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表裏頭脳ケンイチ
第5話「重なった境遇と信じる心」
①(1)
隆「♪~果てなく続くGalaxy その先で待ってる君よ 必ず迎えに行くと誓う 信じてくれ 俺は愛を追いかけるShooting Ster~♪」
ここは閏台高校から徒歩15分ほどの場所にある、閏台中学や閏台高校の生徒たちに定評の遊び場、カラオケ「狛犬」。
ここの一室に、メディア部の8人は集まっていた。その中で隆平はマイクを握って熱唱している最中で、賢一や佐武兄弟、修丸は楽しそうに隆平の歌に聞き入っている。
晶「しっかしまあ~隆平の奴、歌うまいなぁ。」
陽「ホント、隆平くんの歌って初めて聴きましたけど、音程とか全然外してないみたいですし。」
歌い終わった後なのか、咥えていた飲み物のストローから口を外しながら素直に感心する晶やその隣に座っている陽に、さっきまで隆平の歌を聞いていた修丸がもっともそうに説明する。
修「そりゃそうですよ。隆平くん、人よりもずっと耳がいいですからね。」
修丸の話に、晶は少し呆れるように言う。
晶「そんなこたぁ知ってらあ。でも、地獄耳だからって歌がうまいとは限らんだろ?」
修「まあ、そうなんですけど。でも前にクラスの友達とカラオケに行った時に言ってたんですよ。地獄耳と絶対音感は紙一重だって。」
陽「そっか、確かに耳がいいと音程も合わせやすいもんね。」
修「単純に歌が好き、ってのもあるんでしょうけどね。ああ見えて歌番組とか大好きみたいですし。」
歌っている隆平を見て少し苦笑気味な修丸に、晶が少し面倒くさそうに言う。
晶「ったく、だからって部活動の時間に勝手に予約入れるか?しかもご丁寧に8人分も!」
修「はは、本人いわく、「学祭の練習は大事だから」、だそうですけど。隆平くん、学祭のクラス対抗カラオケ大会で1位とるぞ!ってすごくやる気ですからねぇ……」
孝「ただ遊びたいだけだろうが……勝手に付き合わされて費用も自腹なんて、こっちはとんだ迷惑だ……」
カラオケにまで持ち込んだ本から目を離さずにそう言う孝彦に、修丸や晶、陽が気付く。
陽「孝彦くん、そういうのに興味なさそうだもんね(汗)」
孝「あるわけないだろ?あんな騒がしいイベントの何が楽しいんだか……」
孝彦は本の文字を目で追いながら、口調だけ呆れてきている。と、ちょうどその時隆平の番が終わる。
海「隆平センパイ、すっごい上手ですね!びっくりしました!」
隆「へへ、まあな!ま、この俺が出場するんだ、今年のカラオケ大会で学年1位を取るのは、俺たち5組で決まりだな!」
そんな言葉を聞いて、賢一は心底ほっとしたため息をついて言う。
賢「センパイと同じ学年じゃなくてよかった……」
路「ったく、隆平のせいで俺らのクラスは半ばあきらめムードなんだぜ?」
苦笑しながらそう言う龍路に、修丸もどこか嬉しそうに言う。
修「いやあ、ホント隆平くんと同じクラスでよかったです。」
隆「そうだろ、そうだろ! お前もやぁっと俺のありがたみがわかったみたいだな!」
嬉しそうにそう言う隆平だったが、ふとハッとして晶の方を気まずそうに見る。
隆「あ、センパイ…その、やっぱ勝手に部活動の時間にカラオケ予約いれたの、怒ってますよねぇ……?」
その言葉に、晶は軽く驚く。
晶「へ?…お前、まさか自分らの話聞いてたのか?」
賢「話って、そんなこと話してたんですか?全然わかんなかったですけど。」
晶「あ、ああ。部活の時間にカラオケの予約なんか入れやがって、みたいな話を陽や修丸とな。…まあ曲もうるさかったし、歌の邪魔しちゃ悪いからそんな大声も出さなかったからなぁ。」
そこまで言って、晶は隆平の方を見る。
晶「で、お前はスピーカーの近くで歌いながら、あの話が聞こえてたってことか?」
隆「ええ、あれくらいなら普通に聞こえますよ。」
そう言ってから、隆平はハッとして申し訳なさそうに言う。
隆「あ、いや…こーいうことは俺の普通は普通じゃないもんな(汗)」
そんな隆平を、本を読みながらちらりと見て、孝彦がふと複雑そうな顔をした事には、誰も気付いていない。
晶「お前の地獄耳は折り紙つきだもんな。…しっかし、羨ましいよ。人より特化した何かがあるなんてさ。」
純粋にそう言った晶だったが、隆平は珍しく切なそうな顔を見せた。
隆「そうでもないっスよ……」
その表情に晶だけでなく、話を聞いていた賢一と陽も少し心配になったようである。
陽「隆平くん……?」
晶「なんか、変な事言っちまったな…」
隆「ちょ、何しんみりしてるんスかぁ!せっかくカラオケ来たんだから、楽しみましょうよ!」
晶「そうか……?」
そんな会話の中、ふと賢一は孝彦の方に目をやった。そこには、本から目線をずらさずに、まるで隆平の言葉の意味を悟ったかのような少し辛そうな顔をしていた孝彦がいた。
賢「孝彦センパイ……?」
その表情の意味こそ解らずとも、賢一は孝彦がただ本を読んでいるだけでないことには気付いていた。
②
時刻は17時20分頃。15時から2時間の予約で入っていたカラオケを終えた帰り道、「狛犬」から学校に向かってメディア部の8人は歩いていた。
隆「いやぁ~!楽しかったなぁ!」
呑気にそう言う隆平の隣で、晶が不満そうな顔をしている。
晶「お前なぁ…先生に活動内容を報告する自分の身にもなって見ろよ…」
海「部長さんは大変ですねぇ。」
隆「まあ、まあ、まあ!学祭の練習してましたぁ!でいいじゃないっすか!」
修「そ、そーいう問題なんですか(汗)?」
戸惑い気味にそう言った修丸だったが、隆平はそんな修丸の首に腕を回す。
隆「しけたこと言うなよ、修丸くぅ~ん!」
修「ちょ、ちょっと…気持ち悪いなぁ…」
隆「んだとぉ?お前、俺にケンカ売るってのか?」
修「ええ?!ぼ、僕ケンカなんて…!」
路「よせよせ、修丸がケンカなんかしたら一瞬で負けちまう!」
海「あはは、確かにぃ!」
楽しそう(?)にそんな事を言って歩いている5人の後ろで、孝彦、陽、賢一がそれを見守るように歩いている。
賢「センパイ方、楽しそうだね。」
陽「そうね。…でもよかったわ。なんか変なこと言っちゃったかなって思ったけど、隆平くん元気になって。」
そう言った陽に、孝彦はどことなく嬉しそうに言う。
孝「アイツが元気ないなんて、この世の終わりもいいところだからな。」
賢「この世の終わりかあ…センパイうまいこと言いますね!」
孝「だろ?」
そう言って、孝彦はふっと心配そうに前を歩く5人を見る。
孝「ま、アイツにゃアイツにしかわからない苦労も多いんだけどな…」
賢「え?」
訊き返してくる賢一に、孝彦はハッとして少し慌てる。
孝「あ、いや…なんでもねーよ。…ほら、ぼさっとしてたら置いてかれるぞ!」
そう言って早足になる孝彦を見て、賢一と陽は不思議そうに顔を見合わせた。と、そんな2人が前を見た時、前を歩いていた隆平が頭に片手を当てて、もう片方の手を近くにあった自販機にかける。
隆「っつ…」
修「隆平くん?…どうしました?」
隆「あ、いや…ちょっと頭痛してさ―」
そう言って、隆平はふっと何かに気付いて周りを見渡す。
路「今度は何だ?」
隆「今、なんかガラス割れるような音しなかったか?」
海「ガラス、ですか?」
路「別に…なあ?」
そう言われて、修丸も少し不思議そうにうなずいている。
隆「マジか……センパイは?」
晶「いや?ま、自分らはお前と違ってそこまで耳がいいわけじゃないから何とも言えないな。」
少し考え込んで言う晶。
隆「じゃあ、気のせいかな?ま、どっかで皿とかコップを割っただけかもしれないしな!」
そう言って笑う隆平を見て、陽がふと賢一に訊く。
陽「ヨシくんは聞えた?」
賢「ううん、何も?……!」
陽に訊かれて答えながら、賢一は気になったのか隆平同様目線を上にあげていたが、フッと何かに気付いた。
陽「ヨシくん……?」
陽が声をかけたその時には、すでに賢一は来た道を戻って走り出していた。
陽「ちょっと、どうしたの!?」
その声に、他の6人も気が付いて後ろを見る。その時にはもう、賢一は道路脇の塀を登り、懸垂の要領で、ある家のベランダに入ろうとしていた。
晶「アイツ、何やって―」
晶が慌ててそう言おうとした時、賢一が必死の形相で部員たちを見た。
賢「誰か救急車呼んでください!中で人が首吊ってるんです!!」
晶「な…!」
驚く晶の後ろで隆平は素早く携帯を取り出していて、孝彦は咄嗟に腕時計を見る。そして賢一の方はベランダに上がり終え、ポケットからハンカチを取り出して、それを見て少しためらった後に意を決してそれを手に当て、鍵の近くのガラスを割ろうとしている。
隆「あ、救急ですか?!人が家ん中で首吊ってるんです!えっと…」
そう言いながら隆平は電信柱を見つけて、それを注視している。
隆「黒老4丁目の、13番です…はい。…はい。」
そして隆平は賢一の方を見るが、賢一はすでに鍵を開けて中に入っていた。
隆「今、連れがガラス割って中入りました。…はい、わかりました!」
そう言って隆平は電話を切ると、賢一のいる方を見る。
隆「賢一ー!降ろせたかー?!」
賢「いや……あ、取れました!今、縄取れました!」
隆「ソイツ、意識あるか?!」
賢「……ダメです!!息もしてません!!」
隆「そしたらな、平らなとこに寝かせて心肺蘇生ってできるか?!」
賢「えっと、何すればいいんですか?!」
隆「んっと…」
孝「まずは胸骨圧迫だ!胸の真ん中あたりを、1分間に100回くらいのペースで、手の平を重ねて押してやるんだ!」
そう言って悩みこむ様子の隆平を見て代わりに説明する孝彦。
賢「は、はい!!」
孝「やりながらでいいから聞けよ?!30回圧迫したら次は人工呼吸だ!指で軽く顎を持ち上げて、その状態でたっぷり息を入れてやれ!2回やったらまた胸骨圧迫!そしたら人工呼吸の繰り返しだ!」
賢「わかりました!!」
それから、孝彦は部員たちを見渡す。
孝「誰かあそこから入れる奴いないか?」
路「たぶん、行けると思うけど……」
少し自信なさげにそう言う龍路。
孝「そしたら、中入って玄関の鍵開けてきてくれないか?いくら賢一でも1人で何回も心肺蘇生してたら疲れちまうだろうし、経路確保しとけば救急車来た時にすぐに運べるだろうからな!あと、余裕出来たらでいいから現場の写真も撮っといてくれ!」
路「あ、ああ!わかった!」
そう言って龍路は賢一と同じ要領でベランダに掴まり、賢一ほどは早くなくとも、ベランダに上がった。
