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「表裏頭脳(リバースブレイン) ケンイチ」

第1話「物理部の悲劇と目覚めた人格」

毎日の積み重ねに起きた「変化」も、毎日の積み重ねによってそれは「当たり前」へと変わっていく。…それこそがどうってことのない「当たり前」であって……

 

陽・賢「いってきまーす!」

父「おう!気をつけてなぁ。」

玄関から、リビングにいる父親の陽一郎に元気にあいさつをし、陽と賢一の姉弟は玄関のドアを出た。姉の陽がドアを閉めている間に、弟の賢一は愛用の自転車のスタンドを外し、玄関の前まで押してくる。

賢「ひな、カバン。」

陽「あ、ありがと。」

渡された陽のカバンを、賢一はすでに自分のカバンが入っている自転車のカゴの中に入れ、サドルにまたがる。

陽(M)「私の名前は宗光陽。閏台高校に通う高校2年生。で、自転車を漕ぐこの子は神童賢一くん。訳あって9年前にお父さんが引き取った男の子で、私より1つ歳下の高校1年生。苗字は違うし、血も繋がってないけど、私にとっては大事な弟。…私の家、お母さんが私が小さい時に病気で死んじゃったけど、お父さんやヨシくんのおかげで、そんなに寂しいって思ったことはないんだ。」

賢「ちゃんと掴まっててよ?」

陽「大丈夫!じゃ、今日もお願いしますね。」

どこかわざとらしく敬語でお願いする陽を、賢一はどこか楽しそうに見てから前を向く。

賢「了解しました!…じゃあ、行くよ!」

賢一も先ほどの陽と同様にわざとらしい敬語を使った後、勢いよく地面を蹴って自転車を走らせた。街路樹は春らしい、小さな葉を茂らし始めている。

陽(M)「こうやって、2人揃って登校するのが私たちの当たり前。自転車は中学生になってからだけど、「2人で登校」っていうことは、ヨシくんが家族になってからずっと変わっていない。弟相手に変だって思われるかもしれないけど、私にはそれが毎日の小さな幸せの1つだったりすることを、ヨシくんは知っているのかな…?」

 

自転車で約15分の距離にある学校にいつも通りの時間に到着し、生徒玄関で靴を履きかえた陽と賢一は、廊下で待ち合わせてはお互いの教室に向かって歩いていた。

陽「そう言えばさ、宿題終わったの?」

賢「宿題?」

陽「ほら、昨日数学のプリントやってたじゃない。あれ、宿題なんでしょ?」

賢「ああ~、あれね。……諦めた。」

陽「諦めたって、また?…もう!」

陽(M)「ヨシくんは運動神経は抜群なんだけど、いまいち勉強は苦手みたいで、宿題を諦めるなんて日常茶飯事。取り組まないよりはずっとマシなんだろうけど、高校は義務教育じゃないから、いつもヒヤヒヤしちゃう。でも、もしかしたら勉強はというより、頭を使うのが苦手なのかな?」

そんな話をしているうちに、2人は2年生の教室がある3階まで階段を上りきる。

賢「じゃあ、また後でね!」

陽「うん!」

陽(M)「この「後」っていうのは、放課後の事。別に家で、って訳ではないんだけどね。……こうして私たちの当たり前な毎日は始まる。……でも、今日をきっかけに、その当たり前が当たり前でなくなっていくなんて、この時の私にはわかるはずもなかった……」

 

放課後、下校時間を知らせる15時45分のチャイムが鳴り響く中で賢一や陽を含めた6人の男女が、演劇部の部室の隣にある、狭い一室に集まっていた。

晶「あー!!ネタ、ネタ、ネタ!!ネタがない、ネタがぁ!」

イライラとした様子を隠すこともなくそう言うのは、ここメディア部の部長であり唯一の3年生、響鬼晶である。それから晶は、ふと思い立ったようにキッと2年生の1人を睨んだ。

晶「修丸ー!!」

修「ハ、ハイッ!!」

修丸と呼ばれた、オドオドとした挙動を目立つこの男子生徒は、2年生の湯堂修丸。治そうと努力はしているらしいが、部活一のビビり屋で有名である。

晶「ネタの提供がお前の仕事だろうが!仕事しろ仕事!」

修「そ、そんなこと言われても…」

そんな様子を見て、金髪な上に制服もろくに着こなしていない2年生が面白そうにニヤニヤと修丸を見る。

隆「職務怠慢たあ、いただけねえなあ。」

この男子生徒は、修丸のクラスメートである近宮隆平。面白いこと好きで部活のムードメーカーであるのだが、賢一同様に頭の方はあまり良くなかったりする。そんな隆平に、自分の席で黙々と本を読んでいたメガネの2年生が、目線を本からそらさずにひどく呆れた口調で言う。

孝「取材先のアポ取りしかしないお前に、そんなこと言えるのか?」

この男子生徒は、幾永孝彦。1年の時から図書委員と部活を両立してきた読書好きであり、やや融通が利かない面も持っている。そして何より、ウマが合わないのか隆平とは中学の時からのケンカ相手である。

隆「なんだと、孝彦!アポ取りバカにすんなよな!コールセンターでのバイトに精を出している俺だからできる仕事であって…ってか、お前こそ活動中に本なんか読みやがって!そんな奴に説教されたかねえよ!」

そう言って、隆平は孝彦の読んでいた本を取り上げた。

孝「あ、返せバカ!」

隆「誰がバカだ、誰が!」

晶「うるさーーーい!!」

その一言に、部室がシーンと静まり返った。…が、修丸を除く誰一人として驚いて静まり返ったわけではなく、ただたんに晶を疲れさせてはいけないと言う配慮からのだんまりだった。

賢「晶センパイってホントに怒りっぽいんだね……」

1年生であるがゆえに入部して日の浅い賢一は、少し怖がるように陽にそう言う。

陽「怒りっぽいっていうか、苦労してるのよ。いろいろ……」

苦笑気味にそう答える陽。そんなひそひそ話しにも気づかずに、晶は隆平と孝彦の方を見る。

晶「毎日毎日、なぜ飽きない?!お前らのケンカのせいで活動が進まないのがわからないのか!!」

隆・孝「だってコイツが!……マネすんな!!」

声を合わせて反論しようとしたかと思えば、今度はそのことに対して声をそろえる2人に、晶はわなわなと震えだした。

晶「お前ら~…いい加減に―」

と、その時。晶の言葉を遮るように部室のドアが開いたかと思うと、そこに立っていたのはカメラを首からぶら下げた2年生と、同じようにビデオを首からぶら下げた、学ランの男の子の2人だった。

