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表裏頭脳ケンイチ

第4話「殺意の光線と血の繋がり」

 

1(①)

―?「今日からは、ひなたがヨシくんのお姉ちゃんだよ!」

雨がそぼ降る静かな夜、手を差し伸べる小さな1人の少女。その背には下弦の月が輝いていて、少女の顔はよく見えない。しかし、迷うことなくその手を取ろうとして……―

 

賢「!」

そんな夢を見て、賢一はハッと目を覚ました。そして、ゆっくりと上半身を起こして、ベッドと面している壁にあるカーテンを少しめくってみる。そこには、雨が降る気配などみじんも感じさせないような晴天の空が広がっていた。その光景を見た後に、賢一はふっと、手にハンカチを握っていたことに気付き、それを見つめる。

賢「夢…か。」

そうつぶやいて、賢一は小さく微笑んだ。

 

賢「父さん、おはよう。」

パジャマのまま1階に降りてきて、台所に立っている陽一郎にそう挨拶をする賢一。

父「おわ?!…って、賢一かぁ(汗)」

いきなりの声に驚く陽一郎に、賢一も苦笑する。

賢「何もそんなに驚かなくても……って、父さん卵、卵!」

フライパンから目を逸らした陽一郎に、慌ててそう言う賢一。

父「へ?…おわ!朝食の目玉焼きが!」

陽一郎が慌ててみたフライパンには、3つ並んだ目玉焼きが黒い煙を出し始めていた。

賢「ちょっと、ヤだよ?!新学期早々黒焦げの目玉焼きでスタートなんて!」

父「わ、わかってるよ!」

そんな言い合いの中でコンロの火を消す陽一郎。

父「ふう…危なかった……」

そんなドタバタがあっても、2階の自分の部屋で眠っている陽は起きる気配がなかった……

父「で、こんな時間に起きてくるなんて、どうしたんだ?」

落ち着きなおしてジャガイモをゆでる陽一郎に、食卓テーブルに座っている賢一がコーヒーをすすりながら答える。

賢「ん?…夢。」

そんな賢一に、陽一郎はコンロの火を止めながら訊く。

父「夢?」

賢「うん。」

カップの中のコーヒーに映る自分を見つめながらそう答えた賢一は、そのカップを静かにテーブルに置く。

賢「不思議な夢を見て、目が覚めたんだ…」

そんな一言を聞いて、今まで流しでジャガイモをゆでたお湯を切っていた陽一郎が、ジャガイモをいれたザルを振りながら、ふと気になった様子で賢一を見る。

父「お前が夢の話をするなんて珍しいな。」

そう言いながら、陽一郎はジャガイモをボウルに取る。

賢「そうかな?」

今度は、ジャガイモをつぶしながらの陽一郎。賢一はそんな陽一郎の背中を不思議そうに見つめている。

父「ああ、陽は小さい頃から、よく見た夢の話をするが、お前はあんまし…というか、まったくそんな話はしないからなぁ。…で、どんな夢を見たんだ?」

それから、賢一はスプーンでコーヒーをかき混ぜ、渦を巻くコーヒーを見つめながら言う。

賢「小さい頃の夢、なのかな?僕もよくわかんないんだけど、小学生の、それも低学年くらいの女の子が、僕に手を差し伸べて言うんだ。「今日からは、ひなたがヨシくんのお姉ちゃんだよ!」って。」

そんな賢一に、玉ねぎを切っていた陽一郎はその手を休ませずに訊く。

父「そりゃ陽じゃないのか?自分の事をひなたって言ったんだろ?」

賢「そうだけど…夜だったし、その女の子は月明かりを背にしてたから、顔が見えなくて。」

父「ほう…」

賢一の話を聞いて、陽一郎は人知れず不思議そうな顔をしていた。

父「(おかしいな…賢一と陽が初めて会ったのは、確か…日中のことだったと思うが……まあ、夢だからそこまでおかしくもないか。)」

そんな陽一郎の様子には気づかず、賢一は続ける。

賢「それに僕、記憶力よくないからひなや父さんと初めて会った日の事なんか覚えてなくてさ…」

そう言う賢一の声は、どことなく寂しそうである。それに気付いた陽一郎は、刻んだ玉ねぎとさっきのジャガイモを混ぜたボウルと、マヨネーズを持って食卓テーブルに座る。

父「賢一、お前やっぱりさびしいか?」

賢一の顔をちゃんと見てそう言う陽一郎に、賢一は一瞬驚いたような表情をし、それからすぐに複雑そうな顔をする。

賢「さびしいって…?」

父「お前は、うちに来る前の記憶がないからなぁ。」

その言葉に、賢一はそろそろ冷めかけたコーヒーを見つめる。

賢「いや…さびしくはない、けどさ……」

そう言って、賢一は一気にコーヒーを飲みほした。

賢「……なんか、悪いって言うか…」

父「悪い?」

まったくもって不思議そうな顔でそう訊く陽一郎に、賢一は相変わらずの調子で言う。

賢「だって、僕はどこの誰で、なんで記憶がないかとかなんにもわからないのに、父さんやひなは僕を本当の家族みたいに接してくれるじゃないか…」

そんな賢一に、陽一郎は優しい顔でボウルに入れたマヨネーズとジャガイモをあえながら言う。

父「…あと、母さんもな。」

その言葉に、賢一は小さく苦笑する。

賢「だって、僕がここに来た時には、母さんはもういなかったじゃん。」

父「でも、賢一が俺の息子になったことだって、明理…いや、母さんはちゃんと知ってるし、陽の母さんで俺の奥さんなんだ、お前のことだって快く受け入れてくれているに決まってるだろ?」

その言葉を聞いて、賢一は小さく笑った。

賢「…そうだね。」

それを見て、陽一郎も嬉しそうに笑ってからできたてのポテトサラダを賢一の空き皿に盛ってやる。

と、その時2階を静かに歩くような足音が聞こえる。

賢「あ、この話、ひなには内緒ね。」

声を潜めてそう言う賢一に、陽の皿にポテトサラダを盛っていた陽一郎は不思議そうな顔をする。

父「どうしてだ?」

そんな陽一郎に、賢一は切に心配そうな顔をした。

賢「この前、夏休みの最初の頃、図書室で事件が起きたでしょ?その時からひな、僕に内緒で記憶喪失の事を調べてるみたいなんだ……」

その言葉を聞いて、陽一郎は夏休みの間の出来事を思い出す。

 

―夜、自分の部屋で数冊の本を机に積み上げて、その中の1冊を熱心に読んでいる陽。そんな時、いきなり部屋のドアが開く。

父「陽、明日なんだが……」

陽「あ!」

そう言って入ってきた陽一郎は、慌てて読んでいた本と机に積んでいた本を隠そうとした陽を見て不思議そうな顔をする。

陽「ちょっとぉ、ノックぐらいしてよ……」

父「いや、悪い……ってまさか、親には見せられないようないかがわしい本でも読んでたのか?!」

陽「違うわよ……その、ヨシくんには内緒にしてね。」

そう言って、陽は隠した本を数冊出して陽一郎に見せる。陽一郎もそれを見るためにドアを閉めてから陽の近くに行く。

父「「記憶喪失の治し方?」…こっちは「記憶喪失のメカニズム」…お前もしかして、賢一のために?」

そう言う陽一郎に、陽は少し切なそうにうなずく。

陽「…この前、図書室で殺人事件があったって話、したでしょ?その時の帰り道で、ケンイチくん言ってたの。自分はいらない存在だ、自分がヨシくんを不幸にしたんだって。それに、ヨシくんも自分の記憶がないこと、自分が何者なのかわからないことをとても気にしてたから……私、今までそんなこと全然気づいてあげられなかったから……」