修「あの、孝彦くん…勝手に鍵とか開けてもいいんですか?」
孝「人の命がかかってんだ!そんなこと言ってる場合じゃねえよ!」
修「あ、そうですよね…!」
必死にそう言う孝彦に、修丸はいつものようにビビっている。
孝「とにかく!修丸と龍海、お前らは賢一と龍路手伝いに行くぞ!」
海「え?」
修「は、はい!」
孝「陽と晶センパイはここで救急車来たら説明お願いします!」
晶「わかった!」
力強く答える晶の隣で、陽もうなずいている。
孝「…隆平、お前は一応警察にも電話入れといてくれ!」
隆「おう!任せとけ!」
そう言うや否や、隆平はすぐにまた携帯を開く。また、孝彦もそれを確認することもなく塀と塀の間をぬって、玄関があるであろう自分たちのいる道路と反対側の方へ走り出し、修丸や龍海も慌てて孝彦について行った。
隆「あ、警察ですか?人が家ん中で首吊ってて…あ、救急車は呼びました。はい、黒老4丁目の13番です。今連れが中入って、心肺なんとか…あ、そうです、心肺蘇生してます。はい。あ、俺外にいますんで。はい。はい……」
電話をする隆平の側で、晶が感心したように言う。
晶「それにしても、こんな時なのに要件しっかり伝えてるな、隆平の奴……」
陽「すごいですよね。それに孝彦くんも指示とかテキパキしてて……」
晶「ああ。なんていうか、お互いに補い合ってるというか……」
その時、晶も陽も、電話をしている隆平もふっと何かに気付いて同じ方を見た。3人の目には、サイレンを鳴らしてやってきた救急車が遠目に見えた。時刻は、17時40分を過ぎたころだった。
③
主に隆平と孝彦の行動の的確さのおかげもあって、首を吊っていた高校生くらいの男子は病院に搬送された。そして、その男子の安否も気になるなか、賢一、孝彦、隆平、龍路の4人は首吊りのあった家と1番近い交番で警察に事情を話していて、晶、陽、修丸、龍海の4人はその傍に立って4人の話が終わるのを待っていた。
警官「なるほど、状況はよくわかったよ、ありがとう。…しかし、緊急だったのに随分と的確に動けたものだね。現場の写真も非常に参考になるし、それに応急処置もだ。救急隊員の人、君たちの処置は完ぺきだったって褒めてたよ。」
少し感心するようにそう言った警官に、賢一が答える。
賢「いえ、僕、心肺蘇生とかなんにもわかんなかったんですけど、センパイがわかりやすく指示してくれたから……」
路「写真だって、撮っといたほうがいいって言ったのは孝彦だしな。」
そう言って孝彦を見る賢一と龍路に、孝彦は少し余裕のある顔をする。
孝「でも、実際に心肺蘇生をしたり、カメラを使えたのはお前や龍路だろ?」
警官「それにしても、家の中で人が首を吊っているなんて、本当によく気付けたね?」
また感心するような口調でそう言う警官に、賢一が謙遜しながら答える。
賢「いや、あれは隆平センパイがガラスの割れる音に気付いたから気付けただけで……」
そう言って、賢一は不安そうな顔をしている隆平を見る。
賢「センパイの言ってた通り、部屋中に割れたガラスが散らばってたんです。…センパイの耳の良さ、本当にすごいですよ。」
隆「ん?そうか…?」
いつもの元気がない隆平に、孝彦が不思議がる。
孝「どうした?…なんか元気ないな…」
隆「あ、いや……まさか死んでないよな、って思ってさ……」
警官「首を吊ってた、彼の事かい?」
心配そうにそう訊く警官に、隆平はうなずいた。
警官「そればっかりはなぁ……まあ、ご家族が了承してくれたらだが、あの子がどうなったか君たちに連絡することもできるけど、どうする?」
隆「あの、できるならお願いします……」
警官「わかったよ。……まあ、不謹慎だが、万が一あの子が亡くなられても君には責任はないから、そこまで落ち込まなくても……」
隆「でも、もしアイツ死んだりしたら、責任ないなんて言えねーよ!……あの音、やっぱりただの音じゃなかったのに、軽く考えてすぐあの家探さなかったから……」
路「お、おい……」
隆「もし賢一がいなかったら、俺は異変に気付いていながらアイツの事、見殺しにしたことになるんだぜ?……なのに責任ないなんて……」
賢「センパイ……」
気を落とす隆平に声をかけて心配する龍路や賢一、話の邪魔をしないようにと声こそかけないが同じく心配しながら見守る晶、陽、修丸、龍海だったが、唯一孝彦は無表情に隆平を見ようとはしていなかった。
④
事情聴取も一通り終わり、時間が遅くなったという事で鳩谷への活動報告は晶1人がしてくれるという事になり、他の部員たちは家路についていた。その中で、同じ方向へ帰る隆平と孝彦は、長い時間無言だった。隆平は相変わらず心配そうにうつむき、孝彦は無表情に前を向いている。
孝「おい、そんな顔で帰ったら家族が心配するぞ?」
起伏の少ない口調でそう言った孝彦に、隆平はうつむいたまま言う。
隆「……やっぱり、俺ってノー天気でバカだよな……」
孝「……」
あえて何も答えない孝彦に、隆平は顔を上げて続ける。
隆「俺があの音のことを気にしてれば、もっと早く首吊りに気付けたかもしれないのに……やっぱ、アイツ死んだら全部俺の責任―」
孝「んっとにバカだな、お前……」
隆平の言葉を遮って、静かにそう言い放った孝彦に、隆平は何も言わずにうつむく。
隆「だから、さっきから言ってんだろーが……俺はノー天気で―」
孝「そーじゃねーよ。」
そう言って隆平を見た孝彦は、どこか切なげな顔をしている。
隆「どういうことだよ?」
孝「確かにお前の言う通り、賢一がいなかったら確実に手遅れだったのは明らかだがな、でも、お前がいなかったら、その賢一ですら異変には気付けなかっただろうが。」
隆平はその言葉の意味を理解せずに、不安そうに孝彦を見ている。
孝「それとな、これはおやじから聞いた話だけどな、事故とかで病院に搬送された人が亡くなっちまうのは、そりゃ、応急処置の不適切さとか、負傷の程度とかも大きな要因だが、救急車を呼ぶときの電話対応でもたついた時間のロスってのも結構大きな要因の1つなんだと。…その点、お前はしっかりと、しかも速やかに要件や場所を伝え、向こうの指示もすばやく現場に入ってた賢一に伝えてた。」
隆「でもよぉ、結局その応急処置?だかを賢一に指示したのはお前じゃねえか……」
不安げにそう言う隆平に、孝彦はあえて呆れたように言う。
孝「ったく、それだけじゃねーよ。…賢一だって言ってたろ?お前がガラスの音に気付いたから、あの家で誰か首吊ってるって気付けたって。……まだ安否はわかんねーから「今の所」って話になるけど、お前の地獄耳のおかげで、俺たちみんなアイツを見殺しにしなくて済んだんだぜ?」
隆平は不安そうに孝彦を見るだけで、何も言わない。
孝「お前は人より耳が良いからさ、いつも人のプライバシー傷つけないように気をつけて神経すり減らしてんだろ?今回だって、ガラスの音なんか聴いちまったからここまで塞ぎ込みやがって……」
そこまで言って、孝彦は少し怒りを口調に含める。
孝「もしアイツの家族がお前を責めるってんなら……俺はお前に地獄耳を与えた神様とかいう奴を責めてやる。」
隆「孝彦……」
嬉しそうにそう言った後、隆平は一気に冷や汗を流す。
隆「お前がそんな優しいこと言うなんて、明日は雪だな…まだ10月だってのに……」
その隣で孝彦が拳を握っていたのは、言うまでもない……
⑤
その日の夜、宗光家では日課の皿洗い(陽一郎が皿を洗い、陽と賢一で拭く)をしながら、陽と賢一は今日の出来事を陽一郎に話していた。
父「そうか……その子、助かればいいな。」
賢「うん……」
陽「でも、ヨシくんすごかったわね。あの子が首吊ったことに外から気付いて、しかもあんなに早く外からベランダに上がっちゃうなんて。」
賢「それは、警察の人にも言ったけど、隆平センパイがガラスが割れる音がしたって言ったから、気になって上を見たら偶然見えただけで……」
父「でも、それに気付いたのがお前じゃなかったら、誰もベランダに上がれずに家族か警察を待たなきゃいけなかったかもしれないだろ?」
陽「そうよね。龍路くんもベランダから入れたけど、結構大変そうだったし……」
父「やっぱり、素早く家の中に入って救助にあたれたのは、お前が普段から怠けずに体を鍛えてるからじゃないのか?」
賢「だったらいいんだけど……」
そう言った賢一はどこか不安げであり、陽一郎も陽もその様子に気付く。
父「なんだ賢一、元気ないなぁ。そりゃ、その子の安否が気になる気持ちもわかるが……」
陽「……何か気になることでもあるの?」
賢「いや……なんか、今年になってからメディア部の周りで人が死んだりすることが多いなぁって。今回だって、まだあの子が助かったかどうかわかってないしさ……」
陽「ヨシくん……」
心配そうにつぶやく陽に、賢一は不安げな、焦ったような表情で言う。
賢「去年はそんなことなかったんでしょ?なのに……僕のクラスメートだった篠原さん、孝彦センパイや龍路センパイと同じクラスの日下さん、それに口裂け男の時だってメディア部は動いてたし、夏休み明けには龍海が殺人の一部をビデオに撮ってたし……」
父「おい、考えすぎだよ。…少し不謹慎かもしれないが、事件自体は毎日いろんなところで起きてるんだ。それがたまたま偶然、お前たちの近くで起こっただけさ。」
賢「うん……」
そう答えた賢一の声は、誰が聞いても沈んでいるのは明らかだった。そんな賢一を、陽はとても心配そうに見つめていた。
⑥(2)
自分の部屋でベッドに横になり、賢一は考えていた。
賢「(確かに、偶然と言えばそれで片付けられるだろうけど……)」
そして賢一はカーテンを開けたままの窓を見た。夜空には下弦の月が浮かんでいる。
賢「(今年と去年で、メディア部で変わったこと……もしかして事件がよく起きるのは、僕がメディア部に入ったからなんじゃ……)」
そう思ってから、賢一は今年度になってから起きた事件を思い出し始める。
―修「あれは絶対に殺す気満々でしたよ!…口裂け男がこっちを向いた瞬間に、犬が唸り声を挙げながら走って来て…」
孝「訳わかんねーよ……真紗子はなんで死んだんだよ…どうして急に死体が現れるんだよ!あの本の山は一体なんなんだよ!!」
海「じゃあ、やっぱりそれと今回の事件って関係あるんですか?!」
隆「……あの音、やっぱりただの音じゃなかったのに、軽く考えてすぐあの家探さなかったから……」―
賢「(修丸センパイ、孝彦センパイ、龍海、それに今回は隆平センパイが異変に気付いて……)」
そこまで思って、賢一は不安な顔つきのまま起き上がった。