路「はい、そこまで!」

海「もう~、またケンカですかぁ?」

晶「龍路、龍海!」

修「遅かったですね、2人とも…」

カメラの2年生は、孝彦のクラスメートである佐武龍路。部内で唯一円滑に隆平と孝彦のケンカを収める強者で、カメラの腕と面倒見の良さはピカイチだったりする。そしてその隣の学ランは、龍路の2つ年下の弟で、閏台中学3年生の佐武龍海。ビデオと龍路が大好きな甘えっ子であり、中学生でありながら高校のメディア部に入り浸ってもはや2年目である、賢一の唯一の後輩だったりもする。

路「ああ、中学に龍海迎えに行くついでにほら、ちょっとフィルムとビデオテープ買ってきたんだ。」

海「そろそろ新しい記事書かなきゃでしょ?どんな記事を書くにしたって、取材準備はちゃんとしとかないと!」

龍海のその一言に、部室内はまた静まり返った。

海「あれ?…ねえ兄ちゃん、僕なんか変なこと言った?」

路「そうだなぁ、変じゃなくても、まずいことは言ったかもな…」

海「まずいこと?」

悪気もなく龍路にそう訊く龍海に、修丸はばつ悪そうに言った。

修「あ、あの、その…ネタがないんです…」

海「あー、そゆことですか…」

同じくばつ悪そうに納得する龍海に、晶が半ばやけくそ気味にその肩に手を当てて言った。

晶「龍海!中学でなんか記事になりそうなネタはないか?!」

海「えー、そんなこと言われてもぉ…僕はビデオ録画担当でネタ集め要員じゃないし、それに一応、中3の受験生だし…」

孝「受験生って…お前の中学とうちの高校は一貫教育なんだから受験なんてないだろうが。」

孝彦の言う通り、閏台中学と閏台高校は中高一貫教育システムの採用校であり、中学に入ってしまえば高校の試験は免除される。また、中学は平凡な学校だが、高校の方が部活の実績が高い学校であるため、高校からの編入希望者が多いのも現実である。