父「そうか…」

優しくそう言って、陽一郎は不思議そうに訊く。

父「しかし、それだったら何も内緒にすることは…」

陽「ケンイチくんが、ヨシくんの記憶の事は口にするなって、血相変えて言ってたの。…きっとケンイチくんはヨシくんの過去を知っている。でも、ヨシくんがそれを思い出すことを拒んでいる…そう思えて、だから今は……」

父「なるほどなぁ、賢一の聞いたことはケンイチも聞いていて、ケンイチが聞いたことは賢一も聞いているもんなぁ……わかった!お前が賢一の記憶喪失の事を調べていることは、賢一には内緒にしとこう!」

陽「ありがと、お父さん!」―

 

父「(陽も頑張っていたようだが、隠し事をするにはやはり近すぎるんだな……)」

残念そうにそう思い、しかしそんな表情を賢一に悟られないように陽一郎は賢一に言う。

父「だったら、逆に教えてあげた方がいいんじゃないか?お前の記憶の手がかりになるかもしれないし―」

賢「ダメだよ…」

陽一郎の言葉を遮る賢一。

賢「今は…僕だけの感情で動いちゃいけないんだ……」

父「賢一……お前、もしかしてケンイチのことを―」

賢「ほら、ひなも起きたみたいだしさ、パン焼いてもらっていい?!」

また陽一郎の言葉を遮った賢一。カラ元気に振る舞う賢一を見て、陽一郎は不安そうな、心配そうな顔をした。

 

​④

賢・陽「いってきまーす!」

父「おお、いってらっしゃい!」

いつものように挨拶をし、玄関を出て行く2人を見送ってから、陽一郎は少し複雑そうな顔をして玄関からリビングに戻り、リビングと隣接している和室の仏壇の前に座る。

父「お互いがお互いを思っての隠し事だそうだ……明理、お前は母親としてどう思う?」

苦笑気味にそう言って、陽一郎は陽の母親である明理の遺影を手に取った。写真の中の明理は、笑ってはいるものの、この時だけは少しだけ困ったような表情に見えた。

 

賢一の漕ぐ自転車に乗りながら、陽は気持ちよさそうに風を浴びて、賢一に掴まってない方の手で髪を押さえている。そんな陽に、賢一は後ろを見ることもなく…と言うよりも、運転中は後ろなんて見ることなんてできないため、前を向いたままふと訊く。

賢「ねえ、ひなってさ、僕と初めて会った日の事とかって覚えてる?」

その言葉に、陽は少し驚いた後、懐かしそうに言う。

陽「初めて会った日…?ええ、もちろん覚えてるわ。私が小学校の2年生になる年の2月の終わりごろ。」

そして、陽は目をつぶって思い出すように語り始めた。

陽「そう言えば、私たちが出会ってから、そろそろ10年経つんだね……」

 

―陽「すごくきれいに晴れた日だったよ。でも、前の日はすごい雨だったから、川が増水してたのを今でも覚えてるわ。」

雨上がり、濡れた道路が光るような気持ちのいい午前中、散歩帰りの陽一郎と、数か月後には2年生に進級する小学校1年生の陽が川原沿いの歩道を歩いていた。

父「雨上がってよかったなぁ!」

陽「うん!道がキラキラしててきれいだね!」

陽一郎の呼びかけに嬉しそうに答えた陽は、ふと川の方に目をやる。

陽「お父さん、川が怒ってるよ?ゴウゴウ言ってる。」

川を指差してそう言う陽は、ギュッと陽一郎の服の裾を掴む。

父「ん?怒ってなんかないさ。雨をいっぱい飲んで、運動をしているだけだよ。」

陽「でも、なんか食べられちゃいそうで怖いよ…」

そう言って、陽は何かに気付いた。

陽「あ!お父さん、誰かいる!」

そう言うや否や、陽は河川敷を降りていく。

父「お、おい陽!」

そう言った時にはすでに陽は走り出している。

父「…人なんているか?」

そう漏らしながら陽一郎も陽を追いかける。

陽「ねえ、ねえどうしたの?!大丈夫?!」

陽一郎が駆け付けた時にはすでに、陽はそう言って川の付近で倒れている男の子をゆすっていた。その光景に驚いた陽一郎は、慌てて男の子のもとによる。

父「おい、大丈夫か?…溺れたのかもしれないな。陽、ちょっとどいていなさい。」

様子を見てから、陽一郎は男の子に対して人工呼吸を試みる。その様子を陽が不安そうに見守る中、男の子はついに咳き込んで意識を取り戻す。陽「あ、気が付いたよ!」

父「大丈夫か?!」

その問いかけに、男の子は元気のない様子で2人の顔を見るだけで何も言おうとしない。

父「君、お父さんやお母さんは?おうちはどこだい?」

その問いに、男の子はうつむいてしまう。

陽「どうしたの?」

?「わかんない……」

陽「え?」

?「お父さんもお母さんも、どこにいるかわかんない……うちもわかんない……」

父「なんだって…?」

?「わかんない…!何もわかんない!」

父「じゃ、じゃあ君の名前は?名前ならわかるだろう?」

そう言う陽一郎だったが、男の子は苦しそうに首を横に振る。

陽「わかんないの?」

父「もしかして、記憶喪失か……」

誰に言うでもなく、驚きのあまりそうつぶやく陽一郎に、2人とも不思議そうな顔を向ける。

陽「きおくそうしつって何?」

父「大事なことを、全部忘れてしまうことだよ。怖い思いをしたり、大変なことがあったりすると、記憶喪失になってしまうことがあるんだ。しかし困ったな、名前もわからないんじゃあ、どうしようも……」

その時、陽はフッと男の子がさっきから固く握ったままにしている右手に気付く。

陽「ねえ、何持ってるの?」

?「え?」

そう言われて、男の子も初めて気づいたかのように右手を開く。そこには、小さな、濡れた小包のようなものがあった。

父「ちょっといいかい?」

そう言う陽一郎に、男の子は小さくうなずく。そして、陽一郎は濡れて破れやすくなった包装紙を気をつけながら開ける。その中からは1枚のハンカチと、そのハンカチに挟むように入れてあった手紙が出てきた。ハンカチと包装紙のおかげか、手紙は濡れてはいたもののかろうじて読むことができる状態だった。

父「ハンカチに手紙か。最初の方は読めそうだな……」

手紙の内容は、読める範囲でざっとこんなものである。

「ヨシくん、ちょっと早いけど入学おめでとう。今年は閏年だから、入学まで1日長くてもどかしいね。でも//」

これから先は、にじんでいて読めなかった。

父「閏年といったら今年も閏年だ…」

その言葉に、また陽も男の子も不思議そうな顔をしている。

父「見た感じも6,7歳くらいだし、こりゃ今年書かれた手紙だな。」

陽「7歳?だったらひなたと同じ?」

少し嬉しそうにそう言う陽に、陽一郎は苦笑する。

父「いや、たぶんまだこの子は6歳だよ。陽より1つ年下さ。」

陽「なんだぁ。」

今度は少し残念そうな顔をする陽。そんな会話を、男の子は不思議そうに聞いている。陽一郎はその視線に気付いて、ふっと今度はハンカチを広げてみた。そこには、漢字でしっかりと「神童賢一」と刺繍がしてあった。

父「お、名前が書いてある!…えっと、しんどうけんいちか?」

そう言ってから、陽一郎はふっとまた手紙に目を戻して独りごちる。

父「いや、この手紙がこの子に宛てられたものなら、これはよしいち…いや、よしかずと読むのが正しそうだな……」

?「よし、かず…?」

小さくつぶやく男の子を見て、陽一郎は確信したような顔をして言う。

父「ああ、君の名前は神童賢一というらしいな。」

陽「じゃあ、ヨシくんだね!」

その言葉に、男の子はとても不思議そうな顔をして、陽を見つめた。―

 