賢「(これからも……部活の誰かが事件に巻き込まれたりしたら……)」
そして、ふっと賢一は陽の事を想った。
賢「(ひな……)」
と、その時だった。
―?「お前のせいだ……お前が殺したんだ!!」―
賢「!」
まるでフラッシュバックのように、怒りに満ちた声が賢一の脳裏をよぎって行った。その謎の言葉に、賢一は頭を抱えてその場にうずくまった。
賢「(な…なんだ、今の声……)」
―?「お前がいるせいで、みんな不幸になるんだ!!」―
賢「!!」
再び聞こえた声に、賢一はなお苦しそうに頭を抱え、その手は先ほどよりも力んでいる。
賢「うわぁぁぁ!!」
1階にいた陽一郎や陽にも賢一のその声が聞こえ、2人は慌てて階段を上って賢一の部屋に来た。
父「おい、賢一!!」
陽「どうしたの?!大丈夫!?」
2人がドアを開けると、そこには頭を抱えたままベッドの側面に倒れている賢一がいた。
陽「ヨシくん!!」
陽は賢一を見つけるや否や、急いで駆け寄ろうとしたが、その時だった。
ケ「近寄るんじゃねえ!!」
いきなりの声に陽はもちろん、陽一郎も驚いて立ちすくむ。そんな2人をしり目に、賢一は静かに片膝をついて立ち上がり、頭を抱えたまま陽と陽一郎を睨んだ。
父「お、お前……」
陽「ケンイチくん!」
陽たちに叫んだのはケンイチだった。ケンイチは頭を押さえた手で隠されていない片目で2人を睨んでいたが、急に激しい動悸に襲われた。
ケ「!」
ケンイチは自分を襲った激しい動機にビクつき、それから両手で頭を抱えた。
ケ「違う……違う!オレは……賢一は……!!くそぉ!!」
問答し、苦しむ様子の賢一を見て、陽は咄嗟にケンイチに駆け寄った。
陽「ケンイチくん―」
ケ「来るなぁ!」
そう言って、ケンイチは机の上に合ったカップを投げつけて陽を拒んだ。カップは陽には当たらなかったものの、後ろの壁にぶつかって割れてしまった。
父「お、おい!!」
驚く陽一郎には目もくれず、ケンイチは頭を抱えている。それでも陽は臆することなく再びケンイチのもとへと駆け出した。
ケ「…!」
ケンイチは自分を抱きかかえたそのぬくもりに気付き、いくらか落ち着きだした。
陽「落ち着いて……お願い……!」
ケンイチを抱きかかえて必死にそう言う陽に、ケンイチは冷静になりつつも陽を突き放した。
ケ「…っ離せ!」
陽「……」
陽は突き放されても何も言わず、ただ心配そうにケンイチを見ているだけだった。ケンイチは意識的に陽から目をそむけ、陽一郎も陽同様、心配そうに2人を見ている。
父「ケンイチ……さっき叫んだのはお前なのか?それとも賢一だったのか……?」
そう言う陽一郎を軽く睨み、ケンイチは言う。
ケ「そんなこと、テメーには関係ねーよ。」
父「関係ないことあるか!俺はお前の…賢一の父親だぞ!」
その一言に、ケンイチは眉をひそめた。
陽「お父さん……」
ケ「父親だから、なんだって言うんだ……」
呟くようにそう吐き捨てたケンイチに、陽は気付いた。
ケ「賢一を1番疎んだのはテメーじゃねーのかよ!」
その言葉に、陽一郎も陽も驚いたが、2人が何かを言いかける前にケンイチはハッと目を見開いてからまた頭を抱える。
ケ「くそっ…!違う!宗光じゃねぇよ…!宗光陽一郎じゃねぇ!……」
陽「え…どういうこと?」
陽の言葉に、ケンイチは再び我に返った。
父「もしかして、賢一が記憶を失くしたきっかけは本当の父親にあるのか……?」
その言葉に、陽はハッとして陽一郎の方を見た。
陽「お父さん…!」
父「ん?…あ!」
ケンイチが最も嫌がる話題を出してしまったことに気付いた陽一郎だったが、恐る恐るケンイチの方を見て見たが、ケンイチは怒る様子はなかった。
ケ「……いい機会だ。…時間はないが、話せることは話してやるよ。……それで気が済むんならな。」
落ち着いてはいるものの、いまだ頭を抱えたままそう言ったケンイチに、陽も陽一郎もお互いに顔を見合わせ、決意を見せてうなずきあってケンイチのもとへ歩み寄った。それを見たケンイチは、力なくベッドに座り込み、うつむいたまま話し始める。
ケ「お前たちが聞いたのは、オレじゃない。賢一の声だよ。」
陽「ヨシくんの……?そう言えば、あなたと初めて会った時も、ヨシくん、あんなふうに……」
ケ「……あの時の、そして今の状態で放っておけば、賢一の精神は確実に死んでしまう。」
陽「精神って…心ってこと?」
ケ「……幼稚な言い方をすれば、そうなるな。精神が死んだ人間は、植物か、もしくは人形だ。放っておけば食物も摂取せず、いずれは体も死んでしまう。…だからオレは、この状況では表に出ざるを得ないんだ。」
そう語るケンイチに、陽一郎がふっと訊く。
父「それにしても、いい機会とか、時間がないって言うのは?」
ケ「賢一だよ。」
父「賢一…?」
不思議がる陽一郎に、ケンイチは自分の胸に手を当てて言う。
ケ「アイツは今、人の話なんか聞けないくらいに混乱してやがる。だから逆に、アイツに聞かせたくない話も、今ならできるんだ。」
そう言うケンイチに、陽は気付いたように言う。
陽「もしかして、ヨシくんの記憶の話をするなって言うのは……」
ケンイチはそう言った陽を疎ましげに見てから、静かにうつむく。
ケ「いいか?お前たちは大きな勘違いをしているんだ。」
陽「え?」
ケ「賢一は記憶喪失ではない……アイツの記憶は、今だって賢一の中に存在している。」
父「それじゃあ、なんで賢一は昔のことを思い出せないんだ……?」
ケ「……失ってなんかいないんだ。閉ざしている訳でもない。だから、賢一はきっかけさえありゃ、いつだって記憶を取り戻せる状態にある。無意識のうちに見て見ぬふりをしているだけなんだ……だが、少しでもその記憶に触れてしまった時、賢一の精神は確実に死ぬ。」
陽「そんな……」
ケ「前にも言ったが、オレは神童賢一の体を有することで生きることができる。…オレは賢一に、賢一の弱さに殺されるわけにはいかないんだよ。」
そう言ったケンイチに、陽は少しためらったように言う。
陽「もしかして……」
その言葉に、ケンイチは陽の方を向いた。
陽「あなたは、ヨシくんに記憶を取り戻させないために―」
ケ「そこまでだ。」
ケンイチは陽の話を遮って静かにそう言い放った。
ケ「いいか?賢一はオレが表に出たことを知らない。……何を話すか、この状況をどう説明するか…わかってるな?」
陽「え……?」
そう言って、ケンイチは静かに目をつぶったかと思うと、そのままベッドに倒れ込んだ。
陽「あ!ケンイチくん!」
陽は思わずケンイチを受けとめたが、その顔を見てまた少し驚いた。目をつぶっただけと言うよりも、今さっきまでずっと気を失っていたような顔をしていたケンイチに、陽は思わずつぶやく。
陽「ヨシくん……」
父「え?」
すると、ケンイチ……賢一が小さく声を上げた。
賢「うぅ…」
陽「ヨシくん!」
その声に、賢一は目を少しずつ開けていく。
賢「あ…ひな……」
父「気が付いたか?」
賢「父さんも……あれ、僕……」
そう言って陽の手から離れてその隣に座った賢一に、陽は優しく言った。
陽「私たちもわかんないわよ。…いきなり倒れたような音がしたから、慌ててヨシくんの部屋に来たの。そしたらヨシくん、ベッドの前で倒れてるんだもん。びっくりしちゃった。」
賢「倒れてた…?」
父「立ちくらみかなんかじゃないのか?今日は随分と大変だったみたいだし、疲れてるんだよ。……まあ、思ったよりも大丈夫そうだし、父さんそろそろ戻るかな。」
そう言って、陽一郎は静かに部屋を出る。
陽「…大丈夫?頭とか痛くない?」
優しくそう言う陽に、賢一もいくらか安心したような表情で言う。
賢「うん、大丈夫……」
そう言って、賢一はハッとドアの近くの壁に目が行った。そこには、何かがぶつかったような跡があり、賢一は反射的にその下の床を、陽にはわからないように見た。案の定、そこには割れたカップの残骸があった。
賢「……ゴメン、今日はもう寝るかな。……痛くはないけど、ちょっとふらふらするんだ。」
そう言った賢一に、陽も少し心配そうではあるが優しく返す。
陽「そうね、お父さんも言ってたけど疲れてるのかもしれないし……何かあったらすぐ呼んでね?」
賢「うん、ありがとう。」
そう言った賢一を見て、陽はベッドから立ち上がり、静かにドアの方へと歩いて行く。
陽「じゃあ、おやすみ。…また明日。」
賢「うん、おやすみ。」
就寝の挨拶をかわして、陽がドアを閉める。賢一は少しの間ベッドに座っていたが、陽が階段を降りる音を聞いてから、すっと静かに立ち上がって割れたカップの、取っ手のついている部分を拾った。
賢「……」
賢一は、ただそのカップの破片を見つめているだけだった。
⑦
翌日のメディア部の活動時間、部室内はなんとなく重い空気に包まれていたが、誰もその場で口を聞こうとはしない。孝彦はいつものように本を読み、佐武兄弟はわざとらしくカメラやビデオカメラのレンズを何度も拭いていて、隆平は元気なく机に突っ伏している。他の4人も、空気の重さから浮かない表情で鳩谷が来るのを待っていた。誰も言及こそしないが賢一の右手の親指を除く4本の指には包帯が巻いてある。と、その時。やっと部室のドアが開く。
鳩「入るぞー。」
晶「先生。…あの、その人たちは?」
鳩谷の声にみなドアの方を向くが、鳩谷の後ろにいる2人の女性に部員たちは気付く。
鳩「この方は梶北紗百合さん。で、こちらは紗百合さんの娘さんで、美優希さんだ。」
紹介され、紗百合と呼ばれた女性は軽く会釈をする。
晶「はあ……」
鳩「ほら、お前たち昨日、首を吊ってた中学生を助けただろう?紗百合さんはその子、友健くんのお母さんで、美優希さんはお姉さんだよ。」
その言葉に、隆平が食いつくように2人の方を見た。
紗「息子の自殺に気付いて対応してくれたのが、こちらのみなさんだと警察の方に聞いたので、お礼がしたくて。…急に訪ねたりしてごめんなさいね。」
晶「あ、いえ……こちらこそわざわざ……」
恐縮気味の晶だったが、隆平が遠慮もなしに訊く。
隆「あの!アイツどうなったんですか?!まさか死んでなんか……」
その言葉に、紗百合は一瞬不安そうな色を見せ、美優希は怪訝そうな顔をした。
隆「え……」
隆平をはじめ、部員たちもみな不安そうな顔をしたが、美優希が怪訝そうな表情のまま答える。
美「死んじゃいないよ、意識不明なだけ。アイツ、小柄で体重軽かったから、首吊りじゃあ死にきれなかったんだってさ。……ま、いつ目ぇ覚めるか、それともそのまま死ぬかはわからないって病院の先生は言ってるけどね。」