海「でも、どっちにしったって3年生の勉強は忙しいんですぅ!ネタなんか探してる暇ありませんよ。」

孝「だったら、中坊のくせに兄貴の部活に顔出す暇もないんじゃないのか?」

隆「バカ、メディア部準所属の龍海になんてこと言うんだよ!」

孝「準所属ってなんだよ。ってか、バカはお前だろうが。」

隆「んだと、このメガネ!」

孝「言ったなこの―」

路「お前ら、んっとに暇なんだなぁ……」

龍路の言葉に、2人は言葉を失った。

路「ほら、ケンカなんかしてる暇があるならさ、修丸の手伝いでもしてやろうぜ?」

孝「そ、それもそうか…」

隆「ま、ネタがなきゃあ俺らの担当の仕事もないしな…」

そんな様子を見て、賢一はまた陽とひそひそ話し始めた。

賢「龍路センパイって、すごいなぁ。ホントしっかりしてるよね。」

陽「ええ。孝彦くんも隆平くんも、龍路くんにはかなわないのよね。」

場が落ち着いたのを見計らい、晶が言った。

晶「よし!今日の活動内容を決めたぞ!」

修「はあ、何をやるんですか?」

晶「今、龍路が言った通り…全員でネタ集めだ!」

その言葉に、修丸こそは嬉しそうな顔をするが、他の部員は皆それぞれに嫌そうな顔、もしくは苦笑をする。

孝「待ってくださいよ……俺は情報収集係だし、第一んなことしてたら全員に役割振ってる意味ないでしょ?」

晶「だから、ネタがないとみんな役割の仕事ができないだろ?ってかお前、さっき龍路の意見に賛成してたじゃないか。」

孝「いや、あれはその場の勢いというか……」

困る孝彦を見て、陽も少し困った様子で晶を見る。

陽「でもセンパイ、せっかくみんな部室に集まったのに、ネタ集めって今からやるんですか?」

晶「今からやんないでどうすんだよ?……さあ行っくぞー!」

1人楽しそうな晶だったが、つい先ほどからなぜか廊下の方をじっと見ていた隆平が苦笑しながら、晶を見る。

隆「いや、でも今からは無理じゃないスかね?」

晶「は?」

隆「いや、だって多分先生だと思いますけど、誰か来てますよ?」

その時、隆平の言葉通りに静かに部室のドアが開いた。

賢「あ……」

入ってきた女生徒を見て、小さくそんな声を漏らす賢一だったが、陽がなんとなく気付いただけで、他の部員は賢一の反応には気付いていない。

晶「ったく、お前の地獄耳、いつもながらすごいな。」

隆「すごいっつーか、ただ勝手に聞こえてくるだけなんスけどね。」

隆平は人並み外れた聴力を持っていて、今のように閉めたドアの向こうの足音にいち早く気付くのはいつものことであった。

孝「でも、先生じゃなかったよな。」

いつの間にか読書を再開していた孝彦が、どこか嫌味っぽく言い放つ。

隆「別にいいじゃねえか!誰だってよ!」

篠「あ、あの…」

孝彦と隆平がケンカを始める前に、メディア部を訪ねてきた女生徒が口を開いた。赤いネクタイから見るに、1年生のようである。

路「ああ、ゴメンな。えっと君は…」

不思議そうにそう言う龍路を見て、女生徒は優しく笑って言った。

篠「あたし、神童くんのクラスメートで、物理部1年の篠原美紅っていいます。」

路「へえ、賢一のクラスメートねえ。」

納得するようにそう言う龍路をよそに、隆平が自分の席から立ちあがり、まるで格好をつけるように入り口近くに立っている篠原の手を握った。

隆「はじめまして、美紅さん。ボクはメディア部のエース、近宮隆平と申しま―」

最後まで言い終わる前に、晶のゲンコツが隆平の頭の上に振り落とされた。

隆「ったあー!!ちょ、センパイ!何するんスかぁ!」

晶「誰がエースだ、誰が!部長は自分だっつーの!ってか!お前は女の子相手にすぐそーいう態度取るの止めろ!!」

そんな晶を見て、篠原がおかしそうに笑う。

晶「な、なんだよ…」

篠「すみません…!でも、部長さんが神童くんに聞いてた通りだから…」

そう言う篠原に、晶は不思議そうな顔をしている。

賢「ちょ、ちょっと篠原さん!」

賢一が慌てて篠原を止めようとする。

孝「聞いてた通り?」

隆「そうさな、そりゃきっと男女だってことじゃねーの?」

言い終わるや否や、晶による2発目が入った。

隆「って~!!」

晶「女って言うな!ったく、虫唾が走る…」

隆「いや、女じゃなくて、男女―」

晶「どっちでもおんなじだろうが!」

賢「でも晶センパイ、僕、前から聞こうと思ってたんですけど、なんでそんなに女って言われるのが嫌なんですか?わざわざジャージ登校までして…」

悪気のないその言葉に、部室内は一気に「ヤバイ」雰囲気に見舞われる。…が、賢一にそう言われて、晶は静かに自分の席に座った。

晶「あのなぁ賢一、自分が女らしくしてるとこ、想像できるか?」

部室はまたまた静まり返る…

賢「えっと……」

孝「お言葉ですけど、できませんね。」

言葉に詰まる賢一を見て、孝彦が助け舟(?)を出す。

晶「お言葉かどうかは知らんが、想像できないだろ?できなくていいんだよ。だから自分は男らしく生きてんだ!文句は言わせん!」

修「あ、いえ…別に文句はありませんけど…」

少し怖がるような修丸を見て、晶は少しバツ悪そうに篠原の方を向いた。

晶「……で!?篠原さんって言ったっけ?わざわざ部室まで来るなんてどうしたんだ?」

篠「あ、はい…あの、メディア部って調べものとかが得意だって聞いたんですけど…」

海「ええ!調べて書くのが仕事ですから!」

晶「中学生は黙ってろ!」

海「は~い…」

撃沈する龍海をよそに、晶が少し困ったように篠原に言った。

晶「んで、調べものだったな。うん、確かに他の部活に比べたら、得意と言えば得意だが…」

そう言う晶に、篠原は何かを言おうとするも、ためらっているようだった。

篠「あの、実は昨日の夜―」

その一言に、部員全員が不思議そうに篠原を見た。と、その時。ドアをノックする音が聞こえ、真剣に篠原の話を聞いていた部員たちはビビリの修丸でなくともみな驚いてドアの方を見る。

鳩「おーい、開けてくれ!」

賢「えっと、鳩谷先生……?」

声を聞いてそう言う賢一が部室のドアを開けてあげると、そこには模造紙のロールが何本も入った段ボールを持った、メディア部顧問の鳩谷知人が立っていた。

鳩「ふう……ありがとな神童。」

賢「いえ。」

鳩「それにしても近宮、俺の足音聞えなかったのか?」

隆「いやぁ、ちょっと取り込み中でして~……」

そんな隆平を少し不思議がりながら部屋の隅に段ボールを置く鳩谷に、龍海が不思議そうな顔をする。

海「先生~、なんですか、それ?」

鳩「なんですかって、お前たちそろそろ次の記事を書く時期だろ?だから職員室に余ってた模造紙持ってきてやったってのに…って、佐武の弟!お前また高校に来てるのか?」

海「だってぇ……あ、そうだ!僕、ここの準所属なんですって!だからいいじゃないですかぁ!」

路「すいません、先生。コイツの面倒は俺がちゃんと見ますんで。」

鳩「まったく、中学生が高校の部活に入り浸るなんて聞いたことないぞ!」

そんな中、修丸が驚いた表情のまま固まっていることに、孝彦が気づいた。

孝「ん?どうした、修丸?」

修「い、いえ……先生のノックが、まだちょっと……」

孝「お前、本当にビビリだよなぁ。にしても隆平、篠原さんには気づいても先生には気づかないなんて、お前の地獄耳も役に立たねえな。」

隆「うるせえな、だからさっきは話に集中してたんだよ!」

その時、篠原が気まずそうに静かに席を立った。

晶「どうした?」

篠「いえ、なんか忙しそうだから、また今度にします…」

そう言う篠原を見て、なぜか賢一はイヤな感じを覚えた。

晶「そうか?まあ、そう言うなら―」

賢「あの!!……その、別に忙しいってことは、ないんだけど…」

そんな賢一を、みんな不思議そうな顔で見る。

陽「どうしたの、急に…」

賢「あ、いや…話の続き、聞きたいなあって…」

だんだんと語尾を弱める賢一に、鳩谷が不思議そうに訊く。

鳩「話?そう言えば君は神童と同じクラスの篠原だよな?メディア部になんか用でもあったか?」

篠「あ、大した用じゃないんです。じゃあ、また来ますね…」

晶「おう、いつでも来い!」

入り口付近で軽く会釈してから部室を後にした篠原だったが、賢一は1人、とても不安そうな顔で篠原が締めていったドアをじっと眺めていた。

陽「ヨシくん…?どうしたの?」

賢「あ、いや…なんでもない……(なんだったんだろう…さっきのあの感じ…)」

そうは答えつつも、賢一は不安の色を隠せないままに篠原が出て行ったドアをじっと見ていた。

 

篠「明日、また訪ねてみよう……」

部室を出て行った篠原だったが、誰かが物陰からその姿を見ていたことに、誰も気づかなかった…

?「…ッチ」

 

部活動が終わり、賢一が漕ぐ自転車の後ろで陽はフッと聞いた。

陽「ねえ、さっきどうしたの?」

賢「さっきって?」

陽「ほら、篠原さんに話聞きたいって言ってたじゃない。なんていうのかな、あの時のヨシくん、ちょっと変だったよ?」

賢「……」

陽「ヨシくん?」

賢「僕もよくわかんないけど、なんか、あのまま帰らせちゃいけない気が、なんかイヤな予感がしたんだ。…まあ、気のせいだと思うけどさ。」

陽「ふ~ん…変なの。」

その言葉通り、この時陽は今日の賢一の言動、今の言葉をさほど気には留めなかった。

 

次の日、何事もなかったかのように朝が来て、そして放課後はやってきた。

メディア部の部室では、晶が昨日以上にイライラとした様子で、自分の席で貧乏ゆすりをしていた。

孝「晶センパイ、今日は一段とイラついてんなぁ。」

修「ですね……なんかあったんでしょうか?」

晶「なんか…?」

修丸の言葉を聞き、晶は修丸を睨んだ。

修「え…!?」

晶「お前がしっかりせんから、ネタがなくてイラついてるんだろうが!!よくもまあ、ネタを手ぶらで部室に出入りできたものだな、オイ!役割分担の時に、「ネタ集めなら任せてくださ~い」とかなんとか言ってたのはどこのドイツだぁ?!」

