で頭文字、イニシャルって意味になるもんな。」

感心する孝彦をよそに、ケンイチはホワイトボードの前に立ち、左の端に丸を縦に2つ、その上の丸の隣に「A」、下の丸の隣に「H」、そして「A」の対角線上の右端に「T」、その下に「S」と書く。さらには、A側の丸の隣には「名」、H側の丸の隣には「姓」と書く。

「  名○A     T

  姓○H     S」

ケ「おい、お前ら2年生の誕生日を教えろ。」

不思議がる孝彦にケンイチは答えず、ホワイトボードを見たまま全員に質問をする。

路「え…?」

ケ「早く……」

静かにも焦りを感じさせるその言葉に、2年生たちは顔を見合わせる。

路「俺は6月9日だけど……」

隆「俺は来月の3月14日だぜ?」

孝「11月12日だ。」

修「えっと、僕は4月3日です……」

聞きながら、ケンイチはホワイトボードの端にメモを取っている。

「佐武―6/9 近宮―3/14 幾永―11/12 湯堂―4/3 宗光―7/22」

そして、先ほど書いた2列のアルファベットの間を埋めていく。

「 名○AOTHTRT

  姓○HYSMICS」

路「これって、もしかしてメディア部の生まれた順のイニシャルか?」

孝「それだったらさ、隆平と龍海の間に賢一のイニシャルが入るんじゃないか?」 

路「あ、そっか……」

孝「でも、誕生日を聞くってことはお前の言う通り、俺たちのイニシャルってことだとも思うけど……ってかそもそも、なんでイニシャルを並べるのがメディア部の生徒ってなるんだ……?」

ボードに書かれた文字の並びを不思議がる2人。そして、孝彦は少し遠慮がちにケンイチを見る。それに気付いたケンイチは、少し面倒くさそうに説明する。

ケ「あの暗号、最初のRには横線だけ、その次のBには印がなく、それ以降のアルファベットにはすべてバツがついている。逆を言えば、バツがついていないのはB、G、R、そしてもう1つのBだ。……バツのついていない4つの文字、その中でも2つめのBの意味を考えれば、この不等式がメディア部を表していることがわかる。」