紗「ちょっと、美優希……そんな言い方ないじゃない!」
美「だって、悪いの全部アイツじゃん!勝手に自殺しようとして、通りすがりのこの子たちに迷惑かけて!父さんだって迷惑してるし、克昭だってまた機嫌悪くしちゃったじゃない!」
紗「美優希!!」
紗百合に怒鳴られ、美優希は少し悔しそうに顔を赤くする。
美「何さ…!母さんだって、アイツ起きないからって学校に休みの連絡すんのにパートに遅刻したんでしょ?あたし出るまで結局起きてこなかったし……しかも、さんざん母さんの予定振り回しといてそれが自殺するために学校休む仮病とか……マジついてけないんだけど。」
紗「仮病じゃないわ…本当に具合は悪そうだったもの……」
心配そうにそう言う紗百合を、美優希は少し「悪かった」と言ったような顔で見る。そんな2人の様子を見ていたメディア部だったが、賢一が不思議そうに訊いた。
賢「あの、克昭って?」
美「ああ、あたしの弟だよ。で、友健の兄貴さ。」
賢「そうでしたか…」
そういう賢一を見て、紗百合はふと賢一の右手の、親指以外の指に巻かれた包帯に気付く。
紗「君、その手の傷……」
そう言われて、賢一は咄嗟に手を上着のポケットに突っ込む。
賢「あ、いえ大した怪我じゃないですから……」
紗「もしかして、友健を助ける時に?」
心配そうにそう言う紗百合に、賢一は少し遠慮がちにうなずく。
紗「そう…部屋中でガラスが割れてたものね……」
その時、賢一はポケットの中の手を動かしてふっと何かに気付いたような顔をしたが、誰も気づかないうちにすぐに小さな苦笑になった。そんな中、美優希は部室の時計に目をやる。
美「ねえ、あの時計あってる?」
そう言われ、美優希と近い所にいた修丸が時計と自分の腕時計に目をやる。
修「えっと……ええ、あってますよ。4時18分です。」
美「そ。じゃあ、あたしそろそろ仕事戻るから。」
紗百合にそう告げて、美優希はさっさと部室を出て行った。
陽「お姉さん、お仕事忙しいんですね…」
少し呆然気味にそう言った陽に、紗百合は困ったような顔をする。
紗「そうじゃないの。…確かに再就職してまだ1年もたってないから、必死なのもあるだろうけど…克昭もそうだし、美優希も友健のことなんか全然気にしてないのよ……」
海「気にしてないって、兄弟じゃないですか…!」
少し悲しげにそう言った龍海に、紗百合も悲しそうにうなずく。
紗「上の2人は歳が近いからか仲は悪くないけど、友健に対しては2人とも……ホント、兄弟なんだから仲良くしてほしいんだけど……せめて、こんな時くらい……」
そこまで言って、紗百合はハッとして部員たちを見る。
紗「あ、ごめんなさいね。見苦しいところを見せたりしちゃって……」
申し訳なさそうにそう言って、紗百合も壁時計に目をやる。
紗「じゃあ、私もそろそろ病院に戻るわ。…友健が心配だから。」
そう言って会釈した紗百合に、賢一が少し急ぎ目に声をかける。
賢「あ、すいません!」
紗「…どうしたの?」
賢「いや…その、友健くんのいた部屋にハンカチ落ちてませんでした?」
紗「ハンカチ…。さあ…?ごめんなさいね、昨日はずっと病院にいたから、家に戻ってないのよ。」
賢「そうですか……」
少し気を落としたような賢一に、龍路が不思議そうに訊く。
路「ハンカチなんてどうしたんだよ?」
賢「あ、いえ…さっきポケットに手、入れた時にハンカチ無くしたこと思い出したんです。…たぶん、友健くん助ける時にバタバタしてたから、あそこに忘れたのかなぁって…」
そんな賢一に、晶が少し呆れたように言う。
晶「ったく、ハンカチくらい別にいいだろ?」
賢「まあ、そうなんですけど…」
そう言って、賢一は少し寂しそうな顔をした。
賢「あのハンカチ、中学入る時にひなが買ってくれたハンカチだったんで……」
その話を聞いて、晶はバツの悪そうな顔をする。
晶「そ、そうだったのか…?悪い……」
賢「あ、いえ!」
そう言う賢一を見て、紗百合が小さく微笑んだ。
紗「だったら、6時くらいに家に来てくれれば、部屋の中を探してもいいわよ?それくらいには、旦那も仕事を切り上げて友健の見舞い、替わってくれるはずだから。」
賢「え、いいんですか?」
紗「ええ。家の場所はわかるもんね?」
賢「はい。…あの、すいません。大変な時なのに……」
紗「いいのよ、彼女さんからの大事なプレゼントなんでしょ?」
その一言に、部員たちは一瞬静まり返る。
紗「あら?…私、変な事でも言ったかしら?」
鳩「あの、この子…宗光は神童の彼女じゃなくて、その…姉なんですよ。」
紗「え?でも今、宗光と神童って、苗字……」
不思議がる紗百合に、陽が苦笑しながら言う。
陽「ヨシくんは、いろいろあって私のお父さんが引き取ったんです。それで、血は繋がってないけど私たち姉弟なんですよ。」
紗「ああ、そうだったの。…私ったら、彼女さんだなんて……」
少し恥ずかしそうにそう言って、紗百合はまた小さく笑う。
紗「どっちにしても大事なハンカチには変わりないみたいだし、6時頃には家で待ってるわね。」
賢「あ、はい。」
紗「それじゃあ、失礼します。」
また会釈をしてから、今度こそ紗百合は部室を後にした。そのドアが閉まるのを見送って、鳩谷が感心したように言う。
鳩「しかし、まだ意識は戻らないとはいえ、お前たちよくやったなぁ。自殺者を助けるなんて。」
晶「よくやったのは、賢一と隆平と孝彦、あと龍路の4人ですよ。自分らはどっちかって言ったら、邪魔にならないようにしてただけで……」
最後の方は苦笑気味の晶に、鳩谷が不思議そうに訊き返す。
鳩「というと?」
修「実際に応急処置をしたのが賢一くんで、龍路くんがそれを手伝って、それから現場の写真を撮って警察の方に提供したんです。で、それらの指示を出したのが孝彦くんで、隆平くんは119番と110番の通報をしてくれて。」
陽「すごかったですよ。あんな状況でも、隆平くんちゃんと向こうの話を聞いて、こっちの状況も的確に伝えてて。ねえ?」
修丸に続く陽にそう言われ、隆平はいつもよりも控えめな感じで答える。
隆「別にすごくなんかねーよ……ほら、俺コールセンターでバイトしてっからさ、人より電話慣れしてるだけだよ。」
そんな隆平を見て、孝彦が他人事のような口調で言う。
孝「だけど、ガラスの割れた音に気付いたのは、コールセンターでのバイトとは関係ないんじゃないか?」
鳩「ガラスの音?」
海「実際に人が首吊ってるのに気付いたのは賢一センパイなんですけど、賢一センパイが異変に気付いたきっかけが、隆平センパイの聞いたガラスの割れる音だったんです!」
路「隆平の地獄耳だからこそ気付けたんだろうなぁ。」
鳩「ほお、それはすごいじゃないか。」
隆「すごくなんかないっスよ…地獄耳なんて、人の内緒話を勝手に聞くようなどーしようもないモンっスから……」
鳩「おい、近宮……」
鳩谷だけでなく、部員たちは心配そうに隆平を見ていた。そんな中、やはり孝彦はその心情を悟られないように、1人本に視線を戻していた。
⑧
賢「ごめんね、付き合わせちゃって。」
陽「いいのよ、どうせヨシくん帰らないと夜ご飯食べれないし。」
暗くなった道を自転車を押して歩きながら話す賢一と、その隣を歩く陽。そして陽はその隣を歩いている隆平の方を向く。
陽「隆平くんこそ、付き合わせちゃったわね。」
隆「いや、俺が勝手についてきただけだから気にすんなって。それに、俺がついてきたから賢一もチャリ押してんだろうし。俺の方がお邪魔だったな……」
少しバツ悪そうにそう言う隆平に、賢一は快く言う。
賢「センパイこそ、気にしないでくださいよ。チャリンコ押すのも、腕立ての代わりになるし。」
そう言う賢一に、陽が笑っている。
陽「もう、ヨシくんったらすぐに筋トレのこと考えるんだから!」
賢「だってぇ…」
そう言いつつも賢一も小さく笑っていて、そんな2人を見て隆平も微笑んでいた。
賢「それにしても、ひなが付いて来てくれたのはわかるんですけど、センパイはどうしたんですか?」
ふと不思議そうにそう訊く賢一に、隆平は少しバツ悪そうに言う。
隆「その、な……ちょっと首吊りの現場っつーの?気になってさ。」
そこまで言って、隆平は慌てだす。
隆「あ、いや!別に興味本位とかじゃなくてさ!」
そんな隆平に、賢一も陽も笑っている。
賢「そんなこと、一言も言ってませんよ。」
陽「そうよ。それに、そんなに慌てなくったって、隆平くんが面白がって現場を見たがるような人じゃないことは知ってるから。」
隆「お前らぁ……」
今にも嬉し泣きしそうな隆平に、賢一が優しく言う。
賢「センパイ、ノー天気に見えて責任感強い人ですもんね。…やっぱ、気になっちゃうんでしょ?」
隆「まあな…」
しんみりとそう答えて、ふと隆平は怪訝な表情になる。
隆「って、誰がノー天気だって?」
工事現場の付近に差し掛かってうるさいからか、はたまた怒りの度がひどいのかは定かではないが、隆平の声はすごんでいる。
賢「あ、いえ…!その……」
慌てる賢一をしばらくじっと見て、そののちに隆平は笑いだす。
隆「アッハハハ!ジョーダンだって!ノー天気は俺の売りだからな、逆にいつもそう見えてるってのは嬉しいよ。」
賢「もう~、驚かせないでくださいよ!」
隆「わりー、わりー!」
そう言って、隆平は昨日のように急に眉をひそめて額に手を当てた。
隆「っつ…」
賢「センパイ?」
陽「どうしたの?」
心配する賢一と陽に、隆平はカラ元気に笑って言う。
隆「あ、大丈夫、大丈夫!ちょっと頭痛くなっただけだからさ。」
そこまで言って、陽が心配そうに言う。
陽「また?…確か昨日もカラオケ帰りにそう言ってたわね。……隆平くん、風邪でも引いた?」
隆「まさか!自慢じゃないけど、俺、風邪なんて引いたことないんだぜ?……ま、今みたいに頭が痛くなったりはよくするんだけどなぁ。」
賢「え…病院とか行かないんですか?」
隆「あー、中学ん時に1回検査してもらったけど、別に偏頭痛とかはないって言われてさ、結局ストレスだって片付けられたよ。…俺、そこまでストレスためてなんかいなかったんだけどなぁ……」
そんな話をしながら、陽がふと足を止めて道路脇の家の2階を指差す。
陽「あ、ここじゃない?梶北さんの家……」
隆「お、ホントだ。ガラス割れてらぁ。」
2階を見上げてそう言う隆平に、賢一がバツ悪そうな顔をするが、そんなことには気付かずに隆平は塀と塀の間を指差す。
隆「んじゃ、行くか。」
そう言って歩き出した隆平に、賢一も陽もついて行き、3人は玄関の前でチャイムを鳴らす。