ここぞとばかりに怒りが爆発する晶に、修丸は今にも逃げ出しそうな勢いで必死に謝る。

修「ごめんなさい~~~!!」

海「も~、晶センパイったらぁ、部長は部員を大事にしてナンボでしょお?」

ビデオを回しながら晶を映す龍海を、晶はキッと睨んだ。

晶「うるさい中学生!!ってかビデオ回すの止めい!!」

海「だ、だって…最近面白いものぜんぜん撮ってないから―」

晶「だったら記事と関係あるものだけを撮ってろ!このビデオバカ!」

海「うぅ…兄ちゃあ~ん!!」

そう言いながら、龍海は泣きながら龍路の胸に飛び込んだ。

路「おー、よしよし、怖かったなあ。兄ちゃんの胸でたぁんとお泣き。」

優しくそう声をかけ、龍海の頭をなでてやる龍路。しっかり者の龍路でも、弟龍海のこととなるとブラザーコンプレックス丸出しである。

海「あ~ん!」

晶「こら龍路!お前龍海に甘すぎだぞ!」

路「そんなこと言っても、俺コイツの兄貴ですし。」

海「そーですよ!!それにビデオも写真も、もっと自由に撮ってイイモノなんですぅ!」

晶「お前らなあ…ってか、特に龍海……言ってる事メチャクチャだぞ?」

孝「ま、佐武兄弟のおかげで出来のいい写真や映像を使えるんだから、そこは我慢しないと。」

言葉とは裏腹に、呆れ加減がうかがえる孝彦の口調。

晶「それはあくまで、ネタがあっての話だろ?!ったく、結局昨日はなんの収穫もなかったし…賢一の言う通り、篠原さんの話、ちゃんと聞いときゃよかったよ……」

陽「それにしても篠原さん、何を相談しようとしてたのかしら?」

隆「さあなぁ。それがわかれば、センパイの怒りも収まるってもんだ。」

修「ハイッ?!」

なぜかいきなり返事のような反応をする修丸に、部室は静かになる。

隆「……「修丸」じゃなくて、「収まる」だよ。ったく、紛らわしい名前しやがって…」

孝「隆平お前なあ、人の名前からかうんじゃねーよ。」

別に本人にその気はないのだろうが、相手が隆平となるとすぐに揚げ足を取ろうとしてしまうのが孝彦の悪い癖であり、今回は違えどもその逆もしかりである。

隆「別にからかってなんかねーよ、バカメガネ!」

孝「な、誰がバカメガネだと?!」

隆「バカでメガネな部員が他にいますかねぇ?孝彦さんよぉ!」

孝「テメェなぁ!何度も言わせんな!バカはお前だろ―」

路「お前らさ……これ以上晶センパイの神経刺激するなよな。」

海「そーですよぉ!まったく、隆平センパイも孝彦センパイもおバカさんなんだから。」

悪乗りする龍海だったが、すかさず晶に睨まれる。

晶「龍海、お前もイライラの種だってこと、忘れてないだろうな…」

海「そ、そー言えば!賢一センパイと篠原さんって、クラスメートですよね?!昨日の話とか聞かなかったんですか?!」

慌てた様子を隠すことなく、部室に来てからずっと黙り気味の賢一を見てそう言う龍海。

晶「コイツ…」

路「話を逸らしたな…」

海「で、どうなんですか?」

賢「いや、まあそうなんだけど…篠原さん、今日は学校を休んだんだ。そりゃ、まだ入学して1か月くらいだけどさ、今まで1回も休んだことなんてなかったのに…」

隆「疲れて寝てたんじゃねーの?昨日の様子からして、なんか悩んでたみたいだし、それで寝不足とか。」

賢「だと、いいんですけど…」

その一言に、みんなが不思議そうに賢一を見た。

賢「あ、いや…!なんでもないです、なんでも―」

その時だった。勢いよくドアが開いたと思うと、鳩谷が慌てた様子で部室に入ってきた。

鳩「大変だぞ、お前たち!」

隆「大変って、何がっスか?」

鳩「それがな、…さっき物理部員たちが見つけたんだが…死んでるんだ。…篠原が物理準備室の中で…」

賢「!!」

鳩谷の言葉を聞いた瞬間、賢一は血相を変えて部室を飛び出した。

隆「お、おい賢一?!」

陽「待ってヨシくん!!」

賢一を追うように他の部員たちも部室を出たが、足の速い賢一の姿はすでに部室のある廊下からは見えなくなっていた。

 

2(⑥)

部員たちは人だかりのできた物理室や物理準備室の前で部員たちが賢一に追いついたが、話しかける暇もなく賢一は人をかき分けて物理準備室に入ろうとする。

晶「ったく、ひどい野次馬だな!」

人の多さにそうぼやく晶だったが、ふと龍路が準備室に近いところに立っている賢一を見つける。

路「おい、待てよ賢一!」

賢一を見つけた龍路に続くように部員たちも準備室の入り口を目指した。そこには、教師に抑えられる生徒たち、その手前くらいのところで立ち尽くす賢一、そして準備室の中で苦痛に顔をゆがめて死んでいる篠原がいた。

修「し、篠原さん……!」

海「そんな…なんで…!?」

教師「こら!入るんじゃない!」

他の生徒たち同様に教師に抑えられながらも口々にそう言うメンバーをよそに、何も言わない賢一の様子を不思議がった陽は、気まずそうに賢一の肩に手を当てた。

陽「ねえ、ヨシくん大丈夫―」

陽が声をかけた瞬間、賢一はその場に崩れ落ちた。

陽「ちょっと、ヨシくん?!」

賢「…の…だ…」

晶「なんだって…?」

賢「僕のせいだ…」

そう言って、賢一は両手で頭を抱え始める。

隆「おい、お前何言って―」

賢「僕が強く止めなかったから…」

孝「止めなかったって…」

賢「昨日、帰ろうとするのを止めてれば…!あの時ちゃんと話を聞いてれば、篠原さんは……こんなことには……」

そう言った瞬間に賢一は強い動悸に襲われ、頭を抱える両手に異常なまでに力が入る。

賢「うわああああああ!」

陽「ヨシくん!…ねえ、ヨシくん!!」

路「おい、大丈夫か賢一!」

賢「……」

みなが心配する中、賢一は気を失うようにその場に倒れ込んだ。

陽「気絶してるわ…」

修「気絶……ですか?」

海「ショック、だったんでしょうかね……」

隆「で、でもよ…それだけで気絶なんかするか?」

晶「んなこと言ったって放っておくわけにもいかんだろうが。……とにかく、保健室運ぶぞ!」

晶の言葉を受けて、メディア部の中で一番背の高い龍路が賢一を負ぶった時にはすでに、篠原を発見した誰かが呼んでいたのか、外ではパトカーのサイレンが聞こえ始めた。

 