陽「それから、ヨシくんの名前がわかったから、お父さん警察の人に捜索願いが出てないか、とか、そういうことを聞きに行って、家族が見つかるまでうちで預かろうって話になったの。でも、閏台市では神童って苗字の家はなかったし、警察も、ヨシくんの持っていたハンカチに挟まっていた手紙に書いてあった「閏年」って言葉について、小学校に入学する子供にあてた手紙にしたら不自然じゃないか?って不思議がって、あのハンカチが本当にあなたの持ち物かわからないってことで、結局ヨシくんの家族の当てはなくなっちゃってね…そしたらお父さん、「1人育てるも2人育てるも変わらないだろう!」って言って、ヨシくんのお父さんになるって言ったの!でも、もし本当の家族が見つかったらすぐにわかるように、あなたの名前はハンカチに書かれていたそのままがいいだろうって。」

その言葉に、賢一は陽にわからないことを知ってか、寂しそうな顔をする。

賢「そっか…」

その声の調子に気付き、陽は心配そうに訊く。

陽「どうしたの?」

賢「いや、なんでもないよ。」

先ほどよりも元気を取り戻した調子でそう言う賢一に、陽は安心したように言う。

陽「そう?」

賢「うん。」

それから、陽は少し不思議そうに言う。

陽「それにしても、急にどうしたの?出会った日の事なんて……」

賢「いや……」

何かを言いかけて、賢一は言葉を止めた。

賢「なんとなく。…なんとなく思い出したくなっただけだから、気にしないで。」

その言葉に陽は少し考え込むものの、すぐに優しい返事をした。

陽「そう、わかったわ。」

その言葉に、賢一も安心したような顔をした。それからしばらく2人は黙っていたが、陽がふと、少しいじわる味を帯びた声で言い出す。

陽「ところで、今日から学校だけど、宿題は終わった?」

賢「英単語の練習と読書感想文は終わった。」

平然とそう言う賢一に、陽は呆れて言う。

陽「他のプリント類は…?」

賢「やってみたけど、答えもらってないのはわかんないからやめた。」

陽「だったら聞いてくれたら教えてあげたのに…1年生の範囲だったら、私まだわかると思うけど。」

賢「だって聞いてもわかんないし。」

その言葉に、陽はもう呆れて言葉も出ない。そんな中で自転車は校門をくぐる。

賢「ほら、もう学校ついちゃったし、そんなこと言ったってどうにもなんないよ。」

そう言いながら駐輪場で自転車を止めた賢一。

陽「もう、部活動停止になったって知らないんだから…」

呆れながらそう言って自転車を降りる陽に、続いて自転車を降りて鍵をかけながら、賢一は呑気そうに言う。

賢「大丈夫だって。隆平センパイ言ってたもん。部活動停止処分なんて先生方の脅しだって。」

その言葉を聞いて、陽は一層呆れて賢一に背を向ける。

陽「隆平くんったら、そんなこと後輩に教えるなんて……」

賢「どうしたの?」

不思議そうに陽の顔を覗こうとする賢一に、陽は少し怒ったように言う。

陽「何でもない!ほら、学校行こ!」

そう言って、陽はカゴに入ったカバンを取ってさっさと歩き出す。

賢「あ、ちょっと!待ってよひなぁ!」

そんな陽を、賢一も慌ててカバンを取って追いかけた。

 

放課後を知らせるチャイムが響く中、賢一は難しそうな顔をしながら演劇部の隣にあるメディア部の部室に向かって歩いていた。

賢「(宿題わからないからって土日でびっちり講習なんて……)」

ここまで思って、非常に残念そうな顔になってため息をつく。

賢「(どうして僕ってこんなに頭が悪いのかなぁ……)」

そんな暗い顔をして部室に辿り着いた賢一は、ドアノブに手をかける。

賢「失礼しまー…」

海「違いますぅ!!」

賢一がドアを開けたその瞬間に、龍海の大声が聞こえて思わず賢一は驚く。部室にはすでに、今来たばかりの賢一、なぜか来ていない龍路以外のメンバーがそろっていた。

海「あ、賢一センパ~イ!」

なぜか賢一を見つけて嬉しそうに駆け寄ってくる龍海。

賢「どうしたの、大きな声出して……」

状況も呑み込めずに困りながらそう言う賢一に、龍海は泣き出しそうな声で言う。

海「ひどいんですぅ!みんなして僕の事、ガキだって!」

その言葉に、陽や晶、鳩谷は呆れたように、修丸は慌てたように反応する。

修「ぼ、僕そんなこと言ってないんですけど…!」

陽「私も……」

晶「同じく…」

鳩「圧倒的に無関係な人間の方が多い気がするんだが……」

その様子に気付いた賢一が、最善策と思ったのか陽に対して聞く。

賢「ねえひな、何があったのさ?」

陽「何が…ってことじゃないんだけど…ねえ?」

そう言って、陽は晶と修丸を見る。

修「ハイ~。」

晶「なんだかなぁ~。」

鳩「う~む……」

修丸も、今度は少し呆れたように言う。そんな中、隆平も呆れ口調で言い放つ。

隆「兄貴がいないとなんにもできないヤローはまだまだガキだろうって話さ。」

海「勉強できない人にそんなこと言われたくない!」

気持ちの昂ぶりのせいで敬語も忘れる龍海に、隆平もそのことではなくとも怒り始める。

隆「テメ!んなことは関係ねーだろ!ってか、勉強できない奴をバカにするなら、賢一に泣きつくのも変な話だろーが!」

その言葉に、喧噪の中で1人黙々と本を読んでいた孝彦が口を出す。

孝「だから、賢一はお前と違って勉強できないだけで、バカじゃねーって。」

隆「な、テメー!どうでもいいことに口はさんできやがって!」

孝「は?どうでもいいのはお前の頭だろ?」

隆「んだとぉ?!どこでも本読んでるお前の頭の方がどーでもいいだろうが、この読書バカ!」

孝「誰がバカだぁ?!お前じゃあるまいし!」

修「あ、あの…話が変な方に行ってますけど―」

隆・孝「お前は黙ってろ!」

修「すいませんー!!」

いつもの展開に、晶が深いため息をつく。

晶「龍海じゃないが、龍路に早く来てほしい……」

その言葉に、賢一が不思議そうに晶に訊く。

賢「あの、そう言えば龍路センパイどうしたんですか?」

海「兄ちゃん、今日は写真部の助っ人で遅れるって……だから僕1人なんですー!」

晶・隆・孝「(なら、高校のメディア部なんかに来んなよ中学生……)」

3人が同じことを思ったなんてことは、神様と超能力者以外は知る由もない。

賢「……で、ガキって言われたって言ってたけど―」

海「あ~ん!!」

賢一の話を遮って泣き始める龍海を、賢一は困りながらもとりあえず背中をさすり始める。

賢「え……とぉ……(汗)」

困っている賢一だったが、さっきまで泣いていた龍海がキッと涙をこらえて強気な顔をし、賢一の手を急に引っ張って開きっ放しになっているドアの方へ引っ張る。

賢「あ、ちょっと龍海!」

海「陽センパイ!賢一センパイ借りてきますから!」

そう言って、返事も待たずに龍海は賢一を引っ張って部室を出て行った。

修「行っちゃった……」

隆「ほっとけ、ほっとけ!あんなクソガキ!」

孝「でもアイツ、なんで賢一連れてったんだ?」

呆然とそう話す3人に、陽が苦笑気味に言う。

陽「ヨシくんも弟だからじゃない?きっと、弟同士で話がしたいのよ。」

晶「あ、なーるほど。……にしてもまためんどくさくなってきたなぁ(汗)夏休みに取材したことの整理も終わらせないといかんのに……」

そんな光景を見て、鳩谷がバツ悪そうに席を立つ。

鳩「じゃ、じゃあ俺はそろそろ職員室戻るかなぁ……」

そう言って誰の返事も待たずにドアを出て行く鳩谷を、みんながジトーっと見ていた。

陽「に、逃げた……」

晶「ったく、顧問のくせに相変わらずの逃げ足の速さだな(汗)……」

 