陽「……まだ帰ってないのかしら?」
玄関の前でいくら待っても音沙汰がない様子に不思議がる陽の言葉を受け、隆平が携帯を取り出して時間を見る。
隆「あ、まだ6時なってねーじゃん。」
賢「部活、5時半に終わったから……学校からは結構近いんですね。」
隆「近いのはいいけどよ、ここで待つのか?」
陽「約束したのはこっちだし、1回帰ってまた来て、それで待たせるのも悪いじゃない。」
隆「マジかぁ…」
がっかりしたようにそう言う隆平。そんな彼らの後ろから足音が聞こえて3人は思わず振り返る。
紗「あら、待たせちゃったわね……」
そこにいた紗百合に、陽は笑って言う。
陽「いえ、私たちが早く着いちゃっただけですから。」
紗「そう。」
紗百合もにっこりと笑い、その後に不思議そうに隆平を見る。
紗「ところで、あなたも忘れ物したの?」
そう言われ、隆平は少しバツ悪そうに言う。
隆「いや、俺はちょっと……別に部屋を見たからって息子さんが目ぇ覚ますって訳じゃないけどさ、なんか気になっちまって……」
そんな隆平に、紗百合は優しく微笑んだ。
紗「…ありがとう。友健を助けてくれただけじゃなくて、そんなにも気にかけてくれて……」
隆「いやぁ……」
返答に困って、とりあえず頭をかいてそう言う隆平を、陽や賢一が微笑ましく見ている。
紗「じゃあ、今開けるからちょっと待っててね。」
そう言って紗百合はバックから鍵を取り出し、玄関の鍵を開けて中に入る。それから靴を脱ぎ、まだ靴を履いたままの3人に、玄関から見える階段を指差す。
紗「友健の部屋はこっちよ。さ、上がって。」
そう言われ、3人は少し遠慮しがちに靴を脱ぎ、階段を上り始めた紗百合に続く。
⑨(3)
紗百合と3人が目にしたのは、至る所にガラスの破片が散らばっている、1部の窓ガラスの割れた部屋だった。
陽「ひどい……」
隆「ガラスの割れた音って……もしかして、アイツがコップやら金魚鉢やら落したり投げたりした音だったのか……?」
賢「たぶん……あと、昨日来た時はその椅子とかも倒れてたりしたんです。きっと足台にしたんでしょうけど……」
初めて現場を見た2人はその光景に驚き、2度目である賢一も複雑な表情を見せている。
陽「じゃあ、あの椅子はヨシくんたちがなおしたの?」
賢「うん。友健くんを下ろすのに使ったんだけど、大変だったよ。そんなに高い椅子じゃないから、背伸びしたって天井まで手、届かなくってさ……」
隆「そういや、外から声かけた時になんか苦労してた感じだもんなぁ。」
賢「ええ、首にかかってる輪っこの方は固すぎてほどけそうになかったんで、それで天井に刺さってた、縄を引っ掛けてあったフックごと引っこ抜いたんですよ。」
隆「なるほどなぁ……」
賢「それだって、首にかかってる輪っことフックにかかってる輪っこまでの長さがすごく短くて、引っ張れそうな部分が天井に近かったから、余計に首を絞めないように縄だけ引っ張ろうとしたんですけど、椅子の上で背伸びなんて慣れてなくて……」
そう言って両手で縄の長さを表した賢一の手の間隔は、ざっと30センチくらいだった。
隆「そりゃ確かに短けえな…」
そんな話を聞きながら、陽や隆平同様に初めて現場を見る紗百合も何とも言えない表情を見せていた。
紗「友健……」
それから、紗百合はハッとして賢一たちの方を見る。
紗「あ、ごめんなさいね。…さ、大事なハンカチ探すんでしょ?」
賢「あ、はい……じゃあ、失礼しますね。」
そう言って部屋に踏み出す賢一を見て、陽も歩き出す。
陽「私も探すわ。」
2人とは対照的に、隆平は動こうとはしない。
紗「あなたはいいの?」
隆「俺、賢一のハンカチがどんなのか知らないんで。」
賢「黄色っぽいオレンジ色で、四角じゃなくて丸いハンカチですー!」
机の下を覗きながら、賢一がそう答えると隆平は苦笑する。
隆「俺も探せってことかよ…」
そう言って、頭をかきながら隆平も部屋に踏み出して賢一の近くに行こうとタンスの前まで来て、ふとそのタンスの上を見る。そこには、1枚の写真立てが立っていた。
隆「あれ、この写真……」
そんな隆平に気付いて、賢一も陽も、紗百合も隆平の近くに来る。隆平が手に取った写真立てに収まっている写真には、2人の男女と、小学生くらいの男の子の3人が写っていた。
陽「この子……ここにある写真ってことは友健くんですか?」
賢「でもさ、それだったら5人で写ってるんじゃないの?」
隆「ってか、紗百合さんずいぶん変わったんですねぇ。別人みてーだ。」
そんな3人に、紗百合は少し言いにくそうに言う
紗「その写真…小学生の友健と、友健の本当のお父さんとお母さんの写真なの。」
賢・陽・隆「え…?」
紗「友健はね、旦那の妹夫婦の子供なのよ。でも、交通事故で2人とも亡くなられて、それで家で引き取ったの。だから、美優希と克昭とは実質いとこの関係でね……それでも私や旦那が美優希や克昭と同じように友健に接するものだから、2人ともそれが気に入らないのでしょうね……」
そう言って、賢一を見る。
紗「君、なんて言ったっけ?」
賢「僕ですか…?神童賢一ですけど…」
紗「賢一くん……あなたたちの家庭の事情はわからないけど、なんだか似てるわね。君と友健……」
その言葉に賢一はうつむき、少し複雑そうな、そして切ない顔をする。
賢「そうですね……でも、やっぱ違う気もする。」
そして賢一は顔をあげて紗百合を見た。
賢「お姉さんやお兄さんを悪く言うつもりはないんですけど、僕は、お姉ちゃん……ひなに大事にしてもらえてるから……」
陽「ヨシくん……」
それから、賢一は少し苦笑気味に、しかし優しく笑って言う。
賢「でも、お母さんやお父さんには大事に想ってもらえてるっていうところは、似てるかもしれませんね。僕が引き取られた時にはもう、ひなのお母さんは天国に行っていたけど、ひなのお父さん…僕たちの父さんは、僕たちを本当の姉弟のように、僕もひなと同じように大事にしてくれてますから……」
紗「そう…」
そうつぶやいた紗百合は、少し寂しそうだった。その様子には気づかず、賢一は写真に目をやって言う。
賢「でも、なんかやりきれないなぁ……僕みたいに、血の繋がっていないきょうだいや父さんにも大事にしてもらえてる子供がいる中で、似た境遇で自殺をしてしまう子供もいるなんて……」
そんな賢一を見て、隆平もやりきれない顔で言う。
隆「立場が似てるぶん、そりゃ辛いよな……」
賢一は相変わらずの気を落とした様子でうなずく。と、その時、閉めておいたドアを思いっきり開ける音に皆驚き、思わず振り向いた。
克「うわ、なんだよこれ……」
そう言って、部屋に入ってきた男はしゃがみこんで金魚鉢の欠片をつまむ。
克「あいつ、首吊っただけじゃねーのかよ……」
紗「克昭……帰ったの?」
部屋に入ってきたのは、友健の義兄であり美優希の弟である梶北克昭だった。
克「ああ。ってか、こいつら何?」
紗「この子たち、友健を助けてくれた人たちなの。それで、友健を助ける時に大事なハンカチを落としちゃったらしくて……」
克「ふ~ん……だったらさっさとしろよ。」
賢一たちにそう言ってから、克昭はふっと天井近くにあるエアコンを見た。
克「おい、エアコンつけたのお前たちか?」
エアコンの方を見たままそう言う克昭に、みな驚く。
陽「エアコン、ついてるんですか…?」
そう言った陽を疎ましげに横目で見てから、克昭は小さく舌打ちをする。
克「毎日5時半にタイマーセットしてやがる……そういや母さん、今朝ここのエアコンいじってたよな?今朝、1階降りる時に見たけど、あの時セットした?」
紗「いえ……、それにしても、窓開きっ放しだったから気付かなかったわ……」
克「だったらアイツかよ……」
そう言って、克昭は机の上に無造作に置かれていたリモコンを取って、エアコンを切る。
隆「あれ…?」
その瞬間に何かに気付いた隆平。
賢「どうかしました?」
隆「ん、いや…さっきからずっと耳鳴りしてたんだけど、耳鳴りじゃなくてエアコンの音だったんだなぁってさ。」
そう言った隆平に、克昭も紗百合も少し驚く。
克「お前、何言ってんだよ?」
隆「へ?」
紗「このエアコン、音が静かだからって私が友健に買ってあげたの。…買ったのだって先週末だから、壊れてるはずはないんだけど……」
そう言う紗百合に、隆平は苦笑いをした。
隆「俺、人より耳良いから、そーいうのは基準になんないんスよ。」
克「マジかよ……」
また疎ましげな表情で今度は隆平を見た克昭に、隆平も負けずと怪訝な顔を見せる。
それから克昭は部屋の中を見回し、ふっと割れた金魚鉢の近くに歩み寄る。そこには息絶えた流金が3匹と、砂利や飾りがガラス片と共に散らばっていて、床には水がしみているような跡がある。
克「にしてもあの野郎、父さんが買ってくれた金魚までダメにしやがって……このエアコンだって、母さんが気ぃ利かせて新しく買ってくれたってのに、無駄につけたまま自殺なんてしやがって。……母さんも父さんもさ、あんな奴に気ぃ遣うことなかったんじゃね?」
紗「克昭!」
紗百合の一喝に、克昭は少し悲しそうな顔をする。
紗「……確かに私も滋さんも、友健のことは気にかけていたし、あなたたちにとってはそれが不満だったかもしれないけど…でも、友健はご両親を亡くしてるのよ?それでもあの子は、心配をかけないようにいつも明るく振る舞って……」
克「そりゃ、そうだけど……」
寂しそうにそう言って、克昭はぷいと部屋の外の方へ振り返りながら、賢一たちに対して言う。
克「とにかく、探し物だか何だか知らないけど、さっさと終わらせて帰れよ。あの死にぞこないのせいでこっちゃあ疲れてんだからな。」
紗「ちょっと……」
克昭の言葉に、紗百合や賢一、陽は反射的に悲しげな表情をしたが、隆平は口の方が早かった。
隆「おい待てよ!……弟に対して死にぞこないたぁ、聞き捨てならねーな!」
克「んだとぉ?」
明らかに機嫌を損ねた様子で振り向いた克昭にも、隆平はひるまなかった。
陽「ちょ、ちょっと隆平くん……」
慌てて止めようとする陽を、隆平は腕を出して制しながら克昭に続ける。
隆「確かに生みの親は違うかもしれねーけど、あんたら兄弟なんだろ?しかもそいつが今、生死の境で頑張ってるって時に、まるで死んでほしかったみたいな言い方しやがって!」
その瞬間、隆平の顔のすぐ近くを何かが飛んでいき、壁にぶつかった。驚いてみながその壁を見ると、そこには少しへこんだ後と、電池カバーの外れたリモコンがあった。