メディア部部室では、賢一と陽を除く6人がそれぞれに何かを考えていた。

晶「賢一たち、遅いな…」

路「かれこれ、1時間くらいですかね?」

時計を見る晶につられるように龍路も時計を見る。

修「賢一くん…大丈夫でしょうか……」

孝「篠原さんが死んだこと、すごく気にしてたからな。……なんか様子も変だったし。」

そう言う孝彦は、本を開いてはいるものの、いっこうにページが進んでいない。

海「でも、篠原さんどうして亡くなったんでしょうね?あんなところで、しかもあんな顔して……」

隆「なんか、すげー苦しそうな顔してたよな。」

そう言って、隆平は小さく何かに反応してドアの方を見る。

孝「どうした?誰か来たか?」

隆「ああ、たぶん……」

隆平がそう言っている最中、ドアが開いて鳩谷が入ってくる。

鳩「明田先生に聞いたけど、神童の奴、篠原を見て倒れたそうだな……」

晶「ええ、今陽が保健室で付き添ってるんですけど、1時間くらい経ってるのにまだ帰ってこなくって……」

賢一の状態を説明する晶だったが、待ちきれないと言ったように隆平が口を開く。

隆「ねえ先生!篠原さん、なんで死んだんですか?!…普通あんなとこで死んだりしないでしょ?!」

その言葉に、鳩谷は少し顔色を曇らせる。

鳩「ガスを吸ったそうだ…」

修「ガスって、どういうことですか…?」

鳩「今、警察が物理準備室の調査をしてるんだが、なんでも洗剤の入ったバケツが物理準備室で見つかったそうだ…それがまた、物理部と科学部、それから化学部の3つの部活で共通して使っているものらしいんだよ。」

孝「あの…洗剤でガスって、もしかして塩素ガスですか?」

鳩「ああ。警察の言うところでは、科学部か化学部が入れたままにしていた塩素系の漂白剤か洗剤を、水と間違えてそのまま洗剤を入れたんじゃないかってところらしい。……今物理部で使っている洗剤を見たら、酸性の洗剤だったらしいからな。」

隆「塩素ガス?洗剤?どーゆーことだ?」

隆平が訳もわからないと言った顔で困り果てる。

孝「ったく、ホントにバカだなお前。んなことも知らないのかよ…」

隆「はあ?!誰がバカだって?!」

孝「お前以外に誰がいるんだよ?」

隆「俺がバカならお前だってバカだろうが!」

孝「なんだと、この―」

修「ちょ、ちょっと2人とも落ち着いて―」

隆・孝「お前は黙ってろ!」

修「す、すみません!」

そんな様子を見て、龍路がため息をついた。

路「お前らなぁ…!今はケンカしてる場合じゃないだろ?…人が1人亡くなってるんだ…」

孝「あ…悪い…」

隆「そう、だよな…」

少しの沈黙の後、孝彦が隆平の方を見た。

孝「いいか、結構常識的なことだから覚えとけよ?塩素系の薬品と酸性の薬品を混ぜると、人体に有毒な塩素ガスが発生するんだ。それを吸いすぎると呼吸困難などを引き起こし、最悪の場合死に至る…」

その口調は、淡々としながらも丁寧だった。

隆「死…」

海「あれですよね、「混ぜるな危険」って奴……うちのお風呂場にそんな洗剤、置いてありますもん……」

それから、また少しの沈黙が続いた。

鳩「篠原、とても真面目な子なのに今日の授業は無断欠席していたから、おかしいとは思っていたんだが…」

修「連絡、なかったんですか?」

鳩「ああ。それどころか、担任が篠原の家に電話してみたところ、昨日から家にも帰ってないと言うんだ。…おそらく、昨日の部活の後に、1人で部室の掃除でもしたんだろうな。」

晶「そうか…しかし、そんな事故で死んでしまうなんて…」

その時、いきなりドアが開いた。

賢「お前ら、揃いも揃ってバカなのか?」

そこに立っていたのは、賢一とおどおどしている陽の2人だった。しかし、賢一はどこか雰囲気が違って見えた。

晶「賢一!お前、大丈夫なのか―」

賢「気安く賢一なんて呼ぶんじゃねえ!」

その一言と剣幕に、部員や鳩谷はビクついた。

隆「な、何言ってんだお前?!」

賢「フン…オレの事より、この殺人のことをもっと考えた方がいいんじゃないのか?」

鳩「殺人?何を言ってるんだ……これは事故だって警察が―」

賢「寝言は寝て言え。」

鳩「…え?」

賢「あの状況を事故だと言い張ることの、どこをどう取って寝言じゃないと言うんだよ?ったく…」

修「あ、あの状況って、どういうことですか?」

賢「篠原が死んでいた物理準備室だよ。いいか?さっき見た限りでは、準備室の窓は閉まっていた。わかるか?有毒ガスが発生した部屋で、窓が閉め切っているのはおかしいだろ?」

陽「……そっか、普通だったら真っ先に窓を開けるかも。」

ふと思いついたようにそうつぶやく陽の言葉に、賢一はつまらなさそうな表情で小さくうなずく。

賢「塩素ガスは黄緑の有色ガスなうえに、匂いもする。どんなバカだろうと異変に気付かないはずはない。…それから、篠原がいた場所だ。」

隆「いた場所?そりゃ物理準備室―」

賢「オレが言いたいのはそんなことじゃない、この能無しが。」

隆「~~!」

あっさりとそう言い捨てる賢一に、隆平は悔しさから何かを言おうとするも、上手い言葉が出てこない。

賢「篠原の死体は、ドアの近くにあった。それも、片手を伸ばした状態でな。」

路「お前、よくそんなことまで憶えてるなぁ。…でも、それのどこが変なんだ?」

賢「窓が開いていないことに何か理由があるとして、おそらく篠原はドアから外に出ようとしてあんなところにいたんだろう。だが、結果的に篠原は外に出ることなく息絶えた。」

孝「言われてみれば、確かに妙だ!」

隆「だから、何が?」

少し突っかかるような言い方の隆平に、孝彦も少しムッとする。

孝「だって、たとえカギがかかっていたにしろ、懲罰房じゃないんだから内側から開けられるだろ?しかもドアは部屋の中に向かって開く内開きだ。外に物を置いたってドアは開くじゃないか!」

隆「た、確かに!」

賢「つまり、普通に考えればあそこから外に出られない理由は何1つとして見つからない。…なのにだ、篠原は部屋から出なかった。」

路「なるほど、改めて考え直すと、事故にしたらおかしな点が多いな。洗剤の入ったバケツとガスって聞いたせいで、先入観だけで考えちまってた……」

そんな龍路を無視するように、賢一は何かを考え出したかと思うと、部員たちの方を向き直った。

陽「ちょっと、どこ行くの?」

賢「物理準備室だ。」

晶「は?なんで……」

賢「見ただけじゃわからないことを確認しに行く。事故で片付けるくらいなら、警察ももう引き上げただろうからな。」

そう言って部室の外に向かって歩き出す賢一。

海「行っちゃった…」

路「それにしても賢一の奴、一体どうしちまったんだ?いつもと雰囲気が違いすぎるって言うか……あれ、ホントに賢一なのか?」

修「あんな高圧的で冷静な賢一くん、見たことありませんよ…」

晶「まったく…なあ陽、保健室でなんかあったのか?」

その問いに、陽はどこか不安げにうつむく。

陽「それが…」

そう言って、陽は保健室での出来事を話しだした。

 