部室を出た龍海と賢一はと言うと、学校近くの公園のブランコに座りながら、賢一が買ってくれたパックジュースを飲んでいた。

海「ごめんなさい、急に連れ出しちゃって…」

しゅんとしてそう語る龍海を、賢一は優しく見ている。

海「でも僕、どうしてもセンパイに話聞いてほしくて……」

そう言って、龍海はストローをくわえてジュースを飲む。

賢「いいよ、別に。で、何があったのさ?」

海「今日、兄ちゃん写真部行ってからメディア部に顔出すって言ってたから、僕も写真部ついてくって言ったんです。でも兄ちゃん、すぐ終わるからお前は先にメディア部行ってろって。だから、僕1人で部室行ったんです…」

 

―海「失礼しまーす!」

メディア部の部室を開ける龍海に、孝彦と一緒に部室の本棚を整理していた修丸と、夏休みの間に取材でためたメモやファイルを整理している陽、予算について話し合っている晶と鳩谷の4人が気づく。孝彦に至っては気付いてはいるのだろうが、整理を続けている。

鳩「お、佐武弟。」

晶「あれ、お前兄貴はどうした?」

海「そうなんですよ~!兄ちゃん今日は―」

孝「写真部のコンクール出展作品の選定の手伝いだそうですよ。」

説明しようとした龍海の言葉を奪うように、整理を続けながらそう言う孝彦。

海「あー!それ僕言おうとしてたのにぃ!」

孝「誰が言っても同じじゃんか。」

海「そうですけどぉ…」

晶「しかし孝彦、部員の遅刻欠席は聞いてるんなら早めに伝えろよ。」

持っていたボールペンをカチカチと鳴らしながら呆れたように孝彦にそう言う晶。

孝「すいません、忘れてました。」

整理をしながら晶に背を向けてそう言う孝彦の声は、悪びれる様子もない。

晶「お前な…(呆)」

呆れる晶を見て、修丸は苦笑してからフッと不思議そうに訊く。

修「でも意外ですね、こういう時って龍海くんも写真部について行くのかと思ってました。」

陽「私も。龍路くんだけ来る日はあっても、龍海くんだけっていうのは初めてよね。」

その言葉に、龍海は急に寂しそうな顔をする。

海「僕だって、朝、兄ちゃんから部活遅れるって聞いた時、写真部ついてくって言ったんです。でも、すぐ終わるから先に行ってろって…」

と、その時ドアが開く。

隆「よー龍海ぃ!お前ついに大好きな兄貴に突き放されたなぁ!」

空気を読む気もなく嬉しそうにそう言って入ってきた隆平だったが、孝彦と修丸が冷や汗を流して小声で話しあう。

孝「アイツ、また部室の外から立ち聞きか?」

修「隆平くん、ホントにすごく耳良いですよね…ってか、良すぎじゃないですか?」

孝「あの地獄耳が…」

そんな事も知らず、龍海は隆平にムッとして言う。

海「突き放されたんじゃないですもん!写真部すぐ終わるって言ってましたもん!」

隆「おー、おー、そーですかそーですか!でも俺のクラスの写真部の奴が言ってたぜ?今年は去年より部員増えたから、写真選びも1日じゃあ終わらなさそうだってさ!」

海「で、でも…兄ちゃんすぐ終わるって……」

隆「そりゃお前、龍路に嘘つかれたんだよ!お前みたいにベッタリな金魚のフンがいたら、大好きな写真も落ち着いて選べないだろうからなぁ!」

海「嘘じゃないもん!兄ちゃん僕に嘘なんかつかないもん!」

泣きそうな声でそう言う龍海と、おもしろがるような顔で龍海を見る隆平を見て、鳩谷が少し困ったように言う。

鳩「おいおい、落ち着けよ佐武弟。…近宮も、ちょっと言いすぎじゃないのか?佐武だって写真部の事情を聞いてなかっただけかもしれないし。」

その言葉に、孝彦が本棚から出した数冊の本を机に置き、椅子に座って机の上に無造作に置かれていたメモ帳に何か書きながら言う。

孝「そりゃないですよ。アイツ、今年の春のコンクールの時も写真部の手伝い行ってるから、部員の数とか、選定にかかる時間とか知ってるはずですから。」

その言葉に、龍海が驚く。

海「え?!そんなことありましたっけ?!」

孝「あったよ。ま、メディア部はなかった日だからなぁ。」

そう言って、孝彦は書きあがったメモをさっき机の上に置いた本の上に張り付けた。

孝「でもま、お前が知らないってことは―」

その時、ふっと修丸が孝彦の方を見てひどく驚いた。

修「あーーー!!!」

その声に、みな驚いて修丸を見る。

晶「バカ!なんて声出してんだお前は…」

隆「まったくだ!ったく、ビビリ担当がビビらせてんじゃねーよ。」

そんな事もお構いなしに、修丸は孝彦がメモを置いた本をすべて抱き上げて孝彦に言う。

修「ちょっと、このメモなんですかぁ!」

そう言って修丸が孝彦に突き付けたメモには、「賢一へ 部活来たらこれの処分頼む」と書いてあった。

孝「だってお前、そんな本必要ないだろ?」

陽「そんな本って?」

陽が孝彦にそう訊くと、修丸が抱いていた本を愛おしそうに抱きなおし、すでに自分の世界に入りながら言う。

修「月刊オカルト……夏休み明けに向けた特集、「心霊現象と科学!」の記事を書くにあたって覆いに我々を助けてくれた素晴らしい功労者を、「そんな本」とは失礼ですね!」

陽「でも、もう使わないんじゃないの?」

修「使います!僕、暇つぶしに毎日読む予定ですから!」

孝「……(汗)。わぁったよ(呆)。捨てないから、その代わりお前がちゃんと管理しろよ?ただでさえここの本棚小さいんだから、使わない本入れてる余裕はねーんだ。」

修「あ、そうですよね…ハイ、僕が管理します!」

孝「ったく……」

嬉しそうにそう言う修丸に呆れたような顔をして、自分の席に座ってカバンから本を取り出した孝彦だったが、ふと龍海の視線に気付いてそっちに目をやると、龍海が泣きそうな目でじっと孝彦の方を見ていた。

孝「な、なんだよ……」

海「僕が知らないってことは、なんですか?!」

孝「はあ?」

訳が分からずそう言う孝彦に、鳩谷が気づいたように言う。

鳩「もしかして、湯堂が騒ぐ前の話の事か?」

その言葉に、修丸が少し恥ずかしそうな顔する。

海「そうです!僕が、兄ちゃんが写真部行ったことを知らないってことは何なんですか?!」

必死にそう言う龍海に、晶が呆れて言う。

晶「お前、その話まだ続けるのか?」

海「だって修丸センパイが途中で話の腰折っちゃうから!」

修「スイマセン~…」

海「で!何なんですか?!」

孝「いや、その……」

龍海の剣幕に押されて言葉を探す孝彦に代わって、隆平が投げやり気味に言う。

隆「龍路の奴、龍海のことが鬱陶しいんじゃね?ってことだろ?だからお前に写真部行くって知らせなかったんじゃねーの?」

陽「ちょっと、隆平くん……」

隆平のその言葉に、龍海が泣きそうな怒りだしそうな、どっちつかずな表情で今度は隆平に食いつく。

海「そんなことないです!兄ちゃん、家でも学校でも、ちゃんと僕の面倒見てくれるもん!鬱陶しくなんかないもん!」

孝「だけどさ、お前いつまでもそんなんでいいのかよ?」

いつの間にか本を読み始めた孝彦が、本から目線をずらさずにそう言う。

海「そんなんって?」

泣きそうに孝彦に訊き返す龍海。

孝「お前ももう中3、来年なんて高校生だろ?なのにいつまでも兄ちゃん、兄ちゃんって、お前ガキか?」

海「ガキじゃないです!弟が兄ちゃんに甘えるのなんて当たり前じゃないですか!」

ヒートアップしていく龍海に、晶が相変わらずの呆れ顔で言う。

晶「当たり前ってなぁ…自分は兄貴になんて甘えないし、中1の弟だって、自分にも兄貴にもそんな甘えないぞ?」

その言葉に、陽がすこし驚く。

陽「センパイ、3人兄弟なんですか?」

晶「ん?いや、3つ上の兄貴と2つ上の兄貴、それとさっきも言った中1だから、5つ下か…その弟1人で、そこに自分の4人兄弟だよ。…そうそう、2番目の兄貴だって、上の兄貴に甘えてるとこなんて見たことないしな。」