克「ガキが、わかったようなこと言ってんじゃねーよ!アイツのせいで俺も姉貴もイライラすることが多くなったんだ!いつも余計な面倒かけるくせに、いちいち俺らの事心配するようなこと言いやがって…それでいて父さんも俺らよりもアイツばっかり可愛がりやがって……第一、姉貴が前の仕事辞めさせられて大変な、俺が大学受験の忙しい時に狙ったように家に潜り込みやがって……ああ、そうだ!あんなヤツ死んだ方がよかったんだよ!アイツだって、この家が嫌で死にたくて首吊ったんだろうが!だったら、お前らの行為は最高のおせっかいだな!」
その剣幕に、誰も何も言わなかった。その中で克昭は再び舌打ちをして部屋を出ようとしたが…
陽「やめてください……」
その言葉に、克昭は振り返らずとも歩を止める。
賢「ひな……?」
陽「死んだ方がよかったなんて、やめてください!…話を聞いただけだったら信じたくなかったけど、お姉さんやあなたの今の態度見てわかった気がします……友健くんが自ら命を絶とうとしたのは、あなたたちのせいなんじゃないんですか?!」
隆「陽……」
克「俺たちのせいだと?…は!アイツが首吊ったのと俺らは関係ねーよ!」
やっと振り向く克昭に、陽は今にも泣きそうな、しかし意思を強く見せた顔で続ける。
陽「本当の家族を亡くして辛い心境でこの家にやってきた友健くんに、あなたたちは何をしてきたんですか?…嫉妬?八つ当たり?それが本当に彼にしてあげるべきことなんですか?!」
克「……だったらなんだよ。」
陽「そんなことしておいて、自殺するほど追い込んでおいて自分たちは関係ないなんて……あなたたちが殺したも同然じゃないですか……」
そこまで言って泣きそうに言葉を詰まらせた陽を、賢一はただただ心配そうに見ることしかできなかった。
賢「ひな……」
そしてうつむいた賢一は、ふっとリモコンが投げつけられた壁を見た。
賢「……」
そんなことには気付かず、隆平も泣きそうな陽を見てから、克昭を睨みつける。
隆「陽の言う通りだ!お前は…兄貴として最低だよ!」
克「兄貴ぃ?…は!誰があんなクズの兄貴だよ。勝手に親亡くして、勝手に親父に媚びうって……そんなクズ野郎の兄貴になった覚えはねーな!俺は美優希の弟で、死にぞこないとは赤の他人だ!」
その言葉に隆平はもちろん驚いたが、賢一という、血の繋がっていない弟を大事に思い続けてきた陽の目からは、遂に涙がこぼれ落ちた。
ケ「そんな顔すんじゃねーよ……」
陽「え……?」
その時、聞き覚えのある声が小さくそう言って陽の隣を通って克昭の真ん前まで歩いてきた。しかしまだ克昭の顔は見ずに、あえて下を向いているようだった。
ケ「お前たちが殺したも同然、か……フン。お前もうまいこと言うじゃねーか。」
そう言って陽の方を振り向いたのは、まるで克昭を嘲笑うかのような顔をしているケンイチだった。
隆「お前…ケンイチじゃねーか!」
陽「ケンイチ、くん……」
紗「けんいち…?ねえ、あの子賢一くんでしょ……?」
陽「あ、それは……」
驚いて戸惑う紗百合に説明しようとする陽だったが、それよりも先にケンイチは克昭に対してガンを飛ばしていた。
克「テ、テメー…何が言いてーんだよ!」
ケ「お前……とはまだ言えないがな、梶北友健は自分で首を吊ったんじゃない。…お前たち家族の誰かに、首を吊らされたんだ。」
克・隆・紗・陽「!」
ケンイチの言葉に、誰もが驚きを隠せなかった。
陽「どういうこと?!」
ケ「何度も言わせるな。これは梶北友健の自殺じゃなく、この家の住人である誰かによる他殺だということさ。…いや、今の段階では殺人未遂と言っておくか。」
陽「自殺じゃない……」
そう言った陽を見て、ケンイチは少し何かを考えるような顔になり、それからすぐに無表情で言い捨てる。
ケ「フン……少なくとも、梶北友健は自ら死を選んだわけではないという事だ。……くだらないことを気にしやがって。」
憎まれ口を言われたが、陽は少しだけ安心したような顔をしていた。
克「お前ふざけんなよ?!この家の住人って、俺たちの誰かがアイツを殺そうとしたとでも言うのか?」
冷静さを欠いてケンイチに食ってかかる克昭を、ケンイチは鬱陶しそうに一瞥し、面倒くさそうに言う。
ケ「だから、さっきからそう言っているだろう。何度も同じことを言わせるな、この能無しが。」
その言葉に、克昭は悔しそうに何か言おうとするが、言葉が出てこない。そんな克昭を見て、隆平もいつぞやの自分と重なるのか、複雑そうである。
紗「で、でもそんなこと……私たち家族の中の誰かが友健を殺そうとしたなんて、そんなこと……!」
感情的に、今にも泣きそうにそう言う紗百合に、ケンイチはまた先ほどの、人を嘲笑うかのような顔をする。
ケ「動機なら十分じゃねーか。…なあ?」
そして克昭を見る。
克「…は?」
ケ「お前も、美優希とかいうお前の姉も、義弟の存在が疎ましかったみたいじゃねーか。」
克「な…!」
驚く克昭を無視し、ケンイチは今度は紗百合を見る。その後ろでは、隆平が恥ずかしそうに陽に耳打ちしている。
隆「なあ、ギテイって?」
陽「義理の弟の事。…だから、私にとってのヨシくんも義弟にあたるのよ。」
隆「はぁ~、なるほどなぁ。」
そんな話をしているのを知っていて、ケンイチは2人を一瞥したが、隆平も陽もそのことには気付いていない。
ケ「それに、梶北友健を引き取った張本人である父親だって怪しいもんだ。立場上、奴を引き取りはしたが、今となって邪魔になった…なんてこともあり得なくはないだろう。」
そこまで言って、ケンイチは紗百合の方を見る。
ケ「あとはお前だが、お前も兄弟の仲の悪さを気にしている。その元凶である奴を消したいと思ったって不思議じゃない。」
紗「ちょ、ちょっと……私が友健を消したいだなんて…ふざけないで!」
取り乱す紗百合をただ見ているだけのケンイチに、陽が少し慌てて言う。
陽「ケンイチくん、今のは失礼よ……」
そんな陽を、ケンイチは静かに振り返ってみる。
陽「あ……」
そのケンイチの顔は、疎むでも怒るでもなく、ただ無表情であった。そんな気まずい空気の中、耐えきれなくなったのか隆平が話を切り出す。
隆「それよりもケンイチ!…お前、なんであの…友健、ったっけ?アイツが首吊ったのが殺人未遂だってわかるんだよ!」
そんな隆平を見て、ケンイチは静かに部屋を見渡す。
ケ「この部屋は、自殺の現場にしちゃ小さな矛盾が多すぎる。」
隆「小さな、矛盾……?」
隆平がそう言うや否や、ケンイチは賢一が立て直したとされる椅子の近くに歩いて行く。
ケ「まずはコイツだ。」
克「その椅子がどうなんだよ?」
そう言う克昭の方を向くこともなく、ケンイチは椅子の背を持って部屋の中央付近に持ってきた。
ケ「被害者が首を吊っていたすぐ近くに倒れていたのがこの椅子だ。…あれが自殺だと言うのなら、コイツを足台にしたと考えるのが普通だが……」
そう言って、ケンイチは紗百合の方を見た。
ケ「おい、梶北友健の身長はどのくらいだ?」
紗「どれくらいって言われても……確か、今年の春で148センチだって言ってたから……たぶん、まだ155はないと思うわ。…あの子、中3にしたら背が小さい方だから。」
そう言う紗百合に、ケンイチはうなずく。
ケ「だろうな。見た限りでも被害者は賢一と比べて頭1つ分ほど背が低かった。それでいて、縄の端にある2つの輪の間の長さは極端に短かったんだ…」
賢一の名を出すケンイチに、紗百合も克昭も不思議そうな顔をしているが、そんなことはお構いなしに、ケンイチは両手で30センチほどの間を作って縄の長さを表し、それから椅子に乗り、天井を見る。
ケ「見ろよ。賢一の体ですら、椅子に乗ったうえで天井と頭…いや、首の間隔は5、60センチはある。…つまりだ。」
そしてケンイチは椅子から降り、緊張気味にケンイチの行動を見ていた一同を見た。
ケ「被害者の身長と縄の長さを考えれば、この足台じゃ低すぎるんだよ。」
陽「そっか…確かにヨシくんより背が低くて、しかも縄の長さがそれくらいだったら、その椅子じゃ足がつかないわ。」
隆「ああ、そーいうことか!」
陽の説明に、隆平もやっと納得する。それを見たケンイチは、それには特に何も言わずに今度は机の近くの割れたコップの近くに歩み寄る。
陽「あ、危ないわよ…」
ガラスの破片を気にする陽に、ケンイチは陽を見ることもなく言い放つ。
ケ「……ったく、いちいちうるせえよ。」
そう言われて陽は少し悲しそうな顔をするが、隆平が少し怒ったように言う。
陽「ごめんなさい……」
隆「おい、気にすんなって。……アイツの言うこといちいち気にしてたらもたねーぞ?」
陽「うん……」
そんな2人は気にせず、克昭がイラついたように言う。
克「で、今度は何がおかしいってんだ?」
ケ「机の近くにあるガラス片については、まあこうしてコップを落したと考えれば違和感はない。」
そう言って、ケンイチは机の上を払うように手を動かす。その様子を、4人はもっともそうに見ている。
ケ「だが、そんなふうにコップを落としたのなら、ガラス片はこんなところにはないんじゃないのか?」
ケンイチは手を払った方向を見た。
紗「確かに……でも、それってどういうこと?」
ケ「おそらく、これは被害者を「精神が不安定な、自殺をする人間」に仕立てようとしたんだろうが、縄の長さと言い、細かいところまでは気が回らなかったみたいだな。部屋のガラス片全部が、まるで真上から落としたような位置に散らばってやがる。……精神が不安定な人間の行動を考えた時、普通は部屋中に投げつけると思わないか?…さっきのお前のようにな。」
そう言ってケンイチは克昭を一瞥した後、親指を立ててリモコンがぶつかった壁を指す。
克「…ッチ。」
ケンイチの態度が気に喰わないのか、克昭は苦々しく舌打ちをするが、ケンイチはそんなことは気にせずに、今度は割れた金魚鉢の近くに行く。
ケ「そして、今気になっていることはこれで最後だが……金魚鉢が落ちたというのに、なぜここは水浸しになっていない?鉢いっぱいの水が渇くほどの暑さでもなく、時間だってまだ1日しかたっていないんだ。」
紗・克「!」
言われて初めて、梶北の2人は驚いた。
隆「何言ってんだよ、そこ、カーペットの色が変わってるってことは、ちゃんと濡れてんじゃねーか。」
隆平は何も気づかず、もっともそうにそう言う。
ケ「ああ。濡れてはいる。…だが。」
そう言ってケンイチはカーペットを少しめくった。
ケ「カーペットの下は、水をはじくフローリングだ。床が水を吸わない以上、こぼれた水はすべてカーペットが吸収するが、それでこの染みの大きさ……落ちているガラス片から鉢の大きさを判断するに、明らかに水の量が少なすぎる。」