路「2つ目のB?……!」

少し考え込んだ後、龍路はふと龍海の方を見る。

海「え、なに?」

路「そっか、確かに次の1年生…今の中3と一緒に活動してる部活なんて、うちの学校じゃここしかないもんな!」

納得する龍路を見てから、ケンイチはまたボードの方を見る。

ケ「ああ。そうなると、Rにひかれている横線の意味は、部活にはいるが暗号には使わないイニシャル…と考えられないか?」

晶「なるほどな、バツと横線にはそんな意味の違いがあったんだな……だからお前、賢一のイニシャルを書いてなかったのか。」

そう言う晶を見て、ケンイチは小さくうなずいてから再びボードを睨む。そして少しの沈黙の後、苛立たしげに眉をひそめる。

ケ「……ダメだ、これだけじゃ何の意味にもならねえ!」

ボードを見つめて焦るようにそう言い放つケンイチ。

晶「だったら、やっぱりat nightとTの意味を考えよう?……こういう時こそ、焦ったら負けだ!」

ケンイチの隣に立ってボードを見ていた晶がそう言うと、ケンイチもどこか焦りを残したままではあるが、素直にうなずいた。

ケ「そう、だな……」

そう言って、ケンイチはペンを持っていない左手を上着のポケットに突っ込んだ。

ケ「……!」

自らが取った小さな行動から何かに気付いたケンイチだったが、そのことには誰もまだ気づいていない。

隆「なあ、at nightでなんつー意味だっけ?夜ってのはわかるんだけどよ、atがついたらどうなるんだ?」

修「えーと、atは前置詞だから、普通の文だったら「夜に」って意味になるはずです。」

ケンイチとは少し離れたところでそんな話をしている2人の話に、孝彦も参加する。

孝「夜に、か……。でもなんでGの隣なんだろうな?……さっきの流れだと、2年生の夜にってことになるのかな?」

その言葉に、ケンイチは何かを考えるように孝彦を見ている。

隆「2年生の夜ぅ?なんだそりゃ?」

孝「んなことまで俺が知るかよ!」

突っかかり気味にそう言う孝彦を見て、隆平はふっとバツの悪そうな顔をする。

隆「まあ、そりゃそーだよな……悪い、何でもかんでも聞き返しちまって。」

自らケンカを回避しようとする隆平の意図に気付き、孝彦も同じような顔をする。

孝「……いや、俺もケンカ腰になって悪かったよ。」

そんな2人を、少しだけ安心するように見ていた龍路だが、すぐに机の上の暗号を見て考え出す。

路「at nightもそうだし、このTも絶対意味はあるんだよな……」

海「でも、学年じゃないよね?Tが付く色なんてないし……それにTだけ1個しかないのも、何かあるのかなぁ……」

隆「くっそぉ、せめて英語じゃなくて日本語ならなぁ……数学と英語なんて、俺に対するいじめだろ、マジでひどすぎるぜ先生!」

悔しそうにそう言う隆平の言葉に、ボードに目線を戻して睨めっこをしていたケンイチは小さくも反応し、どこか嬉しそうに隆平の方を向く。

ケ「お前も、賢一同様に勉強ができないだけなのかもしれないな。」

隆「へ?」

意味の解っていない隆平に、ケンイチは言う。

ケ「頭の回転の悪さを自負できる奴こそ、実際は直感が豊かなのかもしれない。……お前の言った英語という言葉、たぶん大きなヒントだ。」

修「英語がヒント、ですか?」

ケ「ああ。B、G、Rが学年、すなわち生徒を表すなら、生徒と関わるTと言われれば、思い当たるものがある。そしてその答えもさっき近宮は口にしていた。」

晶「…!先生か!」

ケ「ああ。教師は英語でTeacher、すなわちTが表わすのはメディア部に関わる教師である鳩谷自身のことだろう。…当たっていたらの話ではあるが、英語教師の鳩谷らしい暗号だよ。」

そう言いながら、ケンイチはボードの左端の丸を2つとも消し、上の丸の部分には「T」、下の丸の部分には小さく「K」と「H」と書く。

「名TAOTHTRT

   K

 姓  HYSMICS

   H         」

そして、上の段のHと、下の段のMを消す。

「名TAOTTRT

   K

 姓  HYSICS

   H        」

路「おい、なんでHとM消すんだ?」

孝「それがメディア部の生まれ順のイニシャルだったら、HとMって陽のことだろ?」

その問いに、ケンイチはボードの空いているところに「at night」と書きながら言う。

ケ「夜、空に昇るのはなんだ?」

海「月じゃないんですか?」

その答えを聞いて、ケンイチは部員たちの方を見る。

ケ「なら、夜の空にないものは?」

修「あ、太陽!…そっか、陽さんの名前は太陽の陽って書きますもんね!」

晶「夜にってのは、この暗号のイニシャルの中に、太陽……つまり陽の名前を入れないってことか!」

ケ「at nightが2年生…Gの隣にあることからしても、間違いないだろう。」

隆「でもお前、もしかしてat nightの意味は最初から気付いてたってのか?」

ケ「いや……」

そう言って、ケンイチはポケットの中から、陽に返そうと思っていたサンストーンを取り出した。

ケ「コイツを持ってきていたことを思い出して、それで気付いた。」

海「なんですか、それ?ビーズ?」

みながケンイチの取り出したサンストーンを不思議がる中、晶は小さくも驚く。

晶「お前、それ陽のサンストーンじゃないか。」

修「え?センパイ、知ってるんですか?」

晶「そりゃ……」

そこまで言って、晶はハッとまずい事を言っていることに気付く。

晶「あ!いや、それはその……」

そう言ってちらりとケンイチを見る晶に、ケンイチはどこかわかっていたかのような、どこか呆れたような顔をする。

ケ「安心しろ、賢一は今、オレが見聞きしてることをいちいち気にできるような状態じゃねえ。」

晶「そっか。」

どこかホッとした晶に、龍海が不思議そうに訊く。

海「あの、それでなんで晶センパイがそのサンストーン?だかってのを知ってるんですか?」

晶「いや、実はな、おととい自分と陽で部活抜けただろ?あれさ、陽が賢一に手作りのブレスレットを作って誕生日プレゼントにしたいからって、そのブレスレットに通す天然石選びを手伝ってやるためだったんだよ。それで陽の奴、そのサンストーンを買ってたんだけど、ほら……そーいうのって賢一には内緒にしとかないとだろ?」