その話に、隆平ももっともそうな顔で言う。

隆「そうそう。兄貴に甘えていいのは妹だけだって!」

修「と言いますと、隆平くんも兄弟いるんですか?」

隆「おうよ!6つ下の妹が1人いるぜ?莉美っつーんだけど、コイツがまたかわいい奴でさぁ!…でも、最近は前みたいに甘えなくなったなぁ。ま、もう小5だし、当たり前か。ところで、お前は兄弟いないのか?」

そう言われて、修丸は苦笑気味に言う。

修「ええ、しいて言えばワンコたちがいるくらいです。……あれ、もしかしてうちの部活って1人っ子僕だけ?!」

孝「大丈夫だって。俺なんかペットもいねーよ。」

修「あ、よかったぁ……」

孝「何が?(汗)」

冷や汗を流してそう言う孝彦だったが、それから少し恥ずかしそうに言いなおる。

孝「って、また話が脱線してやがるな…龍路がいないとすぐこれだ(呆)」

隆「ホントだな。できた兄貴とガキな弟…カメラ好きってとこ以外は釣り合わねー兄弟だぜ。」

海「カメラじゃないです!僕が好きなのはビデオカメラです!」

首にかけていたビデオを手に持って力説する龍海に、隆平は鬱陶しそうに目を細める。

隆「あー、ハイハイ。お前はビデオ派で龍路は写真派なわけね、間違えてごめんなさい。」

海「む~…それだけじゃないです!僕、ガキじゃないです!」

悔しそうにそう言う龍海に、孝彦は本から目線を上げて言う。

孝「だったら、お前は龍路がいなくても何でもできるのか?」

海「え……何でもなんて…そんな、無理ですよぉ…」

隆「ほら見ろ!立派なガキじゃねーか!やっぱ、龍路も仕方なくお前の面倒見てやってるだけじゃねーのかぁ?」

その時、賢一が部室のドアを開ける。

賢「失礼しまー…」

海「違いますぅ!!」―

2(⑧)

賢「そっかぁ、そんなことがあったんだ…」

しみじみとそう言って、賢一はストローをくわえる。

海「ハイ……」

それから、少しの間沈黙が続く。

海「センパイは…」

賢「え?」

急に口を開く龍海に、賢一は少し驚く。

海「賢一センパイは、陽センパイに甘えたりしないんですか?」

その言葉に、賢一は切なそうな顔をする。

海「僕、センパイが陽センパイに甘えてるとこって見たことないです。」

そんな龍海に、賢一は少し苦笑気味に答える。

賢「ん~、まあそうだね。」

龍海はそれを聞いて、うつむいてしまう。

海「なんで甘えないんですか?センパイ方姉弟でしょ?」

賢一は少し困った顔をする。

賢「なんでって言われてもなぁ……」

海「……センパイも、僕の事ガキだって思うんですか?」

賢「ちょっと…なんでそうなるのさ(汗)」

海「だって、中3にもなって兄ちゃんに甘えっぱなしだから……センパイと僕1つしか違わないのに、センパイはしっかりしてるから……でも僕、兄ちゃんいないとさびしいし……」

そんな龍海を見て、賢一はなぜか寂しそうな顔をして、龍海ほどではないがうつむいてしまう。

賢「僕はさ…こういう時に言う事じゃないかもしれないけど、正直、龍海が羨ましいけどな…」

海「え…?」

賢一の言葉に、龍海は思わず賢一の方を見た。そこには、先ほどの自分と同様に気を落としたように、寂しそうな顔でうつむいている賢一がいた。

賢「僕、恥ずかしいから、とかそんなことは関係なしにひなにどこまで甘えていいかがわかんないんだ。…だから思いっきり甘えたことなんてないし、それをひながどう思ってるかもわからない……」

そこまで言って、ジュースを飲む。

賢「こんなこと、ひなや父さんには絶対言えないけどさ、やっぱり血が繋がってないって事が、僕、本当は辛いんだ……僕とひなも、龍路センパイと龍海みたいに血の繋がった姉弟だったら、もっと遠慮なんてしないですんだのかな、とかさ……」

海「センパイ……」

賢一はそこまで話すと、苦笑しながら龍海の顔を見る。

賢「あ、ごめん!変な話しちゃったね…」

海「あ、いえ!別に…!」

少し慌てたようにそう言う龍海に、賢一は優しい顔をする。

賢「でもさ、その…龍海は今まで通り、センパイに甘えていいんじゃないかな?…龍海は僕と違ってセンパイに思いっきり甘えられる存在なんだし、センパイもきっとそれが嬉しいことだと思うから。」

海「賢一センパイ……」

龍海はまた泣きそうな、そして複雑そうな顔をしている。

賢「確かに、いつまでも甘えん坊って訳にはいかないと思うけど、センパイはしっかりしてる人だからさ、ちゃんと龍海がダメにならないようにそこんところもちゃんと考えてると思うんだ。だから、今は思いっきり甘えなよ。大人になるのは、まだゆっくりでもいいんじゃない?」

海「うぅ~…」

嬉しさなのか何なのか、龍海は目に涙をためている。それを見た賢一は少し慌ててブランコから立ち上がった。

賢「ほ、ほら!そろそろ学校戻ろっか?もしかしたら、龍路センパイもう来てるかもしれないし、夏休みの特集、早めに終わらせないといけないし!」

そんな賢一を見上げ、龍海は少し嬉しそうに答えた。

海「…ハイ!」

 

一方、賢一の予想通りに2人が部室を出ている間、部室では……

晶「帰ってこないな、弟たち……」

陽「龍路くんも来ませんしねぇ……」

暇そうに椅子に座っている晶と、夏休みに取材したことを殴り書きしてあるノートを見ながら新聞のレイアウトを違うノートにまとめながら話している陽。そんな陽に、隆平が蛍光ペンを構えて電話帳をめくりながら、開き直るかのように言う。