その言葉に、克昭は驚きを隠せないような顔をしていて、紗百合も同じように静かに話し出す。
紗「そうよ…あの子、「金魚が少しでも広く感じる様に」っていつも多すぎるんじゃないかってくらい水を入れてたのに……じゃあ、じゃあホントに友健は自殺じゃなくて、殺されかけたってこと……?」
悲しそうにそう言う紗百合に、ケンイチは無表情に言う。
ケ「まだ、誰が犯人だなんてことはわからない。それに、誰もいない部屋でどうやって奴に首を吊らせたか、ということもだ……だが。」
そう言って、ケンイチは小さく拳を握った。
ケ「生まれた謎は解き明かす。それがオレの使命だ…!」
その一言に、その場にいた全員が何かを感じたようだった。
⑩(4)
翌日のメディア部、ケンイチは賢一に戻ることなく授業を終えて部活に出ていたが、まるで部員たちを避けるかのように1人、窓際で頬杖をついていた。部室には鳩谷、孝彦、隆平を除いた全員がそろっている。
晶「で、結局ハンカチはベランダに引っかかってたってか?」
陽「ええ……窓、開きっ放しだったから……(汗)」
苦笑する陽に、晶は少し呆れるような顔をする。
路「にしても、自殺に見せかけた殺人未遂とはな……」
ふとそう言う龍路に続き、龍海がケンイチをちらっと見る。
海「しかもまた賢一センパイ、ケンイチさんと替わっちゃったし……」
そう言う龍海に、修丸が少し慌て気味に言う。
修「龍海くん、聞こえますよ……?」
そう言って修丸もちらりとケンイチの方を見るが、ケンイチは何も反応しない。
修「…聞こえて、ないみたいですね。」
ケ「バカが……」
修丸の言葉にさりげなく言い放つケンイチに、修丸も龍海もびくつく。
修「え?!」
海「す、すいません!」
そんな龍海を一瞥して、ケンイチはまた窓の外へと目線を戻す。と、その時、部室のドアが開いて孝彦、隆平、鳩谷の3人が入ってくる。
海「あ、おかえりなさい!」
隆「おう!」
陽「なんか悪いわね、警察の事情聴取任せちゃって……」
少し申し訳なさそうな陽に、孝彦は苦笑気味に言う。
孝「別にいいよ。いいことじゃないだろうけど、最近はこういうのも慣れてきちまったし。」
そう言って、孝彦は隆平を見る。
孝「それに、昨日の現場の事話したのは俺じゃなくてコイツだしさ。」
晶「で、どうだったんだ?」
孝「本格的に、殺人事件として捜査を始めるそうです。ケンイチが言っていたことは全部的を得ていたし、遺書がなかったこととか、被害者の血液から睡眠薬が検出されたことから殺人事件の可能性は大きいって。」
そこまで言って、孝彦は疲れたような独り言を言う。
孝「まさか事件だとは思わなかったけど…一応、時間見といてよかったよ。」
路「さすが、警察の息子だよな。」
誉める龍路だったが、孝彦は悪気こそないものの疲れたような顔を見せる。
孝「よせよ…ったく、おやじのせいで変な癖が付いちまった……」
そんな孝彦に苦笑しながら、鳩谷は誰かを探すような目線で部員たちを見渡し始める。
鳩「しかし、担当の警察官、神童の推理聞いて驚いてたぞ。よくそんな些細な点を見つけられたなって。……って、神童は何やってんだ?」
不思議そうに窓際に目をやった鳩谷だが、ケンイチは反応しない。
陽「事件のこと、考えてるんだと思います。……まだ犯人や、友健くんの首を吊らせた方法がわかってないみたいだから……それを気にしてるんだと……」
鳩「そうか…しかし、自殺と他殺を見抜いただけでも、すごいと思うがなぁ。」
そう言う鳩谷に、ケンイチは振り向きもせずつまらなさそうに、また、さも当たり前とでも言うように言う。
ケ「あんなわかりやすい現場を見て、安易に自殺と判断できる警察の方が、オレはよっぽどすごいと思うが。」
その言葉に、刑事の父を持つ孝彦は苦い顔をする。
孝「仕方ねーよ…自殺事件で初動捜査に当たるのは大抵その地区の所轄の警官だから、捜査一課とかに比べて現場慣れしてないんだ。」
ケ「フン……」
その一言は、とてもつまらなそうなものだった。
隆「なあケンイチ、誰が犯人なんだ?…やっぱあの克昭とかいうやつじゃないのか?」
少し急かすような隆平の言葉に、ケンイチは鬱陶しそうに部屋の中へ向き直り、窓へよたれかかり、小さくため息をついた。
ケ「お前は感情に流されやすい。…もっと物事を考える癖をつけろ。」
その言葉の意味を、隆平は理解できていない。そんな隆平を見て、孝彦が少し呆れたように言う。
孝「ムカつくからって勝手に犯人にしようとするなってことじゃないのか?」
そう言われ、隆平は少しだけムッとする。
隆「んなこと言ってもよぉ!あの野郎、いくら親が違うとはいえ、弟を死にぞこないとか言いやがったんだぞ?!」
孝「俺にそんなこと言ったってなんにもならないだろうが。」
隆「んなこたぁわかってらぁ!」
孝「だったら言うなよ、バカ。」
隆「な、テメ!ドサクサに紛れて人の事バカ呼ばわりしやがって!」
孝「ドサクサも何も、お前はバカだろうが!」
隆「言ったな、この―」
路「で?」
わざとらしく、しかし部員たちの注目をしっかりと集めた龍路の一言に、ケンカを始めそうな勢いの2人も思わず彼の方を見る。
路「犯人のめどは立ってるのか?」
ケンイチに対してそう言う龍路を見て、孝彦と隆平は気まずそうにお互いに顔を逸らしてケンイチの方を見る。
ケ「めどなんて立ってねえよ。あの現場からわかることは、あれが自殺に見せかけた他殺……いや、殺人未遂だという事。それと、あの部屋で何かをしていても怪しまれないあの家の住人、もしくはあの家に怪しまれずに普段から出入りできる人間であれば、誰でもあの偽装自殺の現場を作ることができたという事だけだ。あとはいかんせん情報が足りねえな。」
そう語るケンイチの話を、みな真剣に聞いている。
修「あ、あの……」
何か言いたげにそう言う修丸を、ケンイチは面倒臭そうに見る。
修「1つ聞いていいですか?」
ケ「なんだよ…」
修「自殺じゃなくて殺人だとしたら…おととい、隆平くんが聞いたガラスの音は誰が立てたんですか?」
その言葉に、晶も気づいたように言う。
晶「そうだ!あの時は自殺だとばかり思ってたから本人がガラスを割ったのかと思ってたが……まさか犯人はあの時、家の中にいたのか?」
孝「いや、それはありえないですよ。自殺があった時には、警察は自殺者の家族に連絡をいれますけど、もし家の中に隠れていて携帯が鳴ったり、その電話を取って警察と話をしていたなら、さすがに家の中にいるってバレるでしょう?」
海「でも、電話に出なかったらバレないんじゃないですか?携帯って、電話が来ても鳴らないようなモードだってあるし。」
孝「それだったら警察もとっくに、その電話に出なかった誰かってのを疑うだろ?…残念だけど、担当の警官も隆平の話聞いた時に参ったような顔してたから、家族の全員に連絡はついてたんじゃないか?」
海「あ、そっかぁ……」
鳩「となると、やはりそのガラスの割れる音っていうのは、なんらかの理由で、首を吊らされる前に男の子が自分で立てたのか?」
路「そりゃ無理ですよ。隆平がその音を聞いて賢一があの子を見つけるまで、1分もなかった―」
そう言いながら、龍路はふっと気が付く。
路「…ってことは、あの状況でガラスを割れる人物はいなかったってことになるのか?」
修「ま、まさかガラスがひとりでに割れた…とか?」
怯えながらそう言う修丸に、孝彦が呆れて言う。
孝「お前なぁ、いい加減そのオカルト思考なんとかしろよ?地震でもないのに、勝手にガラスが割れるかっつの。」
修「そ、そうですよね……」
安心したようにそう言う修丸だったが、ふとケンイチが口を開く。
ケ「まんざら、あり得ない話じゃないかもしれないがな……」
その一言に、皆驚く。
陽「どういうこと?……まさかケンイチくんまで、心霊現象とか言うんじゃ―」
ケ「寝言は寝て言え。」
陽の言葉を遮ってそう言い放つケンイチに、陽も自分で言ってて苦笑している。
ケ「オレが言いたいのは、犯人は何かトリックを使って、無人……いや、被害者である梶北友健だけがいる部屋でコップやら金魚鉢やらを割ったんじゃないかってことだ。」
海「トリック……?」
鳩「…だが、男の子が部屋にいる状態で何か仕掛けをしても、それが作動する時に犯人が彼を見ていなかったら、その仕掛けをなんとかできたんじゃないのか?」
ケ「そんなことは、いくらでもなんとかなる。」
鳩「いくらでもって……」
首をかしげる鳩谷に、ケンイチは表情も口調も変えずに続ける。
ケ「あの縄の短さ、おそらくあれは被害者をあの部屋の中の高い位置から動けないようにするためのものだろう。」
隆「高い位置って、そんな人が乗れるような場所なんてあったか?」
ケ「クローゼットの上……あそこで間違いないだろうな。」
陽「間違いないって……」
ケ「椅子に乗った時についでにクローゼットの上を見てみたら、案の定、埃が不自然に払われたような跡があった。おそらく、被害者は首を吊る直前まであそこに寝かせられていたんだ。縄の短さのために起き上がることもできず、縄をほどくために首に手を回すことも満足にできない状態でな。」
その説明に、陽や隆平は現場をじっくりと見ていた手前、ただただ驚くだけだった。
晶「クローゼットの上に寝かせて、か……でもケンイチ、首に縄をかけられてクローゼットの上に置かれるなんて、そんなこと普通はさせないだろ?」
不思議がる晶に、ケンイチは横目で晶を見てから話を続ける。
ケ「被害者の血液から出たという睡眠薬、おそらくあれは被害者に抵抗させないために犯人が飲ませたものだろう。男とは言え被害者はもともと小柄だ、寝かせてしまえば首に縄をかけてクローゼットの上に寝かせるなんて、足場さえありゃ、男はもちろん女でも楽にできるだろうからな。」
路「そりゃ確かに、眠っていたなら作業もしやすいだろうけど…でも、睡眠薬なんて飲ませたら他殺だってすぐバレるんじゃないか?今回はお前が他殺だって見破ったから血液検査とかもしたみたいだけど、遺書とかがないんだから、お前が他殺だって見破ってなくても、検査とかする可能性もデカいだろ?」
ケ「そんなことはなんの問題でもない。睡眠薬が検出されたところで、オーバードーズの可能性を示唆すりゃ済むからな。」
路「オ、オーバードーズ?…なんだそれ?」
ケ「簡単に言えば、服薬自殺の事だ。聞いたことないか?睡眠薬を大量に摂取して自殺を図った、なんて話を。」