孝「だからあんなに慌てたんですか。」

納得している孝彦だったが、修丸は心配そうな顔をしてケンイチを見る。

修「あの、でもそれって賢一くんは大丈夫なんですか?……その、心が壊れてしまう、とかは……」

その言葉に、ケンイチは表情を曇らせる。

ケ「……わからない。」

隆「わからないって、お前なあ!お前は賢一のことは何でも知ってんだろ?!なのにわからないって……」

感情的になってしまう隆平だったが、ケンイチは申し訳なさそうにうつむく。

ケ「アイツは……賢一は10年前の出来事を思い出しちまった……賢一はあの記憶を失くしておくことで今まで生きてこれたようなものなのに……」

にわかに、悔しそうに震えだすケンイチ。

ケ「アイツは智香子が死んだことで心に深い傷を負った……賢一を生かすためには、智香子の死を思い出させてはいけなかったんだ。……オレは賢一に死んでほしくなかった……!だから、できるだけアイツと10年前の記憶の干渉を避けてきたんだ……」

そこまで話して、ケンイチはふっと力を抜いて部員たちの方を見る。

ケ「オレが賢一と入れ替わるようになって、賢一の…お前たちの周りで事件が起きることが増えただろう?……そのすべての事件が、どこかに神童家を連想させるような要素を含んでいた。」

隆「要素…?」

ケンイチは、静かに修丸の方を見る。

ケ「お前が預かってる犬が凶器に使われた、口裂け男の騒動…あの事件の動機は、田代の唯一頼れる肉親であった母親の敵討ちだった。生まれながらに母を亡くし、父から疎まれていた賢一にとって、智香子は唯一の頼れる肉親だ。」

次に、今度は孝彦を見るケンイチ。

ケ「夏休みに起きた事件で、屋畑を犯行に走らせたのは、「いらない存在」という一言……それは、オレ自身のことだとも言えるし、記憶を失う前の賢一がずっと抱えていた不安でもあった。」

次に見られたのは、龍海である。

ケ「お前がトリックの一部をビデオに捉えた事件だって愛情のもつれが原因だったが、親子と男女の違いはあれど、智司の智香子への愛情は、賢一の存在のせいで明らかにもつれていた。」

それからケンイチは隆平を見る。

ケ「お前のおかげで最悪の事態を避けられた梶北の家での事件なんて、親が非の無い子を疎むなど、まさに智司と賢一を見ているようだった。」

それからケンイチが次に見たのは、龍路である。

ケ「写真館の事件…あれは認められない恋愛が招いたものだが、智香子と賢一の関係も、登坂や高須賀と同じく血の繋がった姉弟同士の、認められない恋愛だろう?」

そう言って晶を見たケンイチだったが、晶はケンイチよりも先に口を開く。

晶「ちょっと待てよ……じゃあタクが名取や両瀬を殺したこの前の事件はなんだってんだ?」

ケ「……久島の親は、久島に虐待をしていたと言ったな?」

晶「ああ……―!」

そう言って、晶もケンイチの言いたいことに気付く。

晶「そうか、賢一も父さんから……」

ケ「ああ……虐待、と言えるかはわからないが……生まれてからずっと、賢一は智司からひどい扱いをされ続けていた。」

そして、先ほど同様に泣き出しそうな顔でうつむく。

ケ「どの事件も、まるで賢一に記憶を取り戻させようとしているかのように起きやがった。だからオレは、賢一の直感がそのことに気付く前に事件を解決しようとしてきたんだ。それしか、賢一に生きてもらう方法を知らなかったからな……だから10年前の記憶が戻った今、10年前の出来事がまた繰り返されちまった今、賢一がどうなっちまうのか、それはオレにもわからねーんだよ……!」

そんなケンイチに誰も何も言うことができなかったが、ふっと晶が強気な顔をした。

晶「だったら!今出来る事をやりゃいいじゃないか!!」

その言葉に、ケンイチも他の部員も、みな驚いて晶を見る。

晶「戻った記憶はもうどうしようもないかもしれないが、でも、おそらくだけど陽はまだ殺されてなんかいない!同じことはまだ繰り返されてないんだから、止めようだってあるだろうが!」

ケ「だが、今はまだ生かしていると言っても、鳩谷は今日のうちに宗光を殺すつもりなんだぞ?!智香子同様に、賢一の一番大事な存在を―!」

隆「だから!先生が陽を殺しちまう前に陽を助けろってセンパイは言いたいんだよ!…そっスよね?センパイ!」

晶「おうよ!」

隆平に力強く答える晶を見て、他の部員たちもどこか晶に納得するような顔をしてケンイチを見る。

路「それに前に陽も言ってたけど、賢一は過去なんかに負けるほど弱い奴じゃないよ。陽を助けてやれれば、きっと賢一は立ち直れる……んなこと、1年だけ一緒に活動してきた俺らよりも、アイツとずっと一緒のお前が一番わかってるんじゃないのか?」