隆「だからぁ、龍路は今日は来ねえよ。」

修「あれ、隆平くんって龍路くんのこと嫌いでしたっけ?」

月刊オカルトを読みながら悪気もなしにそう言う修丸を、隆平が睨む。

隆「なんでそーなるんだよ?…ま、少なくともお前よりは付き合いやすい、いいダチだよな~。」

そんなことを聞いて、修丸はいつものオドオドを見せる。

修「え、それってどーいう意味ですかぁ(汗)」

孝「修丸お前な、隆平の言う事なんていちいち気にすんなって。どーせ、龍海いじめちまったから、龍路が来たら困るんだよ。」

本棚の上に積まれていた本を一冊ずつ拭きながらそう言う孝彦に、隆平が食って掛かる。

隆「おいこら!龍海いじめたのはお前もだろうが!」

孝「そりゃ事実だが、俺は別に龍路が来たって龍海が帰ってきたって、困んないからな。」

そこまで言って、ひどく嫌味な顔をして隆平を見る。

孝「常に心がやましいお前とは違ってな。」

その顔を見て、隆平も噴火寸前である。

隆「テンメェ…!誰の心がやましいだと―」

その時ドアが開いた。

路「遅れましたぁ~」

そう言って部室に入ってきた龍路を見て、ケンカを中断させられた孝彦と隆平はもちろん、他の部員もみな異様な驚きを見せる。

路「あ、あの……(なんだ、この空気?)」

晶「お前、写真部の手伝いもう終わったのか?」

路「ええ、春に比べて、候補に挙がってた写真が少なかったもので。」

その言葉を聞いて、隆平は次第に冷や汗がたらたらと流れ出すが、龍路はそんなことには気づかずに部室を見回して不思議そうに言う。

路「あれ?龍海は?」

その言葉に、陽が苦笑して答える。

陽「来たには来たんだけど、ヨシくん連れてどっか行っちゃったわ。」

路「賢一連れて?なんで?」

素朴な顔でそう訊く龍路に、孝彦が少し気まずそうに言う。

孝「いや、その…ちょっとからかいすぎてさ……それでアイツ、ムキになって弟仲間の賢一連れて……」

そんな孝彦に、龍路は呆れたような驚いた顔をする。

路「からかったぁ?」

その言葉に、隆平が慌てたようにバツ悪そうに言う。

隆「その……だから悪かったって!」

その態度に、龍路は少し呆れ気味に冷や汗を流す。

路「いや、俺、別に責めてないんだが……でもやっぱお前もか(汗)」

そう言って、龍路は少し困ったように考え込んでから言う。

路「……にしても、弟仲間で賢一連れてったってことは、お前らアイツの甘えん坊でもからかったのか?」

その言葉に、修丸が少し驚く。

修「そうです、よくわかりましたね!」

そんな修丸に、龍路は少し苦笑気味に笑って言う。

路「バカにすんなよ?俺は龍海の兄貴なんだからな。」

そんな龍路に、晶も言葉とは裏腹に小さい笑顔で言う。

晶「お前な、陽みたいなこと言うなよ。…龍海が賢一連れだした理由が、弟同士だからじゃないかって最初に気付いたのも陽なんだぞ。」

龍路も晶同様、小さく笑って言う。

路「ま、兄と姉って違いはあれど、歳の離れてない弟を持ってる身ですからね、俺ら。」

そう言って陽を見る龍路に、陽も優しく笑う。

陽「そうね。」

しかし、それからすぐに陽はうつむく。

陽「でも、龍路くんの方がよっぽど立派なお兄ちゃんよ。私なんか……」

そんな陽に、龍路は苦笑気味に言う。

路「おい、どうした陽?」

その声に、陽はハッとしてカラ元気に言う。

陽「あ、別になんでもないわよ!……」

そう言ってからも、すぐにまた憂鬱そうな顔になる陽。それを心配するのはやはり龍路である。

路「陽、お前もしかして賢一となんかあったのか?」

陽「ううん、違うの。何かあったって訳じゃないんだけど……龍路くんはちゃんと龍海くんのことを理解してて、すごいなぁって思って……」

晶「何言ってんだよ?お前だって賢一のこと、ちゃんと理解してやってるじゃないか。それに、賢一とは正反対のケンイチのことだって、ここにいる誰よりもちゃんと理解してるだろ?」

晶のその言葉に、陽はより一層憂鬱そうな顔をする。

陽「……」

晶「お、おい……」

陽「すいません……でも私、ヨシくんの事、全然わかってあげれてなかったから……」

その言葉に、みな不思議そうな、かつ心配そうな顔をする。

隆「なあ?お前、やっぱり賢一となんかあったんじゃねーのか?」

陽「……。この前、ケンイチくんが図書室での事件を解決してくれた時の帰り道で初めて分かったんだけど、ヨシくん、自分の記憶がないことをすごく気にしてたの……なのに、私今までそんなこと気付いてあげられなかったから……」

その言葉に、部員たちはとても驚いた顔を見せる。

孝「記憶がないって、どういうことだよ?」

その言葉に、陽もハッとする。

陽「あ、そっか…このこと、まだ話したことなかったっけ……」

そう言って、陽は部員全員を見るように顔を上げて言う。

陽「ヨシくんには…うちに来る前の、小学校に上がる前の記憶がないの。それで本当の家族とか、住んでた所とか、そういうことが全然わからないから、それでうちで引き取ろうってお父さんが言ってね。」

路「記憶喪失ってヤツか……」

修「でも、名前と歳は覚えてたんですね。」

安心しているような顔でそう言う修丸に、陽は苦笑する。

陽「いいえ、どっちも覚えてはいなかったわ。ただ、大事そうに持ってたハンカチと、それに挟まってた手紙を見て、名前と歳がわかったの。それで、本当の家族が見つかった時にすぐわかるようにって、苗字も神童のまま、うちで引き取ったのよ。」

晶「そうだったのか……」

孝「そういやお前、夏休みに図書室で記憶喪失の本とか借りてたけど、もしかして賢一の記憶を戻そうと…?」

いつのまにか本を拭く作業を中断してそう訊く孝彦に、陽はうなずく。

陽「今のところ、進展はないけどね……でも、それくらいしか私にはできないから……」

そう言って、陽はひどくうつむく。

陽「ヨシくんが何も言わないからって、私は彼の記憶がないって事実に、見て見ぬフリをしてきた……もう10年近くも一緒にいるのに、姉としてそれはどうなのかなって……」

そんな陽に、龍路が陽の隣の席に座り、優しく言う。

路「どうもこうもないさ。」

陽「え…?」

路「俺だって、みんなが思ってるほど龍海の事を理解してやれてる自信なんてないよ。ましてや、俺たちはお前たちと違って男同士だし、賢一のような複雑な事情の無い、普通に血の繋がった兄弟だ。お前の方がずっと苦労が多いはずなのに、お前は賢一の事でそうやって悩んでやれる。しっかりと向き合ってやれている。……陽は立派な姉ちゃんだよ。」

その言葉に、陽は意外そうな驚きを隠せない。

陽「龍路くん……!」

そんな陽に、龍路は笑顔で言う。

路「それにさ、俺、もしお前たちが同じ苗字だったら、きっと言われるまで血が繋がってないなんて気付かなかったと思うんだ。」

その言葉に、他の部員たちももっともそうな顔をしている。

修「1人っ子が言っても説得力ないかもしれませんけど、僕もですよ。」

孝「同じく。賢一の奴、甘えこそしないけど陽といる時は龍海みたいな安心してる顔するからなぁ。たまに思うよ、俺にも兄弟がいたらなってさ。」

そんな2人に、陽は少し安心したような顔をする。

陽「修丸くん…孝彦くん……!」

そんな陽を見て、龍路は少しバツ悪そうに言う。

路「それにさ、俺も実は、兄としての在り方にすごく悩んでたりするんだぜ?」

隆「兄としての在り方って、そりゃどういうこった?」

路「俺がブラコンだってのは周知のことだから今更恥かしがったりはしねーけど…俺、龍海のことが大好きだからさ、ついアイツを甘やかしちまう。でも、そのせいでアイツをダメにしてないのかな、とか、アイツは俺のことが鬱陶しくないのかな、とか思ったりするんだよ…でも、俺やっぱアイツのこと好きだしさ……」

そう言って、龍路は切なそうにうつむく。

路「ただでさえ、龍海は人と比べりゃ甘えっ子だ。そんなアイツを立派な男に、立派な大人にしてやるのが、兄としての俺の務めだってのはわかってっけどさ、「兄ちゃん兄ちゃん!」って俺の後をついてくる、懐っこいあの顔見てると、どうしてもな……」

そんな龍路の顔を見て、陽は先ほどの龍路のように、優しい顔で言う。

陽「でも、確かに甘えっ子ではあるけど、龍海くんはダメになんか育ってないし、龍海くんもあなたのことが大好きなのは事実じゃない。」

路「そうか……?」

そう言う龍路は、不安そうな顔をしている。

陽「ええ、あなたと一緒にいる時の龍海くんの嬉しそうな顔は、誰がどう見たって本心よ。それに、甘やかしてるって言うけど、龍海くんはわがままに育ったりはしてないでしょ?」