部室を見渡すようにそう言うケンイチに、孝彦が思い出したように言う。
孝「確かによく聞くな、自殺の方法の1つで睡眠薬を大量に飲むって。」
孝彦の言葉を受け、ケンイチは孝彦にと言うわけではなく、何かを嘲笑うかのように微笑する。
ケ「まあ、実際はとんでもない量の睡眠薬を服薬しないと、オーバードーズなんてできないんだがな。……死にたいと思うくせに簡単に死のうとするなんて、ムシが良すぎると思わないか?」
そんなケンイチを見て、陽は人知れず悲しそうな顔をしたが、それに気付いてもいないのに、ケンイチはすぐに真剣な表情になる。
ケ「…話が逸れたな。とにかくだ、犯人は、被害者が首を吊る直前まで、クローゼットの上に首に縄をかけて満足に身動きできない状態で寝かせていたのはほぼ確実だ。そうしておいて犯人は安心して、その場に居ずともコップや金魚鉢など、ガラスを落とせるような何かを仕掛けたんだろう。」
そう言ってケンイチは一息つき、部員たちの緊張は高まっていく。
修「それで、その仕掛けっていうのは……」
沈黙の中そう訊く修丸を、ケンイチは静かながらに睨む。
修「あ!す、すいません……!まだわかってないんですよね……?」
オドオドとそう言う修丸を少しの間睨みつけていたケンイチは、ふっとつまらなさそうにうつむく。
ケ「わかってんなら訊くんじゃねーよ、バカが……」
修「ご、ごめんなさい……」
落ち込む修丸。そんな修丸を一瞥してから、ケンイチはおもむろに立ち上がり、何も言わずに部室の出入り口の方へ歩き出す。
晶「お前、どこ行くんだよ?」
驚いて声をかける晶に、ケンイチは立ち止まりはするものの、振り向かずに答える。
ケ「ここにいたって、新しい事実が発覚するか?…しないだろ。」
陽「ねえ、まさか梶北さんの家に行くつもり?」
心配そうにそう訊く陽に、ケンイチは少しの間黙っていたが、歩き出すと同時に答える。
ケ「オレがどこに行こうと、オレの勝手だ……」
そうだけ言って、ケンイチは部室のドアを閉めた。その様子を見ていた部員たちはみな唖然としていたが、陽だけは一層心配そうにうつむいていた。
孝「どうした、陽?」
陽「あ…えっと―」
落ち込んだ様子の陽に気付いた孝彦はそう声をかけるが、それに答えようと陽が顔をあげた時、隆平が呆れたように言う。
隆「訊かなきゃわかんねーのか、イシアタマ?」
孝「はあ?!誰がイシアタマだ!」
隆「お前に決まってんだろうが!んなこともわかんねーのかよ!」
孝「俺がイシアタマだったらお前は能無しバカだろうが!」
隆「てめ!いっつもバカの1つ覚えみてーにバカバカうるせえんだよ!」
孝「事実なんだから仕方ないだろうが、このバカ―」
晶「だー!!2人ともうるさい!!」
龍路の仲裁が入る前に、今回は晶の堪忍袋の緒が切れたようである。晶は怒鳴った勢いで席を立ちあがっている。
路「セ、センパイが怒った……」
海「うわ、こっわ……」
晶の怒鳴り声にビビってそんな事を言っている2人を気に留めるでもなく、晶は少し落ち着いて孝彦と隆平の方を見る。
晶「お前たちはホンットに飽きないな!…ったく、陽の気持ちも考えてやれ!」
そう言われて、孝彦と隆平はやっと気づいたように少しバツ悪そうに陽の方を向く。
孝「わ、悪い陽……」
隆「あー……あれだな、俺らもガキだったな……」
そんな2人を苦笑いして見ている陽や、呆れたように見ている晶。
陽「そんな、謝られることはないんだけど……」
そう言って、陽はまた複雑そうな表情をしてうつむく。
孝「けど?」
陽「ううん、なんでもないの。」
そう言って少し無理をするように笑う陽に、鳩谷が心配そうに訊く。
鳩「神童が心配なのか?」
その問いに、陽はまたうつむく。
修「ケンイチくん、誰が相手でも歯に衣着せませんからねぇ……」
陽にそう言う修丸の言葉を聞いて、龍路や龍海もお互いに納得するように話し始める。
路「それでいて、事情を知らない人からしたら賢一が豹変したように見えるからなぁ…」
海「だよねぇ。ケンイチさんを放っておいたら、賢一センパイの印象が悪くなっちゃうかもだし、僕が陽センパイだったらやっぱ心配だなぁ。ねえ、センパイ?」
そう龍海に振られて、陽が悲しそうに顔をあげる。
陽「違うの……印象とか、そういうことじゃないの……」
海「え?」
思わず聞き返す龍海。龍路も少し驚いている。
陽「私、ケンイチくんがつぶれちゃわないかが心配なの……」
路「つぶれるって…どういうことだ?」
陽「ケンイチくん、何か大きな苦しみを1人で抱えているみたいなの……ヨシくんを守るために……」
晶「賢一を守るため……?」
そう訊く晶に、陽は少し悩んだ後、意を決して晶の方を見た。
陽「おととい…友健くんを助けた日の夜、私、ケンイチくんに会ったんです……」
隆「ケンイチに会った?!……って、昨日はアイツまだ賢一だったじゃんか!」
孝「もしかしてアイツ、俺らが知ってる以上に頻繁に賢一と入れ替わってるのか?」
驚く隆平に続き、孝彦も驚きを隠せない表情をしている。
陽「ううん、こんなことは今回が初めてよ…今までは事件が起きてケンイチくんが出てきてくれて、事件が解決したらヨシくんに戻って……それだけだったから。でも…おとといの夜は違ったの……」
そう言って1度黙り込む陽に、鳩谷が静かに言う。
鳩「一体、何があったんだ…?」
陽「あの日の夜、私たち、お父さんに友健くんを助けたことを話してたんですけど、その時からなんかヨシくんの様子が変だったんです……今年に入ってから、メディア部の周りで人が死ぬことが多いって気にして……」
修「あー…言われてみればそうですね。去年はそんなこと、1度もなかったですよね。」
晶「ああ。去年もだし、自分が1年だった一昨年もそんなことはなかったぞ。…ってか、事件なんて滅多に会わないもんだと思ってたからなぁ……」
そう言う晶に、孝彦が冷静に言う。
孝「そうでもないですよ、事件なんて東京だけでも毎日のように起きてますからね。」
鳩「そうか、お前の父さんは刑事だからそう言う話も聞くんだな。」
孝「そりゃ、事件の詳しい話なんて聞けませんけど、よく愚痴ってるんですよ、世の中事件が多すぎるって。」
そんな話をしていた孝彦や鳩谷だったが、ふと話を逸らしていることに気付いてバツ悪そうに陽の方を向き直る。
孝「あ、そういうことじゃないよな、お前の話って。悪い……」
そういう孝彦に、陽は少し笑顔を作って言う。
陽「ううん、別に大丈夫よ。」
路「それで?続き聞いてもいいか?」
陽「ええ。…それでね、その後はお互いに部屋に戻ったんだけど、それから少ししてヨシくんの叫ぶ声が聞こえて、心配になって部屋に行ったら……ケンイチくんがいたの。」
晶「その時、入れ替わったのか……」
海「あ、でも、その声ってもしかしてケンイチさんが叫んだんじゃないんですか?」
ふとそう訊く龍海に、陽は少しだけうつむいて言う。
陽「私もお父さんも、最初はそう思ったわ。でも、後から訊いたら、叫んだのはヨシくんだって、ケンイチくん言ってた。」
修「……でも叫んだって、賢一くん一体どうしたんです?」
心配そうに訊く修丸に、陽も少し不安げな顔色が戻ってくる。
陽「ヨシくんに何があったかは教えてくれなかったけど、もしケンイチくんと入れ替わらなかったらヨシくんの心は死んでただろうって。…いつもは入れ替わってもお互いに感じたことを知っているはずなのに、それもできないくらいに混乱してるって…そう言ってたわ。実際にヨシくん、ケンイチくんと入れ替わってたことすら気づいてなかったみたいだった。」
修「入れ替わりにも気づかないほどの混乱ですか…」
陽「ええ…でも、ケンイチくんもなんだか様子が変だったの。ひどく取り乱してたって言うか…お父さんに、ヨシくんを疎んだのはお前じゃないのかって言ってた。その後すぐに、自分の言ったこと否定してて……」
そう言って、陽はケンイチの言葉を思い出した。
―ケ「賢一を1番疎んだのはテメーじゃねーのかよ!」―
―ケ「くそっ…!違う!宗光じゃねぇよ…!宗光陽一郎じゃねぇ!……」―
隆「お前の父さん、賢一に何かしたってのか?」
陽「ううん、違うと思う。…きっと、ヨシくんが記憶を失った原因は、ヨシくん本当のお父さんにあるんだと思うの。」
路「賢一の、本当の父さんか……まあ、賢一と両親が死別していなければ、どこかにはいるよな。」
納得するようにそう言う龍路だったが、陽はまた一層不安げな顔をする。
陽「ヨシくんの記憶を取り戻すことは大事なことだと思ってた…けど、あんなケンイチくん見たら、どうしたらいいのかわからなくなって……」
そこまで話して、陽はまた心配そうにうつむく。そのことに気付いたのは…
隆「よし、俺も梶北さん家行ってくる!」
そう言って立ち上がったのは隆平だった。
陽「え?」
孝「おい、お前が行ってどうすんだよ?」
驚く陽に呆れる孝彦だったが、隆平はまず孝彦に対してムッとする。
隆「お前なあ、あからさまに人をバカ扱いすんのやめろって。」
そう言って、今度は強気な顔で陽を見る。
隆「陽お前さ、ケンイチの事が心配だけど、ケンイチの言葉も気になってんだろ?」
海「ケンイチさんの言葉って?」
隆「ほら、なんか「どこ行ったってオレの勝手だー」とかなんとか言ってたろ?」
海「あー、確かにそんなこと言ってたような。」
鳩「だが、それを気にするってのは?」
隆「先生もニブいなぁ。あんなこと言われて、アイツの後をついて行けるほど陽も図太くはないっしょ?…なあ?」
隆平に振られ、陽は苦笑気味に、しかしどこか悲しそうにうなずいて言う。
陽「なんだか、ついてくるなって言われた気がして……ケンイチくん、私の事を鬱陶しがってるみたいだから……」
そんな陽に、隆平が得意げに言う。
隆「だから!俺が行くんだよ!…俺はケンイチに何も言われてないからな、その分気も楽だぜ!」
晶「ほお、お前にしちゃあ気が利くな。」
感心する晶に、隆平はなお得意そうである。
隆「でしょお!」
孝「頼むから、仲裁できる人間のいないところでケンイチとケンカなんかすんなよ?」
隆「うるせえよ!…じゃ、走りゃあ追いつけるだろうし、俺行ってきまーす!」
そう言って、隆平は自分の荷物をカバンに乱雑に詰めて、それを持って部室を出て行った。
鳩「近宮のやつ、お調子者なだけじゃあないんだなぁ。」
感心する鳩谷だったが、龍路がふと何かに気付く。
路「…あれ?でも隆平の奴、なんでカバンまで持ってったんだ?」
晶「…!アイツ、まさかこのまま帰る気じゃ…!」
晶の一言に、部員たちは皆ハッとなった。