―陽「(ヨシくん…昨日からなんか変だし、どうしちゃったのかな…)」

気を失ってベッドで寝ている賢一に付き添っている陽は、賢一のことが心配でたまらなかった。その時、保健室の引き戸が開く。

陽「明田先生…」

賢一と陽だけの保健室に、養護教諭の明田が入ってきた。

明「ごめんなさいね、宗光さん。ずっとついていてあげられなくて。」

陽「いえ、あんなことがあって先生方も忙しいでしょうし…こうして様子を見にきてくれるだけでも嬉しいです。」

明「そう?そう言ってもらえると助かるわ。…神童くん、まだ寝てる?」

陽「ええ、相変わらず…でも先生、ショックで気を失うことってあるんですか?」

明「そうね…あんまりないことだけど、100%ないとは言えないわ。…亡くなった篠原さんは神童くんのクラスメートだったみたいだし、それにほら、この子は他の子に比べて……ね?」

少し言いにくそうにそう言う明田に、陽は不安げに言う。

陽「普段はそんなこと、感じさせないくらい強い子なんですけど……」

そんな陽を、明田も心配そうに見る。

明「そうね……でも、神童くんが抱えてる不安の中身って、私たちにはきっと理解できないじゃない。だから、それが一気に爆発したって 可能性もあるでしょうね……」

陽「そう、ですね……あの、実はヨシくん、昨日からなんか変だったんです。」

明「変って、何かあったの?」

陽「昨日、篠原さんが相談したいことがあるって言ってメディア部に来たんですけど、騒がしくなっちゃって、結局落ち着いてからまた来るって言って帰ろうとしたんです。その時、ヨシくんすごい必死に篠原さんを止めて、話を聞こうとしてて…まるで、今話を聞かないともう聞けなくなるような、そんな勢いでした……」

明「そう、そんなことがあったの…まるで、篠原さんが今日亡くなることを予知してたみたいね。…なんて、そんなことあるわけ―」

賢「みたいじゃない。予知してたんだよ。」

どこか苦笑気味にそう言う明田の言葉を遮った声は、ベッドのある方から聞こえた。

陽・明「え!?」

驚いた2人がベッドを見ると、さっきまで寝ていたはずの賢一が、窓の外を見つめて上半身を起こしていた。

陽「ヨシくん!…よかった、ヨシくんったらいきなり倒れちゃうから心配したんだよ!」

賢「気安く呼ぶんじゃねえよ。」

陽「え…?」

驚く陽に、賢一は振り向いて見せた。その顔つきは、いつもの温和な賢一ではなかった。

陽「あなた、ヨシくんよね…?私の弟の賢一くんだよね……?」

賢「フン……オレに名前なんてない。…気安く賢一なんて呼ぶな。」

そう言って、賢一はベッドから降りて保健室の入り口まで速足で歩き始めた。

明「ちょ、ちょっと待って!予知してたってどういうこと?!」

明田の言葉に賢一は一瞬足を止めたが、答えも振り返りもせず、また歩き出した。

明「どこに行くの?!」

賢「うるせえよ。」

賢一はそう言い放ち、なお足を止めようとせずに引き戸を開ける。

陽「待って!」

陽は慌てて賢一の後を追って行った。―

 