路「そうだけどさ……」

陽「……じゃあ、龍路くんは、龍海くんが問題児だとでも思うの?」

路「まさか!アイツは俺の自慢の弟さ!」

陽の言葉に間髪入れず、龍路がそう言った時だった。急に部室のドアが開く。

海「うぁ~!兄ちゃん~!」

路「龍海、どうしたんだ?!」

海「僕、兄ちゃんのこと鬱陶しいなんて思ったことないよ!」

路「龍海……」

開いたドアから入ってきたのは、すでに泣いている龍海だった。ドアの方では、賢一が見守るようにドアノブを握りながら、龍路に抱きついて泣きじゃくる龍海を見ていて、それに気付いた陽はどこか安心したような顔つきになる。

賢「すいません、ちょっとそこで立ち聞きしちゃって……」

そう言う賢一を見て、龍路は状況が読めたような顔をする。

路「おいおい、隆平じゃあるまいし…」

苦笑しながらそう言いつつ、龍路は龍海の頭をなでてやっている。

晶「しかしなぁ、帰ったんならさっさと部室に入りゃあいいじゃないか。」

少し呆れたようにそう言う晶だったが、賢一は少し困ったように言う。

賢「そうなんですけど、ちょっと割り込みづらくて(汗)…まあ、龍海は我慢しきれなかったみたいですけど。」

そう言って賢一は龍海を見て、それにつられて他の部員たちも龍海を見るが、そんなことには気づかずに龍海は泣きじゃくっている。そんな中、陽がハッとして、少しバツ悪そうに賢一に訊く。

陽「あの、どの辺から話聞いてたの?」

賢「え、その……」

言葉に詰まる賢一だったが、その真意も悟らずに隆平が言う。

隆「確か、賢一には昔の記憶がないってことを話してる最中じゃなかったか?」

賢「え?!いや…」

賢一のような動揺こそ見せないが、陽も隆平の言葉にバツ悪そうに驚く。

隆「お前らの足音、そのあたりから聞こえてたぜ?」

そう言われて、賢一は気まずそうにうつむく。

陽「じゃあ、私が記憶喪失の事調べてるってのも、聞いちゃったんだ……」

切なそうにそう言う陽と、いまだ気まずそうにうつむいている賢一を見て、隆平は不思議そうな顔をする。

隆「ん?どうしたんだよお前ら?」

そんな隆平に、賢一は何も答えず、陽の方を向く。

賢「ひな、ゴメン……なんか、僕のせいでひどく悩ませちゃってたみたいで……」

そんな賢一に、陽は少し寂しそうな顔をした後、ふっと目を閉じて首を左右に振り、それからゆっくりと目を開いた。その時にはすでに、寂しさは消えているようだった。

陽「ううん、謝るのは私の方。弟の抱えてる苦しみと、今まで向き合おうとしてこなかったんだもの……」

賢「ひな……」

陽「お互いさま。…でしょ?」

そう言う陽を見て、賢一は陽と同時に顔を見合わせて微笑んだ。

賢「そうだね…」

そんな2人を、部員たちも気づけばほっこりと見守っていた。

晶「こっちは落ち着いたみたいだな。」

優しくそう言った後、晶は少し呆れ気味な口調で佐武兄弟の方を見る。

晶「…で、そっちはどうだ?」

そう言われて、龍路は泣きじゃくる龍海をなだめながら苦笑している。

路「いやぁ、あとちょっとぉ……」

その言葉に、部員たちはみな「やれやれ」といった苦笑を浮かべた。

 

メディア部の活動も終わって解散した後、佐武兄弟は2人で帰路についていた。夏休みの間に取材した資料の整理が長引いて、活動が終わったのが18時半を過ぎていたのもあって、すでに周りは薄暗くなっている。

路「なんだかなぁ、陽もいろいろと苦労してたんだなぁ……」

海「でも、賢一センパイもすごい悩んでたよ?血が繋がってないってことが本当は辛いって……」

その言葉のあと、少しだけ沈黙が訪れる。

路「…なあ、俺たちってやっぱり幸せな兄弟だよな?」

海「うん……僕、兄ちゃんの弟で本当によかったって思うよ!」

路「そっか!」

嬉しそうに言う龍海に、龍路も嬉しそうにその頭をポンポンと撫でてやる。それから、龍海はなぜか少し不安そうな顔をして、首にかけたビデオカメラを手に取る。

海「でもさ、僕は兄ちゃんが優しくしてくれるのがすっごく嬉しいけど、兄ちゃんは僕が鬱陶しいとかって思わないの?いつも兄ちゃんにくっつきっ放しだし、これだって、もともとは、兄ちゃんがカメラ使ってるの見て、楽しそうでマネして使い始めたものだし……」

そう言ってビデオを撫でる龍海に、龍路は優しく言う。

路「鬱陶しいわけないだろ?俺はお前がいつも俺について来てくれること、兄貴としてすごく嬉しく思ってる。…それに、お前だって全部が全部、甘えっぱなしじゃあないじゃんか。」

海「え?」

路「お前が小学校入る時に、カメラがほしいって言って父さんにそのビデオ買ってもらった時、俺、「写真のカメラじゃなくていいのか」って訊いたの、覚えてるか?」

海「うん、覚えてるけど……」

路「そしたらお前さ、こう言ったんだぜ?「全部兄ちゃんと一緒にしたら、兄ちゃん嫌でしょ?」ってさ。」

海「うん。」

路「お前はさ、あの時、自分の気持ちよりも俺の事を考えてくれたんだ。そしてそんな気持ちで手に入れたそのビデオを、フィルムカメラに買い替えることなく今も大事に使ってる。それこそ、メディア部じゃあビデオと言えばお前の代名詞だし、ビデオの腕じゃあお前は俺より優れてる。それはお前が俺に頼んないで、自分で撮り方とか調べたり試したりしたからで……」

そこまで話して、龍路は言葉に詰まって少し困った顔をする。

路「えっと……その……なんかうまく言えないけどさ、つまりそのビデオは、お前の成長の証なんだよ。」

海「兄ちゃん……」

ポンポンと龍海の頭をなでる龍路に、龍海も嬉しそうな顔をする。そこで、龍路はフッと思い出したかのように言う。

路「そうだ、俺、写真屋に現像頼んでた写真受け取ってから帰りたいんだけど、お前どうする?」

海「う~ん、じゃあ外で待ってる。お店狭いし、1人で帰るのもヤだから。」

そう言う龍海に、龍路はどことなく嬉しそうである。

路「そっか、じゃあ、ちゃんと店の外で待ってろよ?」

海「うん!」

 

龍路がフィルムを預けていた写真屋についてから、龍海は店の外で店を背にし、少しの間退屈そうにしていたが、それからふっと道路を見回した。そして、嬉しそうにビデオカメラを見てからそれを手に取り、電源を入れる。

海「(僕の成長の証、かぁ…!)」

それから道路を挟んだ家並みを映し始める龍海だったが、店の斜め前の人家にビデオを向けた時だった。

路「おまたせ。」

海「あ、おかえり!」

少し大きめな封筒を持って店から出てきた龍路に気付き、龍海はビデオを人家に向けたまま龍路の方を見る。

路「ん?なんか面白いもんでもあったか?」

海「ううん。ちょっと撮りたくなっただけ!」

嬉しそうに龍海がそう言った時、龍海がビデオを向けていた人家の、窓の開いている2階の電気がついた。

海「あ!…撮られるの嫌だったかな…?」

路「みたいだな。」

龍路にそう言われ、バツ悪そうな顔をしてから、龍海はビデオの電源を切った。しかし、その人家で遺体が見つかることになるとは、この時はまだ2人とも思ってもいなかった……

 

これは、まだメディア部の活動時間内での事。龍路御用達の写真屋の、道路を挟んだ向かい側の家並みにある林郁也の家の2階で、林は麦茶の入ったコップが2つ置いてあるちゃぶ台の前に座っていて、林の幼なじみである長部紀之がその向かい側に座っている。