その言葉に、ケンイチはふと自分の胸に手を当てる。

ケ「……」

孝「とにかくさ、お前が弱気になっちゃ解ける謎も解けないだろ?……陽だって賢一だって、それに俺たちみんなお前を頼りにしてんだぜ?」

修「今は、陽さんと先生の居場所を突き止めることに専念しましょう?…いくら賢一くんが強いと言っても、陽さんにもしものことがあったら元も子もないですから!」

海「そーですよ!ほら、よくわかんない暗号は全部解けたんだから、あと少しでしょ?頑張りましょーよ!」

心の底から自分を励ましてくれる部員たちの気持ちを、ケンイチはおそらく、「ケンイチ」として生まれてから初めて素直に受け止めた。

ケ「そうだ、よな……すまないな、何度も弱気になっちまって……」

うつむいてそう言った後、ケンイチは嬉しさを隠さずに顔を上げる。

ケ「ありがとな。…お前たちがいなかったら、すでに諦めていたかもしれない……」

その言葉を、部員たちも素直に受け止め、どこか照れくさそうな顔をしたり、ホッとしたような表情を浮かべる。そして、ケンイチはホワイトボードを再び見る。

ケ「鳩谷のことだ、自分を教師の英語、Teacherで表すくらいだからな、おそらくこのイニシャルの並びも何かの単語だと思うんだが……」

海「じゃあ、こっちのKとHって、先生のことなんですか?」

今更のようにそう訊く龍海だったが、ケンイチは特に嫌な顔はせずにボードを見たままに言う。

ケ「ああ。いちおう楝蛇と鳩谷で考えてはいるんだが……」

修「でも、KでもHでも…あと名前の方でも、こんな単語ありましたっけ……?」

ケ「いや、思い当たる単語は特に…―!」

そう言いつつ、ケンイチはふと鳩谷の苗字のイニシャルを2つとも消し、何を思ったか自分でも半信半疑なペン運びで「P」と書く。

「姓PHYSICS」

ケ「そういうことかよ……」

路「……なあ、なんで先生の苗字のイニシャル、Pにしたんだ?」

ケ「知らなかったな、あの野郎がそこまで英語にこだわるとは……」

答えにならない答えを、自嘲気味にそう言うケンイチ。

海「いや、だからなんでPに―」

修「あ…もしかして鳩、ですか?」

ケ「……ああ。」

晶「はあ?」

いぶかしげにそう言う晶に、修丸が言う。

修「ほら、先生の苗字って鳩谷でしょ?それで、鳩って英語にすると「pigeon」で、その頭文字がPなんですよ。」

晶「はあ……」

納得しているのかしていないのか、わからない口調でそう言う晶だったが、その話を聞いていた隆平が興味をたぎらせてケンイチに訊く。

隆「それでよ!その、Pにしたら答えは見えたのか?!」

その答えに、ケンイチは特に表情を変えることもなく言う。

ケ「physics……物理という意味だ。」

隆「物理…?それが、陽の居場所なのか?」

ケ「いや……鳩谷は暗号の答えがオレにとって何を意味するか考えろ、と言っていた。……単純に物理室、なんて答えではないはずだが……」

その話を聞いて、孝彦がふっと思い出したように言う。

孝「物理室といやぁ、確かケンイチが初めて賢一と入れ替わったのも、物理室で起きた事件だったよな。」

修「そうでしたね……寺尾先生が、入試問題の横流しが発覚するのを恐れて、口封じで物理部の篠原さんを殺してしまったあの事件を、ケンイチくんが解決してくれて……」

そんな話をしている部員たちを、ケンイチは信じがたいと言ったような、しかし驚きを隠せないような顔で見ていた。そのことに、ふと龍路が気付く。

路「…ケンイチ?どうしたんだよ……」

ケ「まさか……」

そうつぶやいて、慌てた様子でケンイチはポケットの中に入れていた、賢一が隆平から借りていた携帯を取り出して、急いででボタンを押して耳元に持って行く。

ケ「……。くそっ!」

少しの間応答を待っていたケンイチだったが、焦りといら立ちを隠すことなく「通話終了」のボタンを押す。そして、間髪入れずにまた、違う番号を押して携帯を耳元に運ぶが、結果は先ほどと同じだった。

ケ「鳩谷の野郎……!」

憎々しくそう吐き捨て、ケンイチは思い立ったように部室を飛び出した。ケンイチが飛び出していったドアを見つめ、みな不安そうな顔をするしかできなかった・・・・・・

アンカー 3

第8話 Fin・・・?

~To Be Continued~

 

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