晶「そんなことがあったのか…」

陽「はい…。私にも、何が何だかわからなくて。でも、彼はヨシくんじゃない…それだけはわかるんです…!」

晶「陽…」

孝「でもよ陽、確かに様子は変だったけど、あれはどう見ても賢一だったじゃないか。」

陽「そうだけど…でも、やっぱり違うの……」

隆「まあ、姉のお前がそう言うんだったら、そうなんだろうな。」

陽「あの、私物理準備室に行ってきます……なんだか彼、心配だから…」

晶「そうだな…あの様子じゃ、物理部の反感を買いかねないし……よし!だったら自分も行くよ。お前や賢一の部活の部長だからな!」

陽「センパイ…ありがとうございます。」

控えめにも嬉しそうな陽に、晶も快く言う。

晶「おう。」

そう答えて、晶は部員たちを見る。

晶「で、お前らどうする?」

その言葉に、隆平がどこか嬉しそうに言う。

隆「え、もしかしてついてっていいんスか?!」

晶「まあ~、自分いないとお前ら活動もしないんだろうからなぁ……」

なぜか悩ましげにそう言う晶だったが、その真意に気付かずに隆平はさらに嬉しそうに言う。

隆「だったら一緒に行きまーす!」

孝「隆平が行くんなら、俺も行きます。……コイツ放っておくのは不安でしかないんで。」

本を閉じてそう言う孝彦に、隆平はすぐに突っかかる。

隆「はあ?なんだよ、お前は俺の保護者かっての!」

孝「誰がお前みたいな子供を持ちたがるんだよ?」

隆「テメェ―」

路「センパイ、俺も行っていいですか?賢一のことも、事件のことも気になるし……」

ごくごく自然に2人のケンカを予防し、なおかつ自分の意見を述べる龍路に晶も感心しながら言う。

晶「ああ、いいぞ。…で、龍路が来るなら―」

海「僕も行きまーす!!」

元気にそう言って、龍海はふと思い出したかのように修丸を見る。

海「センパイどうするんですか?」

修「あの、僕も行きます。…龍路くんも言ってましたけど、篠原さんが事故で死んだんじゃないってのがすごく気になるので。」

そして晶は部員たちを見回して、どこか少し嬉しそうに言う。

晶「よし、そうと決まればさっさと行くか。」

鳩「響鬼、悪いが任せてもいいか?俺はちょっと職員室に戻らなきゃいけないんだが。」

晶「ええ、大丈夫ですよ。そんじゃ行ってきますね。」

そう言って、晶たちと鳩谷は一緒に部室を出た。

メディア部が物理室に行くと、5人の男女が心配そうに、物理室と準備室を繋ぐドアから物理準備室を覗いていた。

晶「失礼しま~す……」

熊「あれ……君は確か、メディア部の…」

晶「メディア部部長の響鬼晶だ。前の部長会議であっただろうが…えっと…」

熊「物理部部長の熊谷勇斗。…お互い様じゃないか。」

苦笑気味に笑う熊谷に、晶も苦笑する。

晶「ここに、1年男子が来なかったか?神童っつって、うちの部の1年なんだけど…」

霧「ああ、来ましたよ。いきなり「準備室を見せろ」なんていうからびっくりしましたよ。」

そう言うのは物理部の2年生、霧江治則である。

陽「この中にいるのね?」

川「あ、待って!」

準備室に入ろうとした陽を、物理部2年の女子、川西絵梨が止める。

陽「え?」

川「今は入らない方がいいわ。」

修「どうしてですか?」

霧「俺らもさっき、何してるんだろうって入ろうとしたら怒られてさ。こう、なんつーの?怒鳴られたわけじゃないんだけど、うん。あれは怖かったよ。」

少しだけ怪訝そうな霧江に、龍路は苦笑して言う。

路「まあ、アイツいつもはあんなんじゃないんだけどな…」

霧「そうなのか?」

龍路の話に、霧江は意外そうな顔をする。

川「でも彼、一体何をしてるのかしら?」

隆「なんでも、篠原さんが死んだのは事故じゃ―」

陽「何をしてるって訳じゃないんじゃないかしら?…あの子、篠原さんとはクラスメートだったから、きっと事故のことが特別気になってるんだと思う。」

隆「あ…」

隆平の言葉を遮る陽を見て、隆平は陽の意図を理解した。

遠「美紅…あたしが昨日部活休まなかったら、一緒に掃除してたら死ななかったのかな…」

メディア部が来たことも気にもせず、物理部の1年、遠藤由佳が泣きそうな声で言った。

海「え?どういうことですか?」

寺「部活動の後の掃除は、1年生がやることになってるんだ。しかし、篠原の奴、なんで換気扇も回さず、部屋を閉め切って掃除なんかしてたんだ…!」

川「寺尾先生……」

悔やむように言う寺尾を、川西が心配そうにその顔を覗く。

賢「おい。」

その一言に、話に集中していた物理部及びメディア部のメンバーは驚いた。

川「え?!」

いつの間にか、物理準備室を見ていたはずの賢一が物理室へと戻ってきていた。

賢「お前じゃない。……おい、その掃除ってのは、いつも同じことをやるのか?」

遠「え?ええ…使った実験道具を戻して、それから掃き掃除、最後に棚を掃除するの。それで準備室と物理室の鍵を閉めて職員室に戻して、あたしたちも帰る。いつもそんな感じだけど…」

賢「洗剤を使うのは、その棚の掃除のときか?」

遠「そうよ。床は掃くだけだけど、棚はいつも洗剤を使って水拭きしてるから。」

賢「……」

遠藤の話を聞いてから少し考え込んだ後、賢一は寺尾に向き直った。

賢「お前にも聞きたいことがある。」

寺「なんだい?」

賢「準備室には、電灯と換気扇のスイッチはないのか?」

寺「ああ。物理室の電灯や換気扇のスイッチと同じところに、準備室のスイッチがあるんだ。ほら…」

そう言って、寺尾は物理室の廊下側の角に歩いて行き、そこにあるスイッチ盤を指した。

賢「誰か、篠原を見つけてからあのスイッチをいじった奴はいるか?」

そう言う賢一の言葉に、物理部員たちは互いに顔を見合わせはじめる。

寺「私はいじってないが、お前たちはどうだ?」

熊「え?俺はいじってませんけど…」

霧「俺もっす。川西は?」

川「あたしもいじってないわ。」

遠「まだ明るいから電気はつけなくていいし、換気扇はずっと回してるし…」

物理部員たちの短い会話を聞いて、賢一は何かに気付いたように目を細めた。

賢「…。おい、佐武のガキ。」

海「へ?ガキって僕のこと……?」

いきなり呼ばれて、思わず自分を指差す龍海に、賢一は苛立たしげに言った。

賢「お前以外に誰がいる?お前、確か篠原の死体を見に来た時にビデオを回してたな?」

海「え?ええ、部室で晶センパイからかった後でしたから…」

賢「見せろ。」

海「え……?見せるって―」

賢「いいから見せろ!」

海「は、はい!」

賢一の剣幕に押され、龍海は少し泣きそうな声で返事をすると、手に持っていたビデオカメラのモニターを開き、例の場面を再生しだした。

海「ここからでいいですか?」

しかし、賢一は何も答えない。

海「えっと…」

路「おい、なんか言ってやれよ…」

賢「とめろ……」

海「は、はい!」

静かにもいきなりそう言う賢一にまたビビりながらも、龍海は賢一が止めろと言った場所でビデオを一時停止させた。

賢「やはりそうか…」

少しだけだが、驚いたような顔をする賢一。

海「え?」

孝「やはりって、何が?」

賢「なぜだ…」

孝彦の問いにも答えず、賢一はさらに自問し始める。その顔はどこか嫌悪を含んでいるようだった。

孝「なあ、聞いてるのか?…っておい!」

孝彦が話している最中に、賢一は廊下に出ようとドアに向かって歩き出した。

隆「お前、どこ行くんだよ?!」

賢「……帰るんだよ。これ以上ここにいても時間の無駄だからな。」

そう言ってから、賢一は先ほどとは違う嫌悪をあらわにする。

賢「それに、お前たちのようなバカと一緒にいるだけでひどく疲れる。」

そう言い捨て、物理室を出て行った。

晶「な、なんて自己中な…」

修「陽さんの言う通り、確かに賢一くんはあんなこと言いませんもんね……」

賢一が帰った後の物理室は、呆れと驚きに包まれていた。

 

3(⑪)