林「そっか、まだ時間かかるか…」

長「ああ、わりーな。家にある部品じゃ足りなくてさ。もうちょっと待ってくれないか?」

林「いや、焦んなくてもいいよ。こっちだってタダで修理してもらってるんだし。でもホント、工業高校出身の友達がいて助かるよ。」

そう言う林に、長部はなぜか落ち込んだようにため息をつく。

林「どうした?」

長「いや、ちょっと仕事のこと思い出してさ。……こっちは工業高校出てるってのに、工業の知識ないバカどもと同じ扱いなんて聞いてねーよ……優遇されると思ったから家電メーカー入ったのにさぁ……」

そう愚痴る長部に、林は苦笑している。

林「ま、どんな仕事だって楽しいばっかじゃないさ。俺だって、金銭的に大学行けないから高卒で働きだしたけど、大卒で同じ時期に入った奴らにはなめられるし、給料だっていいとは言えないし、毎日四苦八苦だよ。」

そんな林に、長部は感心したように言う。

長「でも郁也、お前ってホントすげーよな。高校ん時に両親事故で亡くして、それでも親戚頼らずに、家族で暮らしてたここで1人暮らししてさぁ。…勉強が嫌ってだけで大学行かないで就職した俺とは大違いだよ。実際、俺なんか今も親元ですねかじってるし……」

林「そんなことないよ…小中一緒で、今もこうして付き合いのあるお前が道路向かいに住んでるってのもすごく心強いし、それに、加奈も俺の事支えてくれるしさ…」

少し顔を赤らめた後に、林はすぐにハッとして長部を見る。

林「あ!その……紀之、ホントにごめんな?」

長部は不思議そうな顔をする。

長「いきなりなんだよ?」

林「いや……加奈の事、だよ。まさか、お前らが付き合ってたなんて知らなかったから……」

そんな林に、長部は快く言う。

長「バカ、気にするなって何回言わせりゃ気がすむんだよ?俺の事フッた女なんかにもう興味もねーし、気にされた方が俺もダルいって。」

林「そっか?なら、俺も気にしないことにするけど……」

そう言って麦茶を飲み干す林。

長「ああ…」

そう言った長部の声はどこか怪しいトーンを含んでいたが、林はそんなことは気にしなかった。そしてすぐ、長部はふと気づいたような顔をして、部屋の隅にある、2段ではないが低い梯子を使って登るようなベッドの方を見る。

長「あれ、今布団の下、動かなかったか?」

林「え?!」

驚いた林に、長部は少し怪訝そうに言う。

長「もしかして鼠じゃね?だったら早く捕まえた方がいいぜ?」

林「マジかよ……」

長部の言葉を受けて、林は梯子を上ってベッドの上に行く。その様子を見ている長部は、林に気付かれないように、ポケットに入れていた軍手をはめてから机の上に載っていた金づちを手に取り、それを後ろに隠して握りしめていた。

林「なあ、動いたってどこら辺?」

林は梯子を途中まで上って、鼠がいつ出てもいいようにか、布団を凝視しながらそう訊く。

長「あー、確か枕と反対の方。」

林「ってーと、こっちか…」

そう言いながら、長部はベッドに完全に上り、四つん這いになって足元の布団を恐る恐るめくるが何もいない。

林「紀之ぃ、お前ホントに布団動いたの見たのか?なんにもいないぞ?」

長「油断すんなって!もしかしたら枕の方行ったのかもしれねーぞ?」

林「あ、そっか!」

そう言って、林はベッドの上で体の向きを変え、枕の方を向いて四つん這いになる。と、その時だった。長部が、持っていた金づちを林の頭部に打ち付けた。

林「ぐぁ!」

何が起きたかわからない林は、思わず壁の無い方のベッドの外側を見る。そこには、血に濡れた金づちを持ってたたずんでいる、長部の姿があった。…部屋には自分と、金づちを握りしめているこの男しかいない。誰が自分に金づちを振り下ろしたか、林の中でその答えはすぐに導き出される。

林「紀之……?お前、なんで……?!」

長「そんなこと、俺じゃなくてテメェに聞けよ。」

冷淡にそう言い放って、長部は金づちを振り上げる。

林「やめ―」

助けを請おうとする林の言葉も聞かず、長部は片手で林の口を押え、残る片手で林の頭を数回殴った。そして長部が林の口から手を離した時、すでに林は息絶えていた。

それを見た長部は、不敵に小さく笑みを漏らした。

長「お前は、俺には犯行が不可能な時間に、空き巣に寝ているところを襲われたんだ。……誰も俺の事なんて疑わないだろうさ。」

 

​⑫

その夜、宗光家では賢一は自分の部屋で、勉強机の椅子に座りながら1枚のハンカチをじっと見ていた。

賢「記憶か……」

そう言って、ハンカチを裏返し、端に刺繍された漢字の上にサインペンで書かれたひらがなを読む。

賢「しんどう、よしかず……」

それから、賢一は机の引き出しから、古びた手紙を出してハンカチと並べる。

賢「この手紙がなかったら、父さんきっと、けんいちって読んでたんだろうなぁ。わざわざペンで読み仮名なんて書いちゃって……」

そう言って賢一が小さくおかしそうに笑った時、ドアをノックする音が聞こえた。

賢「ハイ?」

陽「今、ちょっといい?」

ドア越しに聞こえる陽の声に、賢一は心なしか安心したような顔をする。

賢「いいよ。」

それからドアが開くと、そこには2つのカップが乗ったお盆を持った陽がいた。

陽「ミルクティ入れたんだけど、飲むでしょ?」

賢「うん、ありがと。」

陽は持っていたお盆ごと勉強机に乗せると、自分のカップを持って賢一のベッドに座った。

陽「その手紙、やっぱりヨシくんのお父さんかお母さんが書いたのかな?」

賢「う~ん、どうだろうね?」

そう言う賢一に、陽はカップの中身を見つめたまま静かに言う。

陽「ごめんね、勝手に記憶喪失の事なんか調べて、しかもヨシくんにその事隠してて……」

賢一はそんな陽を見ることなく、しかし優しく言う。

賢「謝ることじゃないよ……それに、ひなが記憶喪失の事を調べてるって、知ってたから。」

その言葉に、陽はさほど驚かない。

陽「そっか、知ってたんだ……」

賢「別に見ようと思って見たわけじゃないけど、部屋に遊びに行った時にさ、ひなが慌ててカバンに隠した本の表紙、見えちゃって……」

そこまで言って、賢一は陽の顔を見た。

賢「僕に内緒にしてたのって、もしかしてケンイチの言ってたことを気にして?」

その問いに、陽は切なさそうな顔をした。

陽「でも、ヨシくんにバレてたんなら、ケンイチくんだってとっくに知ってたんだよね?」

そう言って、陽はミルクティを一口飲んで、少し間を置く。

陽「やっぱり、怒ってるかな?…ヨシくんの記憶の事は口にするな、なんて言ってたから……」

その言葉を聞いて少し心配そうな顔をした後、賢一はそっと胸に手を当ててから、優しく言う。

賢「きっと、怒ってなんかないよ。」

陽「わかるの?」

期待はしていない、といった顔で聞く陽。

賢「わかんない。」

あっさりと答える賢一だったが、陽は優しく苦笑する。

陽「じゃあ、なんでそう思うの?」

賢「ひなが僕の記憶の事を気にしているのは、自分の為じゃなくって、その、単なる興味本位じゃないから……ケンイチも、きっとその事はわかってるはずだから……」

その言葉を聞いて、陽は少し驚いたような顔をして、そして少し不安そうにカップの中を見て小さくつぶやいた。

陽「……そうだと、いいけどな。」

そんな陽を、賢一は少しだけ切なさそうに見守っていた。

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