部室に帰ってきたメディア部のメンバーは、部室の中を見て唖然とした。

隆「い、いねえ…アイツ帰るっつったじゃねえかよ!」

海「あ、もしかしてさっきの帰るって、家にって意味だったんでしょうか…」

路「らしいな。ほら、ホワイトボード見てみろよ。」

狭い部室を大幅に陣取るホワイトボードをじっと見てそう言う龍路の言葉に、みなホワイトボードを見た。

修「明日までに物理部について、篠原を殺す動機があるかどうか調べておけ。それくらいならバカでもできる。……ですって。」

たどたどしくボードの言葉を読み上げる修丸。

路「仕事丸投げってことは、家に帰ったって事だろ?」

孝「そんなことはどーでもいいよ。…しっかし隆平だけならまだしも、俺たち全員に向かってバカとは…」

隆「はあ?それどういう意味だよ!」

孝「この部活で一番のバカはお前だろうが。」

隆「誰がバカだ、誰が!」

そんな2人を見て、龍路が呆れた顔で何か言おうとしたが…

晶「だー!!もういい!2人ともバカだ、大バカだ!!ったく……それよりも賢一の奴、疲れたからって自分らに仕事押し付ける気かよ!?…ん?」

陽「…」

無理矢理隆平と孝彦のケンカをぶった切った晶は、ふと不安そうにしている陽に気が付いた。

晶「陽、お前ももう帰れ。」

陽「え?でも…」

晶「賢一のことが心配なんだろ?…ん?いや、アレは賢一ではないのか?いやでも賢一は賢一だし…」

自分で言っておいて、よくわからなくなってしまう晶に、陽は少し戸惑う。

陽「あ、あの…」

晶「ああ、悪い。とにかくだ。どっちにしたってこの調べものは今日は無理だし、自分らで誰が誰を担当するかを決めておくから、お前はアイツのことを頼んだぞ。」

快くそう言う晶に、陽は遠慮がちに小さく笑う。

陽「すいません、晶センパイ…じゃあ、お言葉に甘えて、今日は帰りますね。」

晶「おう!……ま、ゆっくり休めよ。」

陽「はい。」

陽は、どこか申し訳なさそうに部室を出て行った。

 

陽「あれ?」

家に帰ろうとして、いつもの癖で駐輪場に来てしまった陽は少し驚いた。そこには賢一の自転車が置いてあるままだった。

陽「自転車置きっ放し……ってことは、歩いて帰ったのかしら?」

そう思った陽は、駆け足で正門を出た。

 

陽「待って!」

賢「ん?」

陽は歩いている賢一を見つけ、やっと追いついた。しかし、ずいぶん前に学校を出たはずではあるが、陽が思ったよりも賢一は学校に近い場所を歩いていた。

陽「ねえ、自転車どうしたの?」

賢「フン…。あんな転ぶためにあるようなモノ、誰が乗るか…」

陽「まあ…確かに「自ら転ぶ車」って書くけど……あ、もしかして、乗れない…とか?」

賢一の話に陽は最初苦笑していたが、ふと聞きづらそうにそう切り出す。

賢「何度も言ってるが、オレは神童賢一じゃない。アイツのような力も、運動神経も持ってねえんだよ。」

陽「でも、それでも自転車くらい乗れるんじゃ―」

賢「悪いか?」

陽の言葉を遮った賢一は、不機嫌さと恥ずかしさを入り混ぜたような顔をしている。

陽「え?」

賢「自転車くらい乗れなくて悪いか?」

陽「べ、別にそんなことはないけど…」

賢「フン…。自転車の乗り方なんぞ、理屈でしか知らねえんだ。どうでもいいこと気にしやがって……」

恥かしさが消え、不機嫌さだけを残して賢一は足早に陽の前に出る。

陽「(ヨシくんはあんなに運動神経がいいのに…やっぱりこの子、ヨシくんじゃないんだ…)」

 

​⑫

家に帰って、賢一は夕食も食べずにさっさと2階にある自分の部屋で寝ていた。陽はドアを少し開けて賢一の様子をそっと見に来ると、カーテンも閉めずに壁際を向いて横になっている彼の背中を見て複雑そうにドアを閉め、1階のダイニングで夕食の片づけをしている陽一郎のもとへ手伝いに戻った。

父「どうだった?」

陽「ぐっすり…っていうか、なんかふて寝みたい。」

賢一が家に来るよりも前に病で妻を亡くし、再婚もせずに男手1つで2人の子供を養ってきた陽一郎は、仕事はもちろん、家事も母の代わりにずっとこなしてきている。そんな父を想い、宗光家では普段はできる限り、3人で家事をすることが日課になっているが、今日は陽が賢一の分も頑張っているのである。

父「そうか…」

陽の話にそう答える陽一郎。その後の少しの沈黙の後、陽が口を開いた。

陽「ねえお父さん……ヨシくん、どうしちゃったのかな?……昨日からなんか変だったし、それも関係あるのかな?」

父「そうだな…お前の話からすると、多重人格ってやつかもしれん。性格や知性の変化、それに、運動神経の塊のようなあの賢一が、普通は小学生でも乗れるような自転車にすら乗れなくなったっていうのも、気になるしな。」

陽「でも、だからってなんで今頃そんな人格が現れるのよ…?」

父「なんでって言われてもなぁ……もしかしたら、あの事と関係があるのかもしれんぞ?」

陽「あの事って、ヨシくんの記憶の事?」

父「ああ。賢一には家に来る前の、小学校に上がる前の記憶がない。その6年間の間に、今回の異変に関する何かがあったのかもしれない。もしくは、その事に対する不安から―」

賢「バカなこと考えてる暇があったら、少しはそのバカな頭を何とかしたらどうなんだ?」

話し込むあまり、陽一郎も陽も賢一がいつの間にかリビングに来ていたことに気付かず、いきなりの声に驚いた。

父「賢一!お前、いつの間に…」

賢一の名を呼ぶ陽一郎に、賢一は嫌悪感をあらわにする。

賢「オレは賢一じゃねえ。ソイツから聞いてねえのかよ。」

陽「ごめんなさい、言うの忘れてたわ。それよりもいつ起きたの?」

賢「フン…。起きるも何も、寝てなんかねーよ。」

どこかつまらなさそうな口調の賢一に、陽は思わず驚く。

陽「え?でもさっき、部屋覗いたら…」

賢「窓の外見て、考え事しちゃいけないのか?」

陽「い、いえ…」

冷蔵庫を勝手に開けて何かを探す賢一。

父「君は、何者なんだ?」

その一言に、賢一は冷蔵庫をあさる手を止めた。

父「賢一じゃないんだろう?だったら君は誰なんだ?」

賢「誰でもねーよ。」

陽「でも、あなたはこうして存在してるじゃない。誰でもないってことはないでしょ?」

冷たく言い放つ賢一だったが、考え付いたわけでもなく自然と陽の口からそう語られる。

賢「フン…。神童賢一の体を有する、神童賢一以外の存在。これで満足か?」

そう言い放って、賢一は飲み物の入ったペットボトルを取り出し、冷蔵庫を乱暴に閉めた。

陽「…。」

賢「なんだよ、その顔は…」

陽「ヨシくんは、どこにいるの?」

賢「安心しろ…賢一はちゃんとオレの中にいる。それは確かだ。」

陽「そう、なの?」

賢「ああ。」

陽「じゃあ、いつヨシくんに戻ってくれるの?」

賢「フン…。くだらねえことを気にしてんじゃねえよ。」

そう言って賢一は部屋に戻ろうとした。

陽「ちょっと、待ってよ!」

その一言に、賢一は歩を止めた。

賢「今は戻れない。今、アイツを出すわけにはいかねえんだ。」

静かにそう言い放ち、賢一は階段を上っていった。

父「今は…?」

陽「どういう意味だろう…